第32話

 ルーイと邂逅する夢を見た後は、何故か知らないが毎回目覚めが良い。魔法的な何かが作用しているのか、はたまた夢の中で覚醒状態……という言い方も妙な感じだが……になってしまうからだろうか。

 兎に角、今は普段目覚めるよりも感覚がクリアだった。


「…………どこ、ここ?」


 そんな状態で記憶を呼び起こしても、目の前に広がる天井に心当たりがない。こんな高級ホテルのような凝った装飾の天井なんて知らなかった。

「まあ、そもそも高級ホテルっていうのも勝手なイメージなんだけどさ」

 思わず口に出たその台詞のおかげで、自身が少女のままであることを理解する。


 寝かされているベッドも上質なものなのだろう。家の大量生産品の肌触りとは違い、思わず触りたくなるようなきめ細かい生地のシーツを払いながら、上半身を起き上がらせる。その後あたりを見回した。


 狭いオレの家の一階がまるっと入るのではないかと思うほどの広い部屋だ。そこに今寝ているベッドと、ちょっとした戸棚。そして三人ほどがゆったり座れそうなソファーと同じくらいの幅のテーブルを置いても、まだ有り余るスペース。雑多な印象はなく清潔な雰囲気を感じるが、庶民派なオレにとってはどこか場違い感が否めない。


「え……マジでどこここ?」

 オレは見知らぬ部屋へ不安を募らせる。一体ここはどこなのだろうか。あたりを見回すと、壁の一角にカーテンが引かれていることに気が付いた。その範囲と位置的に、恐らく窓だろう。そこから外を確認すれば、もしかしたら何かわかるかもしれない。

 そう思い、オレは外を確認すべくベッドから離れ――



「……っ!?」



 直後、襲い掛かってくる倦怠感。床に用意されていた柔らかそうなスリッパに足を突っ込み立ち上がったところで、オレはボフンとベッドに座り込んだ。


「え? ……え?」


 訳も分からず瞬きを繰り返す。何故にこんなにも足に力が入らないのか。


 再びオレは立ち上がりを決行する。今度は足元に意識を持って行きながらゆっくりと腰を上げた。そこまでは問題ない。

 だが、その後足を踏み出そうとしたら。全く思うように動かなかった。足が鉛のように重い……という表現がまさにぴったりなほど、踏み出せない。



「うわっ」



 まさかここまで足が重いとは思わなかったオレは、体をつんのめらせそのまま床に倒れこんだ。柔らかいカーペットだったおかげで衝撃は少ない。が、自分の体の状態が衝撃的過ぎてその場から動くことができなかった。


 ど、どうなってるんだ……!?


 思わず倒れこんだまま、自身の足を確認しようと体を丸めたところで、いつの間にか白地の服に着替えさせられていることに気が付いた。服についてはとんと知識のないオレだが、この服が寝室用のものであることは、何となくわかった。


「こんな服、見たことない……」


 一体オレは、何に巻き込まれているんだ……?


 見知らぬ部屋で見知らぬ服を着させられ、体は思うように動かない。そんな理解の追い付かない状況に圧倒され、へたり込んでいると。


 不意にトントンと戸を叩く音が響いた。



「――」

 バッとオレは音のした方を見上げる。視線の先には、木目が綺麗な扉が今まさに開けられようとしている光景が映った。



「失礼します」



 そう言って部屋の中に入ってきたのは、肩口で綺麗に切りそろえた黒髪が凛とした印象を与える、二十代と思われる女性だった。服装は驚きのクラシカルなメイド服。ホワイトブリムが黒髪に映える……とか言っている場合ではなく。


 だ、誰だこの人。


 そのメイド服の女性は、床にへたり込んでいるオレを目にすると、その切れ長の瞳に驚きの色を見せた。そして扉を閉めるや否や、手に持っていた桶のようなものを手近なところに置くと、慌ててオレのもとへと駆けよってくる。


「大丈夫ですか?」

 女性はそう言いつつ、オレの肩を抱いて起き上がらせてくれた。


「だ、大丈夫ですっ」


 ち、近くないですか!? なんかいい匂いするし……。


 先ほどまでの不安はどこに行ったのか。メイドさんの接近の結果、オレの脳内は一瞬で空回りし始めた。正直なところ、欠片も大丈夫ではないのだが。

 メイドさんに手厚く支えられ(近いっ)ながら、オレは再びベッドに座り込む。


「……驚きました。部屋にはいった途端、倒れられていたのですから」

「す、すみません。……何か、力が入らなくって」

「怪我はありませんか?」と確認のつもりか全身に触れてくるメイドさんにドギマギしながら、オレは視線をそらしつつそう答えた。


「無理もありません。丸二日も寝込んでいらしたので、体が固まっているのでしょう」


「………………え、丸二日も寝込んでた?」

 衝撃的な言葉が耳に入ってきたところで、オレは思わず聞き返す。


 二日も寝込んでいたって……。魔力が尽きると、そんな結果になるのか。


 ルーイの言葉によると、大規模な魔法を使ったおかげで、オレは魔力切れを起こしたのではないか、とのことだった。さらには生命力まで使ったことで意識を失ったとも。


 死んではない……とか言っていたし、下手をすれば死ぬこともあるってことだよな。


 夢の中に不思議な世界を作ったり、何もないところに炎を生み出したりできる、魔法というもの。憧れの方が先行していたが、使い方によっては身を滅ぼすというのは、なかなかに怖いことだと思う。



