第21話

 目を開けると、視界いっぱいに見慣れない天井が広がった。とっさにオレの口は、何かを考える前に言葉を紡ぐ。


「……知らない天井………………じゃ、ないわ」


 いつもと違う場所に自室のものではない照明がぶら下がっているせいで、知らない場所なのかと一瞬思ってしまったが。天井の材質は自室のそれと同じだし、なんなら寝る前の記憶がよみがえってきたため、ここが我が家の母親の部屋だということを理解した。

 某国民的作品の台詞は残念ながら適用外だった。


「……なんだったんだろうな、さっきの夢」


 オレは傍机の上で一生懸命アラームを鳴らしているスマホに手を伸ばし、黙らせる。先ほど夢の中で最後聞こえてきた電子音は、このスマホのアラームのようだった。夢の中ではこもって聞こえていたせいで気が付かなかったが、改めて聞けば同じ音だとわかる。

「というか……夢、だったんだろうか?」

 夢というには、いささか鮮明過ぎたように思う。今だって、寝起きの割には頭がよく動いている。まるで本当に別の世界に誘われて、活動していたかのようだ。


「姿は……エルフのままか」


 上半身を起き上がらせて、オレは自身の体を見下ろす。先ほど口にした声質からも予想はついていたが、見下ろした先には女もののパジャマに隠された胸のふくらみがうかがえた。そして耳元に触れると、通常とは異なるとがった形状であることがわかる。部屋の隅にあるドレッサーの鏡を見れば確実なのだろうが。そんなことをしなくても、自分の姿が昨夜と変わらずエルフのままだということは、想像がついた。


「……ルーイっていったっけ。あの子」

 夢の中に出てきた、今の姿と瓜二つの少女。確か本名は……ルーイルスフェル。

 瓜二つではあるが、金髪碧眼の自分とは違う、銀髪と銀色の瞳。そして初対面の相手にも、物怖じせずに罵倒するほどの強烈な性格。第一印象としては疑問も多いことが相まって最悪だった。


 よくもまあ、あそこまで他人を見下した態度がとれるもんだ。顔はよくても、あれだけ性格がひねくれてたら、減点だな。


「言ってること意味わかんねえしさ。結局何が言いたかったんだろ」

 それはそれとして。彼女がほんの少しだが語った内容について、少し思案する。


 言い草的には、彼女は別の世界の住人(夢にまで見た異世界人! 父さんは詐欺師なんかじゃなかった。やっぱり異世界(ラ○ュタ)はあったんだ!)で、彼女は自分の能力を持った分身をこの世界に作り出すために、何かを行ったのだろう。その結果、何故かオレが対象に選ばれてこうして彼女の姿を取っている。

 そして、彼女がそんなことを行った目的とは――



「迷い込んできた魔族を殺せ……って言ってたな、あいつ」



 夢の世界が崩壊する直前、彼女が放った言葉。途切れて最後まで聞き取ることはできなかったが、確かにそう口にしていた。


「……ということは」

 オレはベッドのすぐ隣にあるカーテンを開ける。夏が近づきつつあることを知らせるような強い日差しに目を細めた。外を見やると、申し訳程度に整備した庭先と、その先にある道路で犬を連れたおばさまたちが談笑をする光景が見て取れた。

 ごくありふれた、何の変哲もない、平和な住宅街だ。


 一体どういうものかはわからない。

 でも少なくともその言葉の印象は穏やかなものではないし、漫画やアニメのセオリーだったり彼女の言い分からみるに、相容れない存在なのだろう。


『魔族』……。もしここに、その魔族が現れるとしたら。



「……ここが、戦場になるのか?」



 本来なら妄想だろうと片付けられることなのだろうが。幸か不幸か、その情報を持ってきた彼女自身が、そんな有り得ない存在を有り得るものとして証明してしまった。


 オレは背中にうすら寒いものを感じながら、きゅっとカーテンを握る手に力を加えた。







「うぃーす」

 ガラリと扉を開けて気だるげな声とともに部室に入ってきたのは、祐樹だった。


「せっかくの土曜日なのに、学校に来るとかナンセンスじゃね? しかも朝から! こりゃおっぱいの一つでも揉みしだかにゃ気がおさまら――」

「朝っぱらから何言ってんのお前!?」


 開口一番で最高に気持ち悪い発言を繰り出してきた祐樹に、先に部室にいたオレは思わず声を上げる。あくびを漏らしながら顔を反らしていた祐樹は、そんなオレの声に反応してこちらを振り返ってきた。


