第31話

 ぼんやりと何かが聞こえる。

 不意に現れたその感覚が、オレの意識を浮き上がらせた。


 …………?


 しかし、いまいちしっかりしない。意識があるようで、その実全くないような……微睡の中にいるような感覚。今自分が起きているのか、はたまた寝ているのか。意識の境界が曖昧な中、オレは再度何かを耳にする。


(…………な…)


 ……な?


 それはひどく音の波が激しい……音程や抑揚が一音一音変わるというか……印象を覚えた。まるで、人が話しているような感覚に似ている。


(……なさい!)


 ……いや違う。誰かが話しているんだ。


 三度聞こえてきた音に、オレはようやくそれが人の声だということに気が付いた。一体誰が何を話しているのだろうか。声だと認識したオレは、聞こえてくる音に注意を向けた。幸い追加の声は間髪入れずに舞い込んでくる。


『聞こえているんでしょう! いいからこっち来なさい!』


 めっちゃ怒ってるやん。


 声の主は女性のようだった。しかも何故か分からないが、かなり高圧的でかつ怒気をはらんでいる様子。こんな調子で喚かれていたら、普通にお近づきになりたくない。


『ナルヒト、いいからさっさと応えなさい!』


 女性の声は、『ナルヒト』なる人物を呼んでいるようだ。恐らくその人物は女性の反感を買ってしまったのだろう。可哀想に。このプライドが高そうな女性をなだめるのは、相当苦労するだろう――


 って、オレじゃねえか!?


 他人事を決め込んでいたが、よくよく聞いてみると、耳にしたことのある声質であることに気が付く。それが『ナルヒト』なんて呼んでいたら、対象はオレだろう。

 一体誰の声なのか理解したところで、オレは今の自分の状況をようやく把握することができた。


 緑や焦げ茶の色がにじんで、まるでマーブリング画の中に迷い込んだかのような光景。初めてこの場に迷い込んだ時は焦ったものだが、三度目となると多少落ち着いて対処できる。


 オレは自分の姿を思い浮かべる。するとあいまいだった体の感覚がどんどんはっきりとしてきて、意識的に瞬きを一回すると、一変した景色が認識できるようになった。

 あたりは明るく、瑞々しい木々や草花があたり一面に広がっている。現実世界のものとは思えない、まるで精霊が住んでいるかのような、神秘的な場所。

 謎の美少女エルフ、ルーイルスフェルとの邂逅の場所であった。



「遅い!」



 直後、正面からいらだった声が聞こえてくる。意識を向けると、そこには十代半ばに見える銀髪のエルフ……ルーイルスフェルの姿があった。木々をイメージしているのか、全体的に緑配色の服を着込んだ彼女は、さも不機嫌そうに腕を組んでこちらをにらみつけていた。目鼻立ちが整った美少女がにらむと、形容しがたい威圧感がある。


「もう三度目なんだから、いい加減呼びかけに応じられるのなら、即対応しなさいよ」

「そんなツンケンしてたら、あんま答えたくないのが本音なんだけど……」

「何か言った?」

「イエ、ナニモ」

 両手を上げて降参の姿勢を見せると、ルーイは大きなため息をつく。


「……まあ、呼びかけに応じたならいいわ」

 そう言って彼女はパチンと指を鳴らした。すると瞬く間に切り株の椅子が地面から盛り上がってくる。その一つに腰かけたルーイは、あごで対面の一つに座るよう促してきた。特に抵抗することなく、オレはそれに従う。



「――で、早速聞きたいことがあるんだけど」



 ルーイはおもむろに足を組みながら口を開いた。短パンからのぞく健康的な太ももがまぶしい。そう思ったところで、慌てて視線を彼女の顔に戻す。幸いルーイは気にしていない様子だった。

「アンタ、向こうの世界で魔法を派手に使ったでしょう」


 そう言われて脳裏に浮かんだのは、ここに来る直前の光景である。突如として現れた、炎の壁……やはりあれはオレ自身の魔法で生み出したものであったのだ。


 ……そういえば、あの後どうなったんだろうか。


 状況的には、多数のゴブリンに追い込まれつつある絶体絶命のピンチだったはず。そんなところで意識を失った。一緒にいた神三郎と祐樹のことだから、逃げるにしても意識のないオレを担いで動いたはずだ。あの炎の壁がどれだけ残るのかは分からないが、仮にオレの意識がなくなったのをきっかけに消えたりしたら……。オレという荷物を抱えながらの逃避行をする羽目になる。そうなると到底逃げ切れるとは思えないから……もしかして、オレは死んでしまったのだろうか。


