第22話

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 オレは白衣を着た女性が手渡してきた紙コップを受け取ると、小さく頭を下げた。見ると中身は緑茶のようだ。


「必要になりましたら、改めて声をかけさせていただきますので、ここで少々お休みください。何か違和感等ありましたら、すぐさまお呼びくださいね」

「はぁ……」

 女性は事務的だが、優し気にそういうと、個室から去っていった。




 あの後、部室から地下の研究所に移動したオレは、いつもと違う様子に驚いた。


 相変わらず、体育館ほどの空間を埋め尽くすように巨大な装置群が置かれている。だが、今日はそれらに加えて、今まで見たことがなかった研究員らしき人々の姿があった。


「本来は今の姿が通常なんだが。お前たちが使う放課後の時間は、配慮して出払ってもらっていたのだ。気軽に過ごせないだろうと思ってな」

 人が増えたことで、さらに研究所としての体裁が強くなった半面、ここうちの学校の地下だよな……? と現実とのかい離がひどくなっていく。


 確か許可は取ったとか言っていたけどさ。こんなに魔改造するなんて、校長理事長も想像してないだろうに。良いのかよ、本当に。


 驚くオレと祐樹に対しそう説明した神三郎は、すぐさま近くにいた研究員の一人であろう男性へと声をかけた。研究員は神三郎に何かしら言われると、研究所内をきょろきょろと見回した。その後お目当ての何かを見つけたのか、そそくさとその場を後にする。


 適当にその場で待つこと数分後、再び研究員が戻ってきたのだが。そこにはもう一人、白衣を着た女性の研究員を引き連れてきた。現れた女性研究員に神三郎は何か話し出す。その内容は聞き取れなかったのだが、女性研究員は一度頷くとオレの方へと近づいてきた。


「成一様。検査を受けていただきますので、どうぞこちらへ」

「え、あ、はい」

 声がかけられたのはオレだけで、祐樹はその場に残ることになった。


 その後女性研究員についていくと、通されたのは普段使っている教室の半分ほどの大きさの空間だった。そこには、薬品やらガーゼやらがしまわれたガラスケースのほかに、ベッドが三つほど置かれている。印象としては病院の診察室か、学校で例えるなら保健室といったところ。


 オレは、その部屋であれよあれよと様々な検査を受けた。身長体重からはじまり、尿検査や採血など、各種健康診断で行うような項目が続く。中には、人生で初めて経験したMRI検査などもあった。両親が時々人間ドックなどという言葉を使う時があったのだが、こんな感じなのだろうか。


 検査を進める過程で、制服からピンク色の貫頭衣に着替えたオレ。取り敢えずされるがままにあれこれ調べられた結果、何故か六畳くらいの個室に連れてこられ、こうしてお茶をつかまされたまま、ぽつねんと一人で椅子に座り込んでいた。




「……お休みくださいと言われてもな」


 オレはちらりと部屋の中を見回す。といっても、部屋の中は簡素なもので、やや大きめのベッドと、今座っている椅子と、目前に小ぶりなテーブルがあるくらい。テーブルの上には、呼び出し用なのかボタンが一つ設置されている。それ以外は本当に特に何もなく、調べるほどのものでもない。

「……せめてスマホくらい返してほしかったな」


 こういう時の最大の暇つぶしになる最強のツールであるスマートフォンなのだが。生憎と検査を進める過程で取り上げられてしまっていた。丁度面白そうなウェブ小説をみつけたので、こういう暇なときに読んでおきたいのだが……。


 オレはずずずとお茶をすすりながら、何となく椅子を回す。白一色で固められた部屋は、本当に殺風景である。短時間ならいいかもしれないが、ここにずっととなると、精神的に厳しいかもしれない。

「うーん。本当に何もないな」

 オレは椅子から離れると、ぼふっとベッドへと座り込んだ。そして、そのまま仰向けに寝転がり、ため息を一つ。


「いやぁ……でもなんか疲れたな」

 別に他人と話すことに抵抗を覚えるようなコミュ障ではないが。それでも知らない人……それも大人たちと会話していると、精神的に割とつらい。やはり気を遣うことで、気疲れを起こすのだろう。


「……もしかしたら、無意識にこの体にも気疲れしてるのかもしれないけどな」

 オレは何気なしに呟いたのち、今朝の夢のことを思い出す。研究所に着くや否や別室に呼ばれ検査が始まったので、夢のことは神三郎たちには共有できていなかった。


「『迷い込んできた魔族を殺せ』か。……本当にそんなことがあるのか?」


 改めて考えれば、おかしな話だ。いくらオレが二次元のファンタジックな世界に憧れているオタクであろうとも、空想と現実の区別くらいはつく。ここは現実世界であり、魔法やらなんだといったものは、介在しない世界である。魔法みたいに見えるものは、何かしら科学的な根拠があり、その理解が追い付いていないものが、魔法のように見えているだけ。そうちゃんと理解……というか悟るというか……しているつもりだ。

