第28話

 車の列に並び始めた当初は、一体この渋滞が何なのか、車の外へ出て確認しようとする者も多くみられたが。それも駅に近くなるにつれて少なくなっていった。車内をちらりと眺めると、ひきつった表情を浮かべる運転席の男性や、後部座席で興奮気味にスマホを操作する少女がうかがえた。前の方に並んだ車からは、しきりにゴブリンの横行が見えるのだろう。前者は異形のものを目にして恐れているようだが、後者はたぶんSNSでしきりに呟いている気がする。『ヤバいゴブリンまじうける』とかなんとか。いやまあ、分からないけれども。


「……どの程度の規模なのか分からないが。視認できるだけでも、一体二体という話ではないということがうかがえるな」


 陽総院家の車から離れて少しばかり駅の方へ前進、ある程度駅周りが見まわせるところまでたどり着いたオレたちは、交差点角の建物の裏に隠れながら様子をうかがっていた。

「うわ、めっちゃおるやん。大小さまざまなゴブリン様がうじゃうじゃと」

 建物の影からちらりと駅前広場を覗き込んでいる祐樹が、どこか興奮気味にそう口にした。


 その交差点からは、駅前のロータリーと歩行者用の広場を見ることができた。ロータリーは車がすし詰めのようになっており全く機能していない。そして歩行者用の広場には、人影はたくさんあるものの、そのすべてがただの人間ではなかった。


 ゴブリン……そう祐樹が呼称した人型の化け物が、何か所かに分かれて群れを成していた。


 ゴクリとオレは生唾を飲み込む。


「……なんか、信じられないというか。すごい現実感の薄い光景だな」

 見慣れた地元の駅にたむろする、見慣れないファンタジー世界の化け物。その光景がどうにも素直に納得できなくて、オレは呆けたように駅前を見つめることしかできない。


 しかし、オレの言葉に神三郎は首を横に振った。その表情は普段と変わらないように見えるが、内心緊張をはらんでいるということが、付き合いの長いオレには分かった。わずかだが、彼は緊張すると口元が開く。

「現実感が薄いかもしれないが、残念ながらここはリアルだ。奴らは俺たちが勝手に見る妄想ではなく、実物として確かに存在している」

「だが、それは逆に好都合でもある」と神三郎はちらりとオレと祐樹の手元を見下ろした。


「実態があるということは、断言はできないが、それが効く可能性が大いにあるということだ」

 そう言われて、オレは自分の右手を見下ろした。正確には、そこに握っているものを。


 オレの右手には、五十センチほどの黒い棒があった。これは先ほど陽総院家の車から外に出る際、運転手から渡されたものである。同じものが祐樹の右手にも握られており、運転手の説明では超強力なロングバトン型のスタンガンなのだという。


「あのゴブリンどもは、骨格が人間のそれと似た作りをしている可能性が高い。そいつの威力は、大の大人でも数秒は動けなくなるほど強力だ。もし襲われるようなことがあれば、ためらいなく使え」

「……でもサブさんは持ってねーじゃん」

 物騒なことを口走る神三郎に対し、祐樹がスタンガンで彼を指す。矛先を向けられた神三郎は「やめろ、危ないだろっ」と一瞬息をのんで身をのけぞらせた。


「……できれば俺も持っておきたいところだがな。生憎と二本しか持ち合わせていないと言われば、お前たちに譲るしかあるまい。お前たちは戦う術を持たないからな。対して俺の方は、一応だがこれの心得がある」

 神三郎は、そういうと自身の左手に握ったものを誇示するように、軽く上下に揺すった。


 神三郎が逆手で握っているものは、白樫の木刀である。


 世界に名を轟かせる陽総院家は、同時に古い名家でもある。あまり家のことに頓着しない神三郎であるからして、詳しいことは聞いたことはないのだが。それでも伝統として日本武道……剣道や柔道を嗜む必要があるらしい。本来なら稽古用にと車の中に置かれていたものを、神三郎は今回武器として持ってきたということだった。


「まあ確かに、サブさんつえーもんな。剣道部主将ですら、勝てねぇってぼやいたって話を聞いたことあるわ」

 祐樹の賛辞を受けたが、当の神三郎は肩をすぼめるだけで誇るような素振りは見せない。


 うちの高校の剣道部は、全国優勝の経験もある猛者だ。剣道部に所属する全国の高校生の頂点。そんな彼が『勝てない』などというのだから、神三郎の実力がいかにずば抜けているかがわかる。幼女にモテたいからって、こんな性転換装置なんて意味の分からないもの作るくらいなら、普通に剣道部所属すればいいのにと思わなくもない。


 ……でも、サブさんはよくわかってるんだろうな。いくら高校生で一番取ろうと、世間は狭いってことをさ。


「幼少の時分からやっている上に、教わる師の質が違うからな。部活動が悪いとは言わないが、流石に部活単位の実力者には負けることはない。……まあそれでも、次兄の足元にも及ばないのだがな」

