第29話

「サブさん!?」

 街路樹に一番近い位置にいた神三郎に襲い掛かる。オレは咄嗟に叫んだ。


「っ、大丈夫だ!」

 だが神三郎は驚きに一瞬身を固めていたようだったが、すぐさまそんな頼もしい言葉とともに横に一歩スライドした。直後、先ほどまで神三郎がいた場所に、落下の勢いを追加したゴブリンの腕の振り下ろしが通過する。見るとゴブリンの手先から延びる爪は鋭そうで、人間の皮膚なら容易く切り裂けると思わせる怖さがあった。


 ゴブリンは自身の攻撃が避けられたとみるや、四つん這いで着地すると再び金切り声を上げながら立ち上がった。威嚇のつもりなのか、その後も唸りつつこちらをにらみながら吼えるような仕草を見せる。


 が、順繰りに視線を動かしオレに焦点があったところで、不意にゴブリンの唸り声が不自然に止んだ。

 蛇目のような縦型の瞳孔を持つ目が、オレに合わせられたまま大きく開かれる。


「え、え?」

 一体何があったのだろうか。視線を合わされたじろいているオレをしり目に、ゴブリンはさらに動きを見せる。


 なんと、先ほどまでの唸り声とはうって変わって、うめきのような声を上げながら一歩退いたのだ。

 それはまるで、ヤバいものでも見たかのよう。


 えっ、ちょ、なんでそんな反応?


 試しにオレは手にしたスタンガンを軽く振ってみた。するとゴブリンは大げさにのけぞってみせた。オレの一挙手一投足が恐ろしくて敵わない、といった様子だ。


「何かお前、めっちゃ避けられてね?」

 その始終を横から眺めていた祐樹がポツリと漏らす。オレはちらりと彼に目を向けると、小さく肩をすぼめて答えた。

「……な、なんか知らないけどすごい怖がられてる気がするな」

「どういうこっちゃ?」

「知らないよオレだって」


「もうちょいちょっと脅してみてくれよ」と祐樹の言葉を受けて、オレは一歩前へ出て見た。わざと大きめの音が出るように、しっかりと地を踏みしめて。するとゴブリンは可哀想なほど驚いた様子でびくっと体を震わせると、大きく一歩後ずさった。その後祐樹が同じように一歩踏み出してみたが、ゴブリンは祐樹に視線を少し合わせるだけで、何の動きもみせない。しかもその視線も、すぐにオレの方へと戻ってきた。


「ビビってるのは、お前にだけみたいだな」

「……なんで?」

「さあなぁ。童貞なんじゃね?」

「え、そういう理由?」


 先ほどまでの張りつめたような緊張感はどこにいったのか。ゴブリンの謎の行動によって、オレと祐樹は拍子抜けしてしまった。力が入って固まっていた肩を落とす。


「……いや、油断するな」

 しかし一方、神三郎の方は表情を硬くしたまま木刀を構えていた。


「でもよサブさん。あのゴブリンめっちゃビビってんじゃん。何か知らんけど。適当に追っ払えるんちゃう?」

「ゆけ、成一!」とまるでポケ○ンのように指示を出してきた祐樹。それにオレはふざけんなと渋い顔を祐樹に向けてやったが、目が合わなかった。諦めてオレは前に立っていた神三郎の横まで歩み出る。



「さて。私に楯突くってことがどういうことか、わかっているのかしら?」



 気取った態度で後ろ髪を払いながら、オレは高圧的にそう口にした。その直後、ふと冷静になってしまい、笑みで上がっていた口角が下がる。


 外見はよくても、中身が冴えない野郎だから気持ち悪くて仕方がないな。動画とか撮られていたら、無事死ねる。


「ノリノリやん、成一」

「うるさい黙ってろ」

 後ろから飛んできた祐樹のヤジに、即刻オレはそう返す。若干頬が熱くなっている気がするが、祐樹はオレの後姿しかみえていないはずだから、気づかれることはないだろう。


「おい、あまり刺激をするな!」

 そんなオレたちをよそに、神三郎は変わらず厳しい表情を浮かべていた。何かそんなに気掛かりなことがあるのだろうか。


 そんな心配しなくても、全然襲ってくる気配ないけど。これだけビビっているようだしさ。


 見るとゴブリンは、オレが前に出てきたことにより、もはや恐慌状態に陥っているようだった。十メートルほど離れているが、全身で震えていることがうかがえた。顔色も……人間と同じように変わるのか分からないけれど……どこか青白い気がする。


 ほんと、なんでそんなにオレばっかり警戒しているんだ? むしろこの中で一番弱そうなのは、オレな気がするんだけど。


 今この場の三人の中で、一番体格に恵まれていないのがオレだ。唯一の女性でもあるし、普通の感覚なら……まあこの場合人間のだが……警戒度的に一番低い気がする。何か決定的な価値観の差が、彼我にはあるということだろうか。


