第19話
気が付くと、オレはよくわからない空間の只中にいた。
まるで水の中にいるかのように、ぼんやりとして何にも焦点が定まらない。かといって実際に水の中にいるわけではないのか、息は問題なくできている。緑や焦げ茶の色がにじんで、まるでマーブリング画の中に迷い込んだかのようだった。
……ここは?
オレはもっと周囲を観察しようと体を動かそうとする。だが、どうにもうまくいかない。というか、体が動いている気がしない。感覚が希薄というか……まるで自身の体が存在していないかのような、そんな印象を覚える不思議な状態だ。
夢……か?
当然ながら、現実世界では有り得ない状況に、オレは何となくそう思い浮かべる。この思考が変に靄がかっているのも、それっぽい。
そんな時、ふと何かの音が聞こえてきた。その音は、抑揚や音の強弱が混ざり合っていて、人の声のようにも聞こえる。
……いや、人の声だ。
『強く自分というものを思い浮かべなさい。貴方は、誰?』
オレは……誰か? そりゃ、オレは茅賀根成一で、ただの男子高校生――
謎の声に思わずそう考えたところで、不意にあたりの景色が鮮明になった。
「うおっ」
急に四肢の感覚が現れだした。突然現れる地面の感触に、オレは思わずたたらを踏む。体のバランスが落ち着いたところで、オレは改めてあたりを見回した。
先ほどまでは緑や焦げ茶のにじみ程度しか認識できなかった景色。それは、うっそうと茂る木々たちに変貌していた。
どこから光が差しているのか分からないが、あたりは明るく、瑞々しい木々や草花があたり一面に広がっている。現実世界のものとは思えない、まるで精霊が住んでいるかのような、神秘的な場所であった。
「な、なんだここ……」
ぽつりと言葉を漏らしたところで、オレはふと気が付いた。
「あれ、元に戻ってる?」
骨を伝ったり、直接耳に入ってくる声の質が男のそれだ。両手を見下ろしてみると、学校指定のカッターシャツからのびる、見慣れた自分の……男の時の手がそこにはあった。
ここで目が覚める前……という表現が正しいのかどうか、よくわからないが……オレは美少女エルフの姿でいたはず。寝る直前まで、神三郎とその話をしていたのでよく覚えている。
「……よくわからないことだらけだな」
ここはどこなのか、なぜこんなところにいるのか、どうして自分は元の姿に戻っているのか、そして先ほどのあの声の主はだれなのか――
分からないことが多すぎて、オレの思考は半ば停止していた。
そんな時。再び声が聞こえてくる。
『どうやら安定したみたいね。少し待ちなさい。今そっちに行くわ』
どこから聞こえてくるのは分からないが、声質からして女性だろうか。そちらに行く……ということは、待っていればこの声の主が来るということか。
とはいえ、特にやれることもなく呆然と突っ立っていると。不意に目の前の空間の一部が歪み始めた。空中のある一点に周りの景色が吸い込まれるように渦を巻き、何もない空間に人ひとりがくぐれるような穴が発生する。
「な、なん――」
訳が分からず後ずさるオレをよそに。その穴をひらりと何者かが潜り抜けてきた。
現れたのは、長い銀髪をポニーテールに束ねた少女だった。
勢いよく潜り抜けてきたのか、着地とともに膝を曲げて低い姿勢をとったその少女は、ひらりと髪が垂れて落ち着いたあたりで、ゆっくりと立ち上がる。
「初めまして。もしかしたらこの顔でピンとくるかもしれないけれど――」
そういって少女は、自信ありげにこちらに目を向けてきた。
彼女は、十代中盤に見える細身の少女であった。
さらりと流れる銀色の髪がとても美しく、目鼻立ちも非常に整っており、誰に聞いても美少女だと答えるであろうクオリティ。髪の色と同じ銀色の瞳が己の自信を示すかのように強い光をたたえており、それもまた愛らしい。同年代の少女たちと比べたら、やや小ぶりな胸をしているようだが、全体的にスリムな体型をしているおかげで、モデルのような美しさがある。
……ていうか、何か見たことのある子だな。
そう思い立ったところで、オレはとある部分を目にしてはっと気が付いた。
目についたのは、彼女の耳。
それは、普通の人間とは異なりややとがっていた。
その少女はなんと。
オレじゃん!? いや、オレじゃないけど、オレじゃん!?
オレが性転換装置で変わり果てた姿と、髪や瞳の色が違えど瓜二つであった。
その少女は、まじまじとオレの姿を見ると、その目を大きく見開いた。
「は、お、男じゃない!?」
驚愕といった様子で、エルフ少女は大げさに後ずさる。かと思ったら、何か思い立ったのか、びしっとこちらを指さしてきた。
「まさかアンタ、体は男だけど中身は女とか、そういう類の人間かしら?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「じゃあなんで男なの!?」
「そんなこと言われてもなぁ……」
普通に男に生まれたから、男なだけなんだけど。
突然オレの姿を見るや喚き散らし始める、性転換したオレとそっくりな少女。ちょっと状況に追いつくことのできていないオレは、少女にただ圧倒されていた。聞きたいことは山ほどあるのに。
その後少女は顔をうつ向かせてぶつくさと口元で何やらつぶやき始めた。断片的に『間違い』だとか『失敗』だとか『冴えない男』とか聞こえてくる。どうやら彼女にとって、オレがここにいるということが予想外だったようだ。
だが『冴えない男』は余計だ。自分でもそれはよーくわかってるけどさ! 他人に言われたら傷つくんだよ。
「……ねえ、アンタ」
オレが訳も分からず心にダメージを追っていると。不意に少女がこちらをにらみつける。それは思った以上に力があるのか、オレは少し圧倒された。自分より身長も体格も小さな少女にも関わらず、まるで自分よりも大きいやつを相手にしているような威圧感だ。
「私のこと、どこかで見たことある?」
少女は自分のことを指さす。それにオレはおずおずと頷いた。
見たことあるというよりは……最早『なったことがある』なんだけどな。
「どこで見たの?」
「どこで、って言われても、どう説明すればいいのか」
単純に彼女の質問に答えるのならば、学校で、ということになるが。恐らく彼女もそういうことが聞きたいわけではないだろう。そもそも、学校と行って通じるかどうかも分からない。
「じゃあ、質問を変えるわ」
オレが返答に窮していると、少女はあっさりとそう口にした。その後、ずばっと問いただしてくる。
「アンタ、私の姿になったでしょう」
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