第27話
「……に、逃げた?」
「……の、ようだな」
オレの呟きを聞きつけた神三郎が、窓からゴブリンが走り去った方向を眺め見ながら答える。そのままオレは数秒固まっていたが、やがて不意に体の力が抜けてぼふんと座席に座り込んだ。
「焦ったぁー……」
はぁーと大きくため息を吐く。今更になって、ドキドキと心臓が嫌な鼓動をし始めた。もしかしたら、元から鳴っていたが気が付いていなかっただけかもしれない。そんな自分の状態に気が付かないほどに、先ほどのエンカウントは衝撃だった。
「しかし、マジでいたなゴブリン……」
祐樹も緊張していたのだろう。オレと同様に大きくため息を吐くと、だらりと背もたれに体重を預けた。
「ふむ……」
その一方で、神妙な表情を浮かべる神三郎は、窓の外を眺めながらうなる。
「こうなると、半助の安否が気になるな。祐樹、あれから半助からの連絡はないか?」
「連絡か。そーいやあれ以来返信が――」
言われて祐樹がスマホを取り出したそのとき。偶然なのだろうが、取り出したスマホが着信を知らせるべく振動し始めた。
「お、噂をすれば。ちょうどござるから電話来たわ」
「ちと待ってろ」と断りを入れると、祐樹は電話をつなぎ会話をし始めた。車の中に断片的に祐樹の話声が発生する。
……よかった。どうやら、半助は大丈夫っぽいな。
詳細はよくわからないが、祐樹の物言いからして半助は怪我もなく無事なようだ。身動きは取れない状況のようだが。
「わかった。取り敢えず生きてんならええわ。落ち着くまではそこにいるこったな」
そう言い結ぶと、祐樹は通話を切った。その後ごしごしと画面を服で拭いながら、オレと神三郎を見回す。
「取り敢えずござるは無事だってよ。なんか騒ぎが起きた早々に、駅近のオフィスビルに逃げ込んだらしい。今は一緒に逃げた周辺の人たちと立て籠もってるんだってよ」
「そうか。それは朗報だ」
ふっと神三郎が小さく笑みを浮かべる。その後彼は表情を硬くすると、顎に手を当ててうつむいた。
「……そうなると、次はこの状況をどう打破するか、だな」
その言葉に、オレと祐樹も渋い顔を浮かべる。
この打破という言葉には、何個か意味がある気がする。ひとつは、この騒ぎそのものをどう収束させるかということ。二つ目は、立ち往生している半助をどう助けるかということ。
そして、同様に身動きが思うように取れない自分たちのこの状況をどうするか、だ。
仮に学校へ戻るとしても、車はこれじゃ動けないし、ここからだと徒歩はすごい時間がかかるんだよな。まあいけなくはないけど、そしたら運転手のひと置き去りになるしなぁ。
勿論オレだって、半助のことは気になる。出来ることなら助けに行きたいが。先も言ったように、この異常事態に対応する術を持っていない。このまま駆け付けたところで、ミイラ取りがミイラになるだけだ。
「どうすんだ、サブさんよ?」
祐樹も落ち着きがなさそうに、しきりに窓の外を気にしつつすがるように神三郎に声をかけた。
「…………」
神三郎は顎に手を当てたまま、目を閉じた。彼の頭の中では、目まぐるしく思考がなされているのだろう。その様子を、オレと祐樹は固唾をのんで見守った。
たっぷり数十秒は沈黙していただろうか。やがて神三郎はその切れ長の瞳を開けて、ちらりとオレたちに視線をよこしてきた。
そして、口を開く。
「……このまま半助を差し置いて逃げ帰るのは、俺の流儀に反する。俺は半助を助けに行く。お前たちは先に学校に……いや、車に残れ。徒歩で戻るよりは、恐らくこの車にいた方が安全だ」
「武器はあるか?」とそのまま神三郎は運転手へと顔を向けた。オレたちの意見は求めていない、といった意思を感じる。いや……彼の場合、危険なことに巻き込みたくないということの表れだろうか。
サブさん……。
オレは驚きなのか焦りなのか、はたまた安心なのか……よくわからない感情が渦巻くのを感じた。
オレは一体、どうすれば――
「……ああもう!!」
とそのとき。横で祐樹が苛立たし気に叫んだ。
「ちっくしょう! おいサブさん、そいつぁ卑怯ってもんだぜ」
ガッと勢いよく助手席の背もたれに手をかけ、身を乗り出す祐樹。見ると彼の表情は苛立たし気で、口元はへの字に歪んでいた。
「んなこと言われたら『はいそーですか』なんて言えるわけねえだろ! 立川家の異端児の異名を侮るんじゃあねぇ」
何だよその超地域限定な異名。お前ん家一般家庭だろ。