 何にせよ、さっきみたいに襲われるのは勘弁願いたいから、このまま逃げてくれ。


 あくまで見た目だけでも強気に見せながら、オレはゴブリンの動きに注視する。魔法でも一発かますわよと言わんばかりに、軽く腕を掲げて見せたりした。その内心は、ほとんど祈るような心地だったが。


 オレが腕を掲げるのを見て、ゴブリンはさらに怖気づいたように顔を反らせる。そのまま反転して逃げてくれと、オレは心の中で必死に祈りを捧げた。


 果たしてその祈りは天に届いたのか。


 次の瞬間、ゴブリンが金切り声を上げながら勢いよく駆け出した。



 オレの方に向かって。




「うわああああぁぁぁ!?」


 ぜ、全然祈り届いてねえ!?


 鋭利な爪を見せつけながら迫ってくるゴブリンに、オレはさっきまでの威勢はどこにいったのか、悲鳴を上げながら踵を返した。


「ちょっ、こっちくんな!?」


 なりふり構わず反転しただけだったので、逃げる向きなど一切考えていなかった。運が悪いことに、その退路は祐樹のすぐ横を駆け抜けるような位置だった。オレにつられて、祐樹も慌てて背を向けた。


「くそっ! だからあまり刺激するなと言っただろう!」

 オレたちが情けなく後退するのに合わせて、神三郎が焦ったように声を上げながら動き出した。その直後、物同士がぶつかる鈍い音が聞こえてくる。振り返ると、神三郎がゴブリンの凶刃を木刀でしのいでいる様子が目に入った。


「サブさん!?」

「いいから一旦退け!」


 そう叫びながら、神三郎はゴブリンの爪を何度か木刀でいなしていた。身長差の影響で、ゴブリンの攻撃は下からえぐるように飛んでくる。今でこそなんとかかわし切っているようだが、神三郎の顔には苦し気な表情が浮かんでいた。

「くそ、思った以上に重いっ」

 ポツリと漏らした神三郎の言葉に、一気に不安になる。もしかしたら、長くはもたないのかもしれない。


 ……じゃあその均衡が崩れた時、どうなるのか。

 オレの脳内に、大きく胸元を引き裂かれ大量の血を吹く神三郎の姿がよぎった。


 くそっ、絶対そんなことになってたまるかよ! ああもう、オレが調子こいてあんな挑発まがいなことしなければ!


 心の中で自身の行いを後悔しながら、オレは打開策を考える。

 恐らくゴブリンは恐怖状態が臨界点を超えたのか、形振り構わず攻めてきたといった感じだ。窮鼠猫を噛む……そんな状況だろうか。そんな相手を止めるには、意識を反らす何かがあれば良いか? 例えば、魔法とか――


 目まぐるしく立ち位置を変えるゴブリンと神三郎。そして断続的に響く鈍い音が、オレを執拗に逸らせる。


 今のオレはエルフなんだろ。なんで魔法の一つも使えないんだよっ。ああもう、あの高飛車エルフ、役立たずかよ!


 ルーイルスフェルからは、魔法が使えるなどと言われているが、肝心の使い方というところは教えてもらっていない。正確には、理解できるような教えられ方をしなかったのだが。



「――そうだ、スタンガン!?」



 そんな時。不意にオレは右手でもはや無意識に握っていたスタンガンを思い出した。気が付いてみれば、なぜ今まで思い当たらなかったのだろうと不思議に思うほど、力強い存在感が右手に存在している。

「何とかこいつを、ゴブリンに当てられれば」

 少なくとも、動きを止めることができる!


 ぐっとロングバトンを両手で握りしめ、オレはじっとゴブリンと神三郎の挙動を眺めた。想像以上に重いと言わせるゴブリンの攻撃をいなすため、神三郎は頻繁に立ち位置を変えている。そこに割って入るのは、相応の覚悟が必要だった。


 ……けど、やるしかないっ!


「サブさん! スタンガンを使うから、何とか隙を――」




「お、おいやべえぞ!?」




 オレが神三郎に向けて意図を伝えようとしたその時。何やら焦った様子の祐樹の声が、オレの声に被さってきた。


「おい、一体何だよ!?」

 不意に割り込んできた祐樹の声で、せっかくのなけなしの意志が薄れかける。それに不快感を覚えて、オレは祐樹に対して抗議しようと彼を振り返った。しかし彼はこちらを向いてはおらず、駅の方を眺めていた。いつの間にか、オレたちは建物の影から出ていたようだ。オレもつられて、祐樹が眺める方向に目を向ける。


「っ――」


 そして、言葉を失った。

 一体祐樹が何を気にしていたのか、悟ったからだ。



 祐樹が顔を向ける先、オレも遅れて目をやった駅前の広場。


 複数体のゴブリンがこちらへと押し寄せている様が映った。

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