「……やはりどこか体調が優れませんか?」


 こちらを覗き込みながら、メイドさんがそう窺ってきた。無意識のうちにオレはうつむきがちであったらしい。その声に我に返って顔を上げると、まあ無意味なほどにメイドさんの顔が近くにあった。その距離十五センチほど。


 いや近いって!? ななななにこの人っ。


 オレは若干身をのけぞらせながら、その端正な顔から逃れる。

「い、いええそのようなことは決してっ。そ、それはそれとしてですね、ここ、ここはどこであらせられるのでしょうか!?」


 テンパりすぎて変な言葉の選び方になった自分に内心「アホか、これだから童貞は」と毒を吐きつつ(ついでに勝手にダメージを負いつつ)、オレはメイドさんに問いかけた。すると彼女はオレの反応に満足が行ったのか、小さくほほ笑みつつ顔を離す。

 それでも、近いことには変わりないが。


「ここは陽総院宅の一室です。来客用の部屋のうちの一つになります」

「…………え? 陽総院?」

 随分と聞き慣れた名前を耳にして、オレは瞬きを繰り返す。メイドさんの攻勢にぼんやりとしていた頭が、我に返ったかのように冷静さを取り戻した。


「え、じゃあここはサブさん家――」




「失礼する」


 いやに距離の近いメイドの相手をしていると。再び扉がノックされ、その言葉とともに扉が開かれた。


「彼女の様子はどう――」

 まるで家主のような尊大さで入ってきたのは、学生服に身を包んだ青年……というか、神三郎その人であった。家主ではないが、普通にそれに準ずる者だった。

 やはりこの豪奢な部屋は、メイドさんの言う通り陽総院の邸宅の一室に間違いないらしい。


「っ、目が覚めたのか!?」


 部屋の中に入るなり、ベッドの方を一瞥した神三郎。そこでメイドに迫られているオレと目が合うと、驚いた様子でこちらに歩み寄ってきた。それにあわせて、メイドさんがすっとオレから離れる。


「心配したぞ。丸二日も寝ていたのだからな。大事ないか?」

 ベッドの前に佇みながら、神三郎が心配そうにこちらを見下ろしてくる。見知った人物を目にしたことで安心したオレは、肩の力を抜いて軽く手を広げた。

「何か体が凄く重いけど、今のところは問題ないよ。意識もしっかりしてるし」

「……そうか。まあ、数日は様子を見た方が良いかもしれんが。兎に角無事ならばいい」


 オレの言葉を聞いて安心したのか、神三郎は小さく息を吐くと口元をほころばせた。

 その後神三郎は、横に佇むメイドさんへと目を向けた。


「済まなかったな、彼女の看病を任せてしまって」

 するとメイドさんは「いえ」と小さく首を振ると、家主用なのか真面目な顔を作って口を開いた。


「美しい少女の看病ができたということは、私としても非常に至福でした」


 ……これは、謙遜なのか? それとも素で思っていることなのだろうか?


「…………」

 ちらりと神三郎の方を振り返ってみると。彼は何故だか軽く眉をひそめて渋い表情を浮かべていた。

「…………一応聞いておくが。お前、彼女に変なことはしていないだろうな?」

「まさか」

 神三郎の言葉に、メイドさんは心外ですと言わんばかりに肩をすぼめる。

 そして、真面目な表情のまま口を開く。



「私たちは女性同士です。孕むようなことはありませんので問題ありません」




 どういうことや! え、何このメイドさん何言ってるの!?


 先の発言とそれまでのやたら近かった距離感から、オレは察してしまった。


 この人、ガチのレズの人かっ。しかもかなり過激派な……。


「いや、その発言が出る時点で駄目だろう……」

 いつも突飛な発言をして諫められる側の神三郎が、ここにきて諫める側に回っている。そのことに、オレは物珍しさを感じつつ、このメイドさんのヤバさに改めて戦慄した。


「と、兎に角だ。お前は一旦下がってくれ。少し彼女と話がしたい」

「かしこまりました」

 軽く頭を抱えた神三郎が、取り敢えずといった様子でメイドさんにそう指示を飛ばす。すると彼女は特に口答えすることなく、お辞儀をするとそそくさと部屋を後にしていった。

 扉へと歩を進める直前、こちらをちらりと一瞥してきたのだが、初めて視姦というものを体験した気がした。


 普通に目が合っただけな気がするのに、視姦とかとっさに考え付いたあたり、ヤバいオーラ出しすぎだろ。そんな世界知りたくなかったわ。いやまあ別に同性愛が悪いとは言わないけどさ。言わないけどあれは……。


 先ほどまでの凛としたできるメイドさんという印象はどこへ行ってしまったのだろうか。何故だかオレは悲しい気持ちになりながら、変に残った悪寒と闘った。

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