「おお成一。早速変身してんのか。気が早いな。この際そのしみったれた貧相おっぱいでもいいや。揉ませろ」

「しね」

「おうふ、新感覚。やっぱ罵倒も悪くねーな。目覚めたわ俺」

「……こいつもうだめだ」


 朝からアクセル全開かよ。罵倒されて回復するとか、もはや最強じゃないかと思う。憧れは絶対しないけど。


 それはそれとして。

 オレは目を覚ました後、神三郎の招集に答えて学校に赴いていた。


 休みの日と言えど、校内に入る際には制服が義務付けられているため、オレは今女子の制服を着込んでいる。やはりスカートの感覚には、慣れない。こんな低防御力でよくもまあ歩き回れるよなと思う。……今は自分に返ってくるが。


 けれどスカートを折りわざと短くして、紙装甲をさらに弱くする気持ちは、オレには分からない。痴女かよ。そこに目が行っちゃうオレもオレだけどさ。


「来たか、祐樹」

 と、そこで部室の隅に置いてある教師用の机で作業を行っていた神三郎が、椅子を反転させてこちらを向いてきた。同じ制服を着て学年も一つしか違わないのに、どこか眠たげな祐樹とは雲泥の差で、出来る男といった印象の神三郎。彼はくいとメガネの位置を直すと、楽し気な声を上げた。

「見ろ祐樹。未だに姿が変わったままだぞ。凄いと思わないか?」


 そういってスタスタとオレのもとへと歩み寄ってきた彼は、ポンとオレの肩に手を置いた。そこいらの普通の女の子なら、そこでキュンと胸を高鳴らせるのかもしれないが。生憎とオレは普通の女の子ではないので、何の感慨も浮かばなかった。


 周りが見えなくなると、こうやって不躾にスキンシップをしてくるから。……さぞ色んな人を泣かせてきたんだろうなぁ、この人。


 身の回りでは最大の被害者(?)である一華を想像しながら、オレは小さくため息を吐いた。本人は幼女にしか興味がないというところが、さらに事態を悪化させる。

 そんな話は置いておいて。神三郎の言葉に、祐樹が驚いたように目を見開いた。


「未だにって……まさか、今朝変身したわけじゃなく、昨日のあの後からずっと?」

「ああそうだ。俺も今朝改めて姿を見て驚いた」

「正直オレ自身も、朝起きても姿が変わってなかったから驚いたわ」

「…………」

 信じられないといった様子で、祐樹はオレの全身を眺めてきた。


 つま先からすらりと長い足を経て、同様にすらりとスリムな胴体へ。ちょうど胸元あたりで視線の上昇が止まり、ぱちくりと瞬きをした祐樹は。やがて小さくため息を吐いた。


 ……おいこいつ、今何見てため息つきやがった。


「……ところで。まだござるは来てねーのか?」

 文句の一つでも言おうとおもったのだが、オレが何事か言う前に、祐樹はオレから視線を外して部室を見回した。その言葉をうけて、神三郎が自身の腕時計を見下ろす。


「確かに約束の時間が迫っているのに、まだ来ていないな。時間を守る半助にしては珍しい」

「いつもギリギリのお前と違ってな」

 オレが鼻で笑いながらそう煽ると、祐樹が「はぁぁああぁん?」と低い声でうなりつつ、眉をひそめて変顔を作った。


「うっせーな貧乳エルフ。今日は時間通り来てやっただろ」

「なんでや貧乳関係ないやろ。しかもなんでそんな上から目線なのお前」

「貧乳を馬鹿にするな祐樹。幼女は無乳だがそれが良いんじゃないか」

「しれっと問題発言をしないでくれます!?」


 ほんとこの男は、残念イケメンだな! いつか衝動が抑えきれなくて捕まったりしないだろうな。もし捕まったら、絶対『いつかやると思ってました』って答えるぞ。


 相変わらず犯罪者予備軍……というか、場所によっては完全にアウト……な発言をする神三郎。彼は軽く顎に手を当てて何かを思案していたが、すぐに顔を上げた。


「仕方がない。半助が不在だが、先に始めてしまおう」


 そういうと、彼は「研究所に降りるぞ」と掃除用具入れ……の形をしたエレベーターへと歩を進める。オレと祐樹はお互いをちらりと眺めた。先に始めると神三郎は言っていたが、一体何を行うのかは聞いていない。データを採取するとは聞いているが……何をするつもりだろうか。

 もしかしたら祐樹は何か聞いているかもと思ったが、彼も思い当たることはなさそうな様子だった。


「まあ、一応ござるには連絡しとくわ」

 そういいつつ、祐樹はポケットからスマホを取り出すと、ポチポチといじりながら神三郎の後に続く。横をすれ違う時、たまたま彼のスマホのホーム画面が目に入った。


 ……こいつ、自分を待ち受けにしてやがる。いや自分と言っていいのかどうかは、怪しいところだけどさ。いつ撮ったんだよあれ……。


 彼のホーム画面は、性転換した自分のバストアップ画像だった。彼の趣味なのか、はかなげに微笑むその姿は、とても綺麗だ。

 だが中身がこの男だと知るオレには、その笑顔も額面通りに受け取れず、何とも言えない気持ちになった。

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