第18話

「はあああぁぁぁ……」


 ボフン、と目の前に広がるベッドに体を沈め、オレは脱力する。そして、うつ伏せで目の前がシーツで何も見えない状態のまま、大きくため息を吐いた。

「……全然マシだな」

 少しの間そのままの状態で呼吸をしていたオレは、不意にもぞりと頭を持ち上げる。そしてぽつりと漏らすと、続いて体を反転させ天井を見上げた。


 今オレがいるのは、母親の寝室である。風呂から上がり、再び自室へと突貫をしかけたのだが。やはり部屋の不快な臭いに長時間居座ることができず、いないことをいいことに母親の部屋を借りているのだった。


 ちなみに、父親の部屋はオレの部屋以上に無理だった。臭い問題を悟ってしまったため、今後父親とどう接していいのか少し考えてしまう。……まさか「お父さんの服と一緒に洗濯しないでよね!」というよくあるセリフの、娘側の気持ちがわかる日が来るとは。父親側じゃないのかよ。


「しっかし……。未だに変身が解けないって、オレの体は一体どうなってるんだ?」

 何気なしに、オレは右腕を持ち上げて照明へとかざす。

 男の時とは似ても似つかない、細く色の白い華奢な腕。見慣れた自分の腕とは異なる、女の子の腕だ。


「……もし仮に、装置がぶっ壊れたりしたら。ずっとこのままだったりするのか……?」

 もやもやと、このままの姿が日常化した未来を妄想する。




 朝。眠い目をこすりながら準備をして、鏡の前で自身を見直す。


『よし、今日も私きれい!』


 学校に行くと、男子生徒の気持ちがわかる女子として、どちらかというと男子に囲まれる生活を送る。


『あーこいつら、何だかんだ私を異性として意識してるな?』


 放課後は基本部活に行くが、時々顔を赤くした男子生徒に校舎裏に呼ばれて、告白を受けたり。


『……ごめんね。私、今誰とも付き合うつもりはないの。良いお友達でいましょう?』


 家に帰ったら、森林の香りの入浴剤を使ってお風呂でリラックス。


『ふぅー。……あまり成長しないなぁ』


 寝る前には軽くストレッチをして、良い眠りと体形の維持に気を遣う。


『さて、今日も一日お疲れさま。おやすみなさい』




「――ないな」


 薄気味悪い自分の妄想に半眼になりながら、オレは吐き捨てるようにつぶやいた。

「誰だよこいつ。オタサーの姫かよ」

 一体どこからこんな妄想が湧き出てきたのか。自分のことながら疑問への回答を見いだせないまま、オレはため息をついた。

「仮に壊れて戻れなくなったとしても、そんなことにはならんだろうし。その前に意地でも壊れたら直してもらうわ」


 上半身を起こして、オレはベッドに腰かける。壁に掛けてある時計を確認すると、いつもよりは少し早いが、寝るには悪くない時間であることがうかがえた。

「ちょっと早いけど……。まあ、もう何か今日疲れたし。寝るか」

 そう口にしたところで、ちょうどよくあくびがもれる。無意識に漏れた艶めかしいうめき声に、自分のことながら少しドキッとする。


「…………はぁ」


 自分の声にドキッとしてどうする……。


 オレは一度ため息を吐くと、そのままベッドから腰を上げ、部屋の入口に備え付けられた部屋の照明の電源へと向かった。



「……ん?」



 が、ベッドから一歩踏み出したところで。不意にベッド脇の傍机の上に置いたスマホの振動に気が付いた。特徴的なテンポで三度短く振動するその動きは、チャットアプリの通知だ。誰かが自分宛てにチャットを飛ばしてきたか、あるいは自分が所属するグループで誰かが発言したか。


「誰だ、こんな時間に」

 オレは踏み出した足を元に戻して、再びベッドに腰かけながらスマホを引っ掴んだ。と思ったら充電ケーブルをさしていたおかげで、少し手元までは届かない。仕方なくオレは、ベッドに腰を下ろした状態で上半身を横に倒した。


「……て、サブさんか」


 スマホの電源ボタンを押すと、ホーム画面に通知が表示される。そこに記されたアプリからの通知には、神三郎の文字があった。立て続けにコメントが投稿されたのか『二件の投稿があります』といった内容になっていた。一件だけなら、ホーム画面上で内容を確認できたのだが。


 オレはポチポチとスマホをいじり、チャットアプリを起動させる。最新の投稿主である神三郎の名前が、履歴の一番上に表示されていたので確認しに行く。


『夜分にすまない』

『状況はどうだろうか?』


「そっか、サブさんからしたら実験中なんだもんな。気にもなるか」

 オレはフリック操作で文字を打つ。このとき、指の長さがいつもと違うせいか少しだけ手間取った。


『未だにエルフのまま。戻る気配は今のところないね』


 チャットを送信すると、即座に既読の文字が付く。どうやらアプリを起動したまま、待っていたようだ。


「うおっ」


 返信を待つ間に、SNSの更新でも確認しようと一旦ホーム画面へと戻ったところで。不意にスマホが振動し始めた。同時に画面上に先のチャットアプリの通知が現れ、受話器のマーク……通話ボタンが表示される。送信主は、神三郎であった。