びしっと親指で自身のことを指しながら意気揚々と話す祐樹の傍ら、オレは思わず内心で突っ込みを入れた。
まあ彼も、適当なことでもいいから言いたかっただけなのかもしれない。自身の勢い付けのために。
その後祐樹は、はっきりと口にした。
「サブさんだけ行かせるかよ。俺もその救出作戦に参加させろ」
「祐樹お前……」
物言いに圧倒されたのか、神三郎は唖然とした様子で祐樹を見つめた。だがすぐにその表情は改められ、厳しい表情を浮かべはしたが。すぐにそれはなりを潜めた。
代わりに浮かんできたのは、苦笑であった。
「……全く。らしくない熱血ぶりではないか。何かに影響されたか?」
「体の九割は影響で構成されてる純正オタクですが何か」
「……純正と言っていいのか、それは」
小さくため息をつくと、やがて神三郎は大きく頷いた。
「……正直、助かる。力を貸してくれ、祐樹」
「おうよ。デブは動けるって、有史前から決まってるんだぜ? オレはデブじゃなくて小太りだけど」
ドンと祐樹は自身の胸にこぶしを当てた。同時にぷるんとそのお腹が揺れる。
「…………」
その一部始終を真横で見ていたオレは、完全に場の勢いに取り残されたことを感じ取って瞬きを繰り返すのみだ。ただ、その胸中は穏やかではない。
祐樹の奴、そんなあっさりと決断して……。そりゃオレだって半助を助けたいし、サブさんだけを置いていくなんてしたくないけどさ。
それは皆同じ考えだろう。だが、それを踏まえても自ら危険地帯に踏み入る決意を固めるのは難しい。神三郎や祐樹は、その点難なく突破できたようだが。
……オレは――
「無理はしなくていいぞ、成一」
とそこで。無意識にうつむいていたオレのもとに声がかかった。顔を上げると、神三郎と目が合った。その表情は普段と変わりないように見えるが、幾分か気づかわし気な雰囲気を感じる。
「どれほど危険があるのか分からないからな。細心の注意は払うが、下手をすれば大きな傷を負うかもしれない。祐樹は付き合うといったが、これは俺の我がままでもある。だから、お前は残ってくれても大丈夫だ」
「そうだぜ。ヒロインは勇者様のご帰還でも祈ってるこったな」
これから危険かもしれない場所に乗り込むとあっては、二人ともアドレナリンが多量に分泌されているのだろう。普段より幾分か声が大きい気がする。その熱に浮かされたか、オレの中でくすぶっていた不安が薄れていくのを感じた。
代わりに湧いて出てきたのは、反骨心であった。
くっそ、二人してカッコいいことしやがって。主人公気取りかよ。
オレだってなぁ……っ。
「……なんだよ。二人して変に盛り上がって、バカみたいだ」
オレはうつむきつつそう漏らす。するとそれを聞きつけた祐樹が鼻を鳴らした。
「おいおい、バカとはなんだバカとはよ。俺らは別に――」
「だってそうだろ!」
とそこでオレはガッと後部座席の背もたれを引っ掴むと、ぐいと祐樹達の方へ身を乗り出した。
「そんな話を目の前でされて、『いってらっしゃい』なんて言えるわけないだろ!」
「ち、ちかっ――」
オレが顔を近づけると、祐樹が情けない声を上げて気圧されたようにのけぞった。そしてまじまじとこちらを見つめてくる。
「何だよ、オレの顔に何かついてるか?」
「……てめえは今の自分の姿をよぉく考えるべきだ」
「何言ってんだよ。エルフの少女だろ。非力なのは分かってるわ」
「いや、そういうわけじゃねぇんだが……」
憎々し気によくわからないことを口走る祐樹をよそに、オレは神三郎の方を振り返った。
「とにかく。オレも半助の救出作戦に協力するから」
勢いのまま、はっきりとそう宣言する。言った後、オレは内心で苦笑を漏らした。
結局オレも、場の空気に流されやすい大馬鹿野郎だってことだな。
すると、神三郎は唖然とした表情を改め、大きくため息をつきつつ口元に笑みを浮かべた。
「――何だ。俺の友は揃いもそろって損得勘定ができない馬鹿者ということか。……俺も含めてな」
神三郎は自嘲気味にそうつぶやくと、運転手の方を振り返る。
「済まないが、三人で様子を見てくる。何でもいい、武器になるものはあるか?」
「………………。止めても、意味はなさそうですね」
「よくわかっているではないか。そういうことだ」
「……承知いたしました。少々お待ちください」
長いため息を吐いた運転手は、おもむろにシートベルトを外すと、なにやら足元を操作し始めた。
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