 案の定、神三郎の口からはとある人物の名前が出てきた。


 次兄……陽総院神二郎。神三郎のもう一人の兄であり、現在は東京の大学に通う大学生だ。


 最近はあんまり会ってないけどな。元気にしてるだろうか。


「ジローさんか。やべーなジローさん、鬼かよ」

 恐らく神二郎の顔を思い浮かべているのだろう。虚空を眺めながら、祐樹が肩をすぼめながらそううそぶく。



「……まあ、今次兄の話はいい。それよりお前たち。あのゴブリンの様子を見て、何か気にならないか?」


 神三郎のその言葉で、別方向に向きかけていた意識を目下の状況に戻す。確かに、今はこの場にいない人物のことを思い出すような余裕はない。

「何か気にならないか、って言われても……」

 建物の角から、改めて駅前に群れるゴブリンたちに目を向ける。


 先ほどから変わらず、駅前の広場やロータリーには、数体から十体程度の群れが点在していた。それぞれには大小さまざまな個体が存在するが、どれも焦げ茶色の肌をして似たような姿かたちをしている。

 ……いや、よくよく見れば、ちょっとずつ違うことに気が付いた。


 しっかりと白髪交じりの髪が生えている者もいれば、体の起伏が他と異なる者もいる。起伏の方は……あれは雌の個体だろうか。どことなく顔つきも柔らかい気がする。と言っても顔から四肢から筋張っていて、人型と言えど人間とは大きく異なっているため、どれも似たように見えてしまうが。


 何体かに分かれて群れているのは、隊列でも組んでるのか? それにしては数がまちまちだし……。そもそもそんな知性があるのかもわかんないけど。


 何故ゴブリンたちはそれぞれで群れているのか。それをまじまじと観察しながら考えていたオレは、ふと気が付くことがあった。


 何だろう? なんかこのゴブリンたち――



「……なんか、えらいきょどってないか? あいつら」



 不意に悩まし気に呟く祐樹。その言葉に、オレもゴブリンたちから祐樹に視線を移して頷いた。

「そうそう。祐樹もそう思う? なんか、挙動不審というか……怯えてるみたいな感じだよな?」


 そう、改めてゴブリンたちの動きを注視してみると。彼らはしきりにあたりを見回して、事あるごと……例えば遠くでクラクションが鳴ったり、信号の色が変わったりすると、バッとその方向を向いてのけぞったりしていることに気が付いた。その様子は、人間の動きに挿げ替えると、怯えているといった感じか。

 中には好戦的なやつがいるのか、実際にその場から離れることはないが、立ち向かうかのように足を前に踏み出すものもいる。だが、大半がしり込みしているようだった。

 オレたちの意見に、神三郎も賛同なのか大きく頷く。


「俺も同意見だ。あのゴブリンたちは、恐らくこの世界そのものに怯えている。もしかしたら、意図して渡ってきたわけではないのかもしれないな」

「誰かに無理やりこの世界に召喚された、とかそういう?」

「事実かどうかは別としてな。そういう可能性もなくはない」

「あまり信じられないが……この状況を見るとな」と渋い表情を浮かべながら、神三郎がうめく。その様は、どことなく悔しさがうかがえるものだった。


 もしその説が正しいのなら、この世界にはゴブリンたちを召喚できるような魔法が存在するということ。今朝から魔法については多大な興味を示していた彼であるからして、先を越されたといった憤りを覚えているのかもしれない。


「……兎も角。まずは奴らがどこから現れているのか、探ってみるとしよう。もしゴブリンたちが恐慌状態に陥っているのだとすれば、下手に刺激を与えるとかえって逆効果かもしれん。武器は見せない方が良いかもしれないな。……会話が成立すれば一番容易いのだが、あまり期待はできないだろう」

「そういえばさっきゴブリンと睨み合いになったときに、何かしゃべってたっぽいんだけどさ。全く分からなかったよ」


 ゴブリンが放った金切り声。もしかしたらただの悲鳴だったのかもしれないが、オレには何か言葉を発しているようにも聞こえた。何を言っているのかは分からなかったが、少なくとも言語はありそうに思える。

 オレの証言に、神三郎が木刀を片手に腕を組み「そうか」と短く答えた。


「まあ、至極当然といえば当然だな。異世界出身のゴブリンが、都合よく日本語を話せるわけが――」


 ため息交じりの神三郎の言葉は、最後まで発せられることはなかった。


 彼が口を開いている最中のこと。不意に近くの街路樹が大きなざわめきを発したのだ。



「!?」



 オレたちは勢いよく音源である街路樹へと目を向けた。今は街路樹が揺れるような強い風は吹いていない。

 明らかに異常だった。


 ……何か、いる!?



「おい、何かいるぞ!?」



 オレの内心の叫びと呼応するかのように、祐樹が鋭い声を上げた。同時に手持ちのスタンガンを構える。合わせて、オレと神三郎も各々得物を構えた。


 その直後――



「~~~~~~!!」



 異音を放っていた街路樹の枝葉に覆われたところから、金切り声を上げながら、一匹のゴブリンが飛び掛かってきた。

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