「確かに魔法を使った……と思うけど、見てたのか?」

 もし仮に向こうの世界が見えるというのなら、今の状況を聞いてみようと思ったのだが。問われたルーイは、鼻で笑うと肩をすぼめた。


「見てないわよ。というか、見れるわけがないでしょう、道具もなにもないのに。アンタの魔力の残量が減っていたから、分かるだけ」

「で、どうなのよ?」とルーイは再度問いかけてくる。

「どう、とは?」

「どんな魔法をぶっぱなしたのかってこと」

 オレとしては、放った魔法のことよりも自身と友人の安否が気になるのだが。ルーイは聞く耳を持ってくれないだろう。

 仕方なくオレはその時のことを頭に思い浮かべる。


「炎の壁を作ったんだ」

「炎の壁……そんなの初歩の魔法でしょ。どんな規模のものを作ったのよ」

「規模……。大きさだったら――」

 そう言ってオレは自身の記憶を思い浮かべながら、あたりの木々を見渡す。そして目ぼしい目印を見つけると、指さした。


「高さが大体そこの出っ張ってる枝くらいで。幅は……まあ、オレからあの倒れた木のあたりまで、かな」

「…………」


 オレがそう説明すると、ルーイはまじまじとオレが指さした木々を見つめた後、険しい表情を浮かべてオレの方を眺めてきた。

「よくもまあ、そんな規模のものを出そうと思ったわね……。加減ってものを知らないの――そうか、アンタの世界には魔法がそもそもないんだっけ」

「…………もしかして、やばかったりする?」

 ルーイの反応に、オレは冷や汗を浮かべる。漫画やラノベなどの設定だと、分不相応な魔法を行使すると身を滅ぼす……なんてものをよく見かける。もしその設定がルーイの世界の魔法にも適応されるとしたら。……不自然に意識を失ったオレの状況も頷ける。


 ていうか、大丈夫かオレの体!?


 オレの問いに、ルーイは小さくため息をついた。その後さも仕方ないといった様子で腕を組む。


「魔法を行使するためには、それ相応の魔力が必要になる。魔力は万物を構成する要素の一つで、生命力と近しいものである、と考えられているわ。近しいものっていうだけで、同じものではないっていうのが、大事なの。二度言うことになるけど、魔法使いは魔力を媒介にして魔法を使う。そして、魔力が足らなくなったら、それに近しい力である生命力を使うの。……ここまで言えば、わかるかしら?」


 何故回りくどい言い方をしやがるんだこのエルフは……。しかも得意げに。


 内心そう思いつつも口には出さず、代わりに自分なりの解釈を述べる。

「……つまりオレは、規模もでかい魔法を使ったことで魔力が尽きて、おまけに生命力まで使っちゃったから、意識を失った?」

「でしょうね。私の分身である体じゃ、その規模の魔法を何の工夫もなしに使ったら、即魔力切れを起こすはずよ。まあ、この場に呼べたってことは、死んではないんでしょうけど」

「あ、死んではないのか……」

 何気なく漏らしたルーイの言葉に、オレは今一番聞きたかった情報を得てほっと一息つく。


 良かった、無事なんだ。でも、オレは大丈夫でも、二人が大丈夫かどうかは分かんないよな……。


「まあ、アンタに魔法の使い方について教えないとと思っていたけれど、使えたのならいいでしょう。それに、いやにアンタの反応が薄かった原因がわかったわ。魔法を使うのはいいけれど、何も考えずに使うと冗談抜きで死に至るから、気をつけなさい」

 そういうとルーイはおもむろに立ち上がる。そしてそのまま伸びをすると、小さくあくびを漏らした。


「今日はもうお開きにしましょう。私も今日は疲れてるし、長居はしたくなかったし。取り敢えずアンタが魔法を使ったってことが分かればいいわ」

「あ、ちょ」

 そう勝手に退散しようとしていたルーイに対して、オレは待ったをかけようと手を伸ばした。しかし、その後何事か言う前に、ルーイの姿がぼんやりと薄くなり霧のように消え去った。同時に、オレの足元が崩れる。目覚めの兆候か。


 バランスを崩して切り株から滑落して奈落の底に落ち始めたオレは、歪みつつある森に向かって声を荒げた。



「教えろよ魔法の使い方――!?」




 あの魔法は、『使った』じゃなくて『勝手に出た』だから、ノーカンだっつの! ちゃんとした使い方を教えてくれ!?


 オレの心の叫びも空しく、歪みつつある景色の中に埋もれていった。

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