「まじか」

 オレは充電ケーブルを引っこ抜くと、上半身を起き上がらせて通話ボタンを押した。その後耳元にスマホを持っていく。変に耳がとんがっているせいで、何か少し違和感を覚えるが、通話には問題なさそう。


「もしもし?」

『……本当にまだ戻っていないんだな』


 開口一番に聞こえてきたのは、うめくような声色だった。恐らく、通話の声がエルフの少女状態のそれで驚いているのだろう。

 オレは片手をベッドにつきつつ、上半身を少しのけぞらせた。見えていないのは分かっているが、何となく肩をすぼめる。


「そう、まだ戻ってないよ。さっきも言った通り、戻る気配もない状況」

『……湯とか被ってみたか? あるいは水とか』

「漫画じゃないんだから……。いや、この状況自体が漫画みたいなもんだけどさ。……風呂には入ったよ。何にも起きなかったけど」

『ふっ……堪能はしたようだな』

「……………………いや、普通に風呂入っただけだし?」

 自身の胸をもんでハイテンションになっていたことを棚に上げて、オレはしれっと答えた。


 胸を触るくらいなら、ノーカンだろ。某大ヒット男女入れ替わり映画だって、入れ替わったとき自分の胸鷲掴みしてたじゃん。大丈夫大丈夫。


 謎の理論で自分の行いを正当化していると。『冗談はこれくらいにして』とスマホ越しに神三郎の声が耳に入る。

『やはりどこか根本的に、俺たちの変化とは違う何かがあるのかもしれないな。ううむ……一応ダメ元で聞いてみるが、何か心当たりがあるか、成一?』


 神三郎もこの状況に随分と悩まされているようで、オレにも意見を求めてきた。当然のことながら、技術的な部分について神三郎が思い当たらない原因に、オレが気付くわけがない。オレがわかることは、実際体感したことで見えるようになった男女の差異くらいだ。野郎は臭い。……う、心が。


「んー……。変身時間に影響しそうな原因だろ? ……いやあ、さっぱり思いつかないなぁ」

 言いつつオレはぼふんとベッドに倒れこむ。


 オレ以外の面子は、皆数十分という変身時間が精々で、未だ一時間の壁すら突破していない。だというのに、オレだけは数時間経った今でも、変身は解けずにエルフの美少女をやっている。その点を鑑みるに、先ほど神三郎が口にした通り、やはり特別な何かがオレの変身時には作用しているのではないか。……それが現状のオレたちの……というか、陽総院兄弟の見解である。


『……明日、改めてデータを採取させてくれ。もしかしたら時間がかかるかもしれないが、念入りに。現状何が要因となっているのか、見当がついてないからな。とれるデータは取っておきたい。構わないか?』

「ああ、別にいいけど。変に痛いものじゃなければ」

『採血くらいはさせてもらうかもしれんが、まあ善処しよう』

「全力で善処して、まじで」

 オレは若干食い気味にそう申し出る。


 彼の性格上、あまりに非人道的なことは絶対にしないと、今までの経験上言えるのだが。かといって常識的な人物かと問われれば返答に困ってしまう。それが陽総院神三郎という男だ。ついでに神一郎も同様の人種である。何なんだこの兄弟。


 その後集合時間と場所を伝えた神三郎は、早々に通話を切断した。理由として、彼はこの後も少しやりたいことがあるとかなんとか。一般的な男子高校生徒とはどこか離れた価値観を持っているため、まさかナニをするなんてことはないと思うが――


「何考えてるんだか。ナニだけに――」


 ……アホかオレは。


 思わずつぶやいてしまったくっっだらない言葉に内心突っ込みを入れつつ、オレは再びスマホに充電ケーブルをさして傍机に置いた。ついでに、寝坊しないようにとアラームもセット。


「……もしこれで、朝起きたら別人格に体乗っ取られていました、とかなったら怖いな」

 不意にそんな不吉な想像が脳裏をよぎる。その手の話は、漫画やゲームなどでは度々出てくる。だが逆に現実離れしすぎだと思えて、オレはすぐさまその考えを改めた。

 いや、さすがにそれはないだろう。


 ………………ない、よな?


 とは言ったものの。現状がそもそも漫画やゲームなどで度々出てくるシチュエーションの最中であるからして。だったら先の人格乗っ取りも確率的にはゼロではないのでは――


 部屋の照明のスイッチに手をかけたまま、若干葛藤を覚えたオレだったが。そのとき不意に漏れたあくびと眠気に、すぐさま屈服した。睡眠欲の前には、考えても解の出ない問題は些事である。


 というか、嫌なこと考えて夢見を悪くしたくない。



「……寝よう」



 パチンと潔く電気を消したオレは、ベッドに潜ると早々に意識を飛ばしたのだった。


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