第30話

「……まじ、で?」


オレは呆然と迫りくるゴブリンの群れを眺める。その数は十体ほど。……一体ですら神三郎が必死になって止めるのが精いっぱいであるにもかかわらず、奴らは容赦なく徒党を組んで迫ってきていた。


「やべぇって! すぐ逃げねぇと!?」


同じ光景を見た祐樹が慌てた様子でそう叫んできたが、そんなことは百も承知だ。


けど、そんな逃げると言っても……っ。


オレはちらりと神三郎を見る。彼は変わらずゴブリンと目まぐるしい戦闘を繰り広げていた。だが当初の防戦一方というだけではなく、神三郎の方から打ち込む機会が発生している。隙を見ては小手や胴への打ち込みをしているようだが、ゴブリンの動きはさほど変わっているように見えない。それだけゴブリンの肌が強靭なのだろうか。


……いや、違う。打ち込みが弱いんだ。


丁度その時、短時間の間に二度小手を打つ場面に遭遇した。しかしそのどちらもが有段者特有の鋭さはあるものの、踏み込みまでは行っていなかった。恐らく本気で打ち込めば、木刀ということもあり、ゴブリンのあの細腕など容易く砕けるのではないかと思うのだが――


……だからか! 防具もなしに全力で打ち込めば相手が壊れるから、打ちたくても打てないのか。


剣道の仕合であるならば、お互い防具を拵えて臨むもの。防具があるからこそ、多少強く打ち込んでも怪我をすることはないという安心感があるはずだ。自分も怪我をすることはないし、相手を壊すこともない。だからこその全力勝負。

……なのだが。


どうやら今回はその前提がないため、神三郎は無意識に力を制限しているのだろうと思う。あのままでは、多少なりともゴブリンの動きを阻害できるかもしれないが、撃退することは難しいだろう。激昂して我を忘れている相手を止めるには、それこそ壊す気で行かないと太刀打ちできない。


くそ、一体でもそんな調子なんだから、これが複数になったら――


オレは再度駅前の方角に目をやる。歩道や車の間を縫うように近づいてくるゴブリンたちは、初動に比べ数を増しているようにも見える。皆雄たけびを上げて、鋭い爪を見せびらかすように振りかざしていた。あれが襲い掛かって来れば、ただでは済まないだろう。想像を絶する痛みにもがきながら、大量の血を吹く自分の姿を幻視する。


それを回避するためには、距離的に今すぐ何か行動を起こす必要があった。


今すぐに行動? 何を、どうやって……?




「おい、逃げねえのか!?」



今すぐこの場から逃げたいが誰も動こうとしない様子焦りをつのらせた祐樹が、責めるように叫ぶ。



「くっ、援軍か!? お前たち、今すぐここから逃げろ!」



かと思えば、神三郎は自身が危機に瀕しながらも、オレたちの身を案じてそう指示を飛ばしてきた。そこには、恐らく自分自身の身の安全は考慮されていない。出来るかどうかわからないが、この場で足止めをするつもりなのだろう。


……なんだよ。


緊急事態にも拘らず……いや、緊急事態だからこそ、両サイドから身勝手な物言いを押し付けられる形になったオレは、内心で憤りを募らせた。


んなこと分かってるわ。ヤバいっていう状況なんてさ。でも、三人で逃げないと意味ないだろ。なに自分勝手なこと言ってんのさ。


加えてゴブリンたちの金切り声が、近づくにつれて大きく耳に入ってくる。身に危険が迫っているという恐怖と、単純に耳障りな声だという不快感が、複雑に入り混じってストレスを加速させた。


……うるさい。


それも合わせれば、三方向からそれぞれの声が、オレに流れ込んでくる。


うるさい。


やがて間もなく、その声たちはオレの許容をオーバーする。

プチっと、堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がした。




「ああああああああもう!! うるさいうるさいうるさい!!」




オレは両手で耳をふさぐと頭を振り、最終的に天を仰いだ。


「みんなして勝手なことを言うなー!」

その後耳から手を放すと、口を大にして空に向かって叫ぶ。


「え、えぇ……」

「な、成一……?」

そのおかげか、やばいやばいと騒いでいた祐樹の声が止んだ。神三郎からは、戸惑いの混じった声が届く。ゴブリンとの戦闘が止まったのか、先ほどまで聞こえていた雑音が聞こえなくなった。


しかしそんな中。駅前から近づいてくるゴブリンたちの金切り声だけは、変わらずに響いていた。


オレはキッと広場の方向をにらみつける。交差点の中央近くに陣取ったオレの前には、広いスペースがあった。そのスペースの先にある車の隙間から、横の歩道から、ゴブリンたちが近づいてくる様が見て取れる。

こちらの都合なんて無視した彼らの接近が、無性にオレの神経を逆なでした。


「ああもう、邪魔!!」


近づいてくんな!


オレはそんな気持ちを溢れさせながら、迫りくるゴブリン勢に向かって勢いよく右手を払った。


その瞬間、体内に電流が走ったかのような違和感を覚える。

体中に宿った回路に、電流……力を持った流れのようなものが通り、先ほど払った右手の先に集約するような不思議な感覚。


え、これって――


ふと、オレは目が覚めたように我に返る。さっきまで憤りが自分を支配していたのだなという、変に冷静な気持ちが湧き上がった。まるで何かを吐き出してすっきりしましたと言わんばかりの精神変化に、自分自身で驚く。


お、オレは何を……ていうか、さっきの感覚って。


オレはちらりと自身の右手を眺め見る。払ったままの位置でとどめていたその手は、華奢な少女のそれで、綺麗だ。若干赤みがかったオーラのようなものをまとって、透き通るような白い色がほんのりと桜色に見えるところもまた――


赤みがかった、オーラ?