 だからこの世界は夢がないだの散々愚痴っているんだけどさ。


「一応この性転換とかいうぶっ飛んだ事例も、オレには全く理解できないけど技術があるっぽいし」

 だからこそ、夢の中でルーイルスフェルが発した言葉がにわかには信じがたかった。

「嫌にリアルに感じたとはいえ。性転換とか言う超科学? に触発されたオレの妄想が生んだ夢――って言われたほうが納得できるわな」

 そんな簡単にエルフやら魔族やらが迷い込んでこれるなら、この世界はもっとファンタジーにあふれててもおかしくないもんな。


「…………」

 オレは何気なしに顔の前に手を持ってくると、人差し指だけを伸ばす。そして、ぽつりと一言。


「……灯れ」


 すると突然、人差し指の先からロウソク程度の火が………………灯るわけもなく。

 何故か意味もなく天井を指さしながら、だらしなく脱力するエルフ風美少女ができあがるだけであった。


「……まあ、一応サブさんに言っておくだけ言っておくか」

 祐樹に話したら『妄想乙』などと馬鹿にされるかもしれないが、神三郎ならなにかしら頭をひねった回答をくれるだろう。

 あの夢が、意味のあるものなのか否か。


 そのままぼーっとベッドの上に寝転がる。何やら体中からピリピリとした違和感を覚えるような気がしなくもないが……。もしかしたら、思った以上に神経を張り巡らせていたのかもしれない。やはり慣れないことはするべきではない――


「……ふわぁ」


 ぼんやりと虚空を眺めていると、不意にあくびが漏れる。程よく室温・室湿調整がされているのか、未だ朝起きてさほど経っていないというのに眠気が湧き出してきた。

「……――」

 別に抗う必要を感じなかったオレは、抵抗することなく瞼を閉じる。


 その後、たぶん数分は意識はあったと思うが、気が付いたらオレはうたた寝をしていた。






『あ』


 気が付くと、オレは再びあの神秘的な景色が広がる森の中に立っていた。そして呆然と立ち尽くすオレの目の前には、今朝見た色違いのエルフ……ルーイルスフェルの姿が。

 本日(?)二度目の邂逅である。


「あんだけ苦労して繋げたと思ったら、今度はすぐに繋がるなんて。ちゃんと言われた通り四六時中寝てたとか?」

「んなわけないだろ。……というかあんた、何やってんだ?」

 初対面の時は、美少女な上相手の性格がわからなくて臆していたオレだったが。もうなんか遠慮する必要はないんじゃないかと思い、下手に言葉を選ぶようなことはしなかった。


 オレは何故か膝を折って地面をいじっていたルーイを見下ろしながら問いかける。すると彼女は、なにやら不機嫌そうに眉をひそめて、自分の足元を指さした。

「今日無駄に手間取らせたくそ魔物がいてね。憂さ晴らしにこの空間で好き放題いじってたの」

「……うわぁ」


 ルーイが指さした先には、親指ほどの大きさをした芋虫状の物体が、無数の枝に串刺しにされて宙吊りにされたおぞましいオブジェがあった。恐らく、この芋虫みたいなのが件の手間取らせた魔物なのだろう。

 ドン引きである。


 憂さ晴らしに夢の中で串刺しとか、どんだけサイコパスなんだよこいつ。


「まあ、この程度にしておきましょう」

「……度が過ぎた『この程度』だな」

 ぱんぱんと手を払いながら立ち上がるルーイを、オレは半眼になりながら見つめた。


 相変わらず可愛い顔をしているのに、性格が……というか、性根が良くない。


「で? 魔族は殺せた?」

 あっけらかんと物騒なことを口にするルーイ。オレは首を横に振る。

「いや……。そもそも、魔族ってなんだよ。なんでオレたちの世界に魔族が現れるんだ?」

「……魔族を知らない? 呼び名が違うのかしら。いるでしょ、アンタたちの世界にも。これみたいな気持ちの悪い奴らが。建物くらいの大きさがあって、人を丸呑みするような」


 そう言ってルーイはつま先で宙吊りにされた芋虫を指す。その動作で再び猟奇的なオブジェを見る羽目になり、オレは少し眉根を寄せた。


「いないいない。そんな怪物は、空想上の存在だよ。オレの世界には実在しない」

「は? じゃあ魔力は? 魔力はあるでしょ。アンタみたいな保有者がいるんだから。魔力があれば、あいつらなんて勝手に増えると思うんだけど」

 オレの言葉に、ルーイは信じられないものでも見るかのような視線を向けてくる。そんなこと言われても、ないものはないのだ。


「残念ながら、魔力とか魔法とかも空想上のもの扱い。オレの世界には、そんなファンタジックなものはないよ」


 ホント、残念なことにな。


 ファンタジーに憧れる少年であるからして、この世界のつまらなさには本当に嫌気がさす。高二のガキが何を言っているんだという話だが。


 ルーイは、何か考え込むように軽くうつむき口元にこぶしを当てる。ぶつくさと口元で呟いているが、内容までは聞き取れなかった。

 やがて彼女は、小さくため息をつくとこちらを見つめてくる。


「……まあアンタの世界に魔族たちが行くっていうのは分かっているし。殺してくれなきゃ、下手すれば私に面倒ごとが回ってきかねないし。……面倒だけど、アンタに一から魔法を教えるわ」

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