ふと疑問に思った直後、不意に前方から熱を持った風が吹き抜けてきた。夏に差し掛かりつつあるとはいえ、異常な熱波。何事かとオレは右手に向けていた視線を前へと移した。

そして息をのむ。



「え……」



まるで何者も通さないといわんばかりに、数メートルもの高さの炎が壁を成し、道路を封鎖していた。





「な、なんだこれっ!?」


オレは思わず後ずさる。炎の壁はどうやら両サイドの建物まで伸びているようで、完全に道を隔てていた。熱波が絶えず吹き抜けてくることから、この炎は見た目通りに熱く決して幻ではないことがわかる。

突然現れた炎の壁。それはまるで魔法のようだった。


……ていうか。


「さっきの感覚もあるし……これ、もしかしてオレが出したの?」

先ほど感じた、体中の回路に電流が流れるような感覚。それは夢の中でルーイルスフェルに魔力を流し込まれたときのそれと同じものだった。

「オレが、これを……」

ごうごうと燃え盛る炎の壁。その雄姿を呆然と眺めていたオレは、徐々に口元に笑みが浮かんでくるのを感じた。


「す、すげえ……本当に魔法が使えるんだ……っ」

オレは小さくこぶしを握り、感動に身を震わせる。

「おい、どうだ祐樹。魔法使えたぞ魔法!」


その感動を抑えきれなかったオレは、横にいるであろう祐樹を振り返る。どうやって自慢してやろうかと考えていたオレは、しかし振り返った先にいた祐樹の顔を見て思いとどまる。


「……どうした? そんな渋い顔して」

祐樹の表情は、信じられないものでも見た……いや、ドン引きしているような苦いものであった。


そんな祐樹が、ポツリとつぶやく。


「……女のヒステリーって、怖ぇなと思ってよ」


「? どういうことだ?」

「……あいや、何でもねえ」

やがて諦めたかのように、祐樹は肩を落としてため息を吐いた。


何なんだこいつ急に。



「――これは成一が作ったのか?」


オレが祐樹の言動に首をかしげていると。ふと、背後から声がかかる。振り返ると、木刀を片手に神三郎が近づいてきていた。

「サブさん!? ゴブリンは?」

彼は先ほどまでゴブリンと対峙していたはずだ。しかし、周りには件のゴブリンの影はない。神三郎は肩をすぼめると、木刀を持っていない手で小さく自身の後ろを指した。


「?」

位置をずらして神三郎の後ろに目をやる。すると、道路の先に一目散に逃げていくゴブリンの姿を見ることができた。

「この炎が発生したのを見るや、慌てて逃げていったのだ」

そう言って神三郎は炎の壁を見上げる。


本当ならば、すでにここには駅前から迫ってき他ゴブリンたちに埋め尽くされていたはず。しかし未だにごうごうと燃え続けているこの炎の壁は、その向こう岸にいるであろうゴブリンたちの軍勢を完全にシャットアウトしていた。


「……で、繰り返すが。これは成一、お前が作ったのか?」

「……多分ね」

そう返してオレは自身の右手を眺める。


「夢の中で魔力を感じた時の感覚……なんか体中に電流が走る感じかな。それをさっき感じたんだ。その直後にこの炎が発生したはずだから、たぶんオレが魔法で作ったんだと思う。じゃないと、普通こんなとんでもないもの作れないもんな」

「確かにな」

オレたちは何気なく炎の壁を眺め見る。変わらずに壁を形成する炎は、頼もしいことこの上ない。


「これが、魔法か……。一体どういう仕組みなんだ」

炎の壁を見上げながら、神三郎が神妙な様子でつぶやく。その後、ちらりとオレを見下ろしてきた。

「成一、何かわかるか?」

「何かって言われてもなぁ……。オレも無我夢中で、何が何だかよくわからなかったっていうのが本音というか……」


神三郎の問いに、オレは首を傾げながらそう答えた。

本当に、自分でもよくわからない間に発生したのだ。先ほど言った発動した時の感覚は話すことができるが、きっかけとか仕組みとかを聞かれると困る。逆にオレが知りたいくらいだった。


……けどこれ、いつまで残るんだろうか。


意図して作り出したものではないので、消し方も分からない。今は安全のために残ってくれた方が助かるが、こんなものが永遠に残っても困ってしまう。


そんなことをつらつら考えている時だった。



不意に体の力が抜ける。



「えっ――」


「お、おい成一!?」

急に足に力が入らなくなったことで、膝が折れてがくんと姿勢が崩れる。それにいち早く気が付いた神三郎が、素早く脇に腕を差し込んで支えてくれた。遅れて祐樹も声をかけてくる。


「ど、どうした成一!?」

「あいや、なんか急に力が……」


そう口にしている間に、今度は急に強い眠気が襲い掛かってきた。突然の体の不調に驚きを隠せない。


な、何が起きて……。


眠気は尋常じゃない強さで、オレの意識を狩り取りに来る。

オレはほとんど抗うことができずに、瞼が落ちていくのを感じていた。



「おい、成一!? どうしたん――」



最後は慌てた様子で声をかけてくる音を耳にしたことは分かったが、祐樹か神三郎か、どちらの声なのかもわからないまま、オレは意識を手放した。

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