第17話
「……」
普段比較的派手目な着こなしをしている一華にしては、驚くほど清楚なレースの入ったワンピース。本人曰く、買ったはいいが似合わなくてクローゼットに眠らせていたという一品を借用したオレは、彼女とともに夕飯の買い出しを行った。といっても、どちらも料理はできないので、出来合いのものしか買わなかったが。
時はそんな夕食を平らげ、幾ばくかくつろいだ後のことである。
オレの後ろに、無言で一華が立っている。
ちらりと振り返ると、腕を組んでこちらをねめつけている様子が見て取れた。
「……な、なんだよ」
一体彼女が何を考えているのか、さっぱり見当がつかない。先ほどまでは普通に会話していた。むしろ女の子になっているのが功を奏しているのか、今までにないほど会話する機会が多かったほどだ。
だというのに、なんだこの殺気は……。
……いやまあ、殺気なんてそんな御大層なものわかりませんけどね。
兎も角、穏やかな雰囲気ではないことは確か。一体彼女が何を考えているのかさっぱり見当がつかないオレは、おずおずと問いかける。すると一華は腕を組んだまま、ふんすと息を吐いた。
「下種の兄貴がキモイことしないか、監視するため」
「お前実の兄をなんだと思ってるんだよ……」
オレは妹のあまりの言いざまにがくりと肩を落とす。そしてはぁとため息を吐きつつ、視線を前に戻した。
オレの目の前には、一枚の扉がある。その先にある部屋は……脱衣所だ。そしてそのさらに先には、日本人の魂、命の洗濯とも称されるお風呂場が。
オレは今、風呂に入ろうとしているのだ。
未だ真夏には届かない気候ではあるが、ある程度外に出ればそれなりに汗ばむ季節。不快な感触を洗い流そうと風呂場に足を延ばそうとした結果、何故か一華からにらまれることになった。先の彼女の言葉から察するに、オレが女の子の体になったことをいいことに、何か不埒なことをしでかすのではと思ったのだろう。
「普通に風呂入るだけだっての」
オレはスライド式の脱衣所の扉を開く。オレの前に一華が風呂をいただいているので、もわっと熱気が頬を叩く。加えて女性もののシャンプーの香りが鼻孔をくすぐった。
場所が場所なら『これが女の子の香りか!?』とかなるのだろうが。生憎とそんな浮ついた気分にはならなかった。さすがに妹の入浴後の匂いでハアハアするほど、オレは落ちてはいなかった。
…………良かった、オレはまだまともだ。
それはそれとして。
そこまで信用がないと、むくむくと反骨心が芽生えてきた。
「いいから、何もしないから。なんもないから、風呂くらい普通に入らせろ」
「あ、ちょ――」
ぴしゃりと、一華が何かを言う前に脱衣所の扉を閉める。少しの間扉の前に一華の佇む影が見えたが、やがて足音とともに消えた。
「……はぁ、やれやれ」
思わずオレはため息を吐く。それと同時に肩を脱力させた。
「つっかれたなぁ……」
そうぼやきつつ、オレはもそもそとワンピースを脱ぎにかかる。思った以上に疲労がたまっているのかもしれない。気のせいだとは思うが、いやに肩の動きが悪く感じた。
「外に出たら、もう視線の嵐……。まあそりゃあ、こんな容姿してりゃ目立つわなぁ」
ワンピースを脱いで下着姿になると、ふと視界に入った洗面台の鏡に向き直る。
鏡に映るのは、ややとがった耳を持つ、碧眼の見目麗しい少女だ。大人びた感じではなく、どちらかといえば幼く可愛らしい顔つき。その下に続く肢体は、やや肉付きが薄いとはいえ、女性らしいラインを有し、見るものを惹きつける。まさに文句の付けどころのないスレンダー美少女だ。
「……まあ、中身がオレじゃなければな」
唯一かつ致命的な問題があるとすれば、間違いなく中身が伴っていないという点であろう。中身が自分でなければ、それこそ目が離せなくて、不審がられて通報されるくらいであろうに。通報されちゃうのかよ。
しかしやはり自身が動かしている体だと思うと、どうにも冷静になってしまう。綺麗だとは思うが、性的な目では見られない。
「この急に現実に戻される感じが、なんとも言えない微妙な気持ちにさせるよな……」
意志をもって口を動かせば、鏡の向こうの美少女も同じように動く。その途端、視線を惹きつけて止まないエルフの美少女は、冴えない男子高校生であるオレだという認識に早変わりするのだ。それは何ともやるせない気持ちにもなるだろう。
「……まあいいや。取り敢えず風呂入ろう」
オレはそうぼやきつつ、スポーツブラに手をかけた。
これもこう……普通のブラジャータイプじゃなくて助かったよな。ホックがどうのって言われても、分かんないし。
などと、とりとめもないことを考えていると。ふと、完全に脱いだところで改めて鏡に映る自身が視界に入った。
そういえば、用を足すときに下を脱いだことはあっても、上はまだ脱いだことはなかった。どちらかというと胸を抑え込むような下着を着けていたせいで完全には見えていなかったふくらみが、解放されて目の前に映る。結局下着を脱いだところで薄いことには変わりないが、非常に、あの……綺麗な双丘が。
「………………」
オレはゆっくりと手を持ち上げる。いけないと思いつつも、その手は確実に自身の胸へと近づいていく。
「……おふ」
ぽふん、と柔らかい丘に手のひらがたどり着く。下着越しではない生で触るのは、実はこれが初めての童貞野郎だ。
ああ……なんて心惹かれる感触なんだ……っ。
確かに、おっとりお姉さん化した祐樹の胸には到底かなわないだろう。もしかしたら、自分よりも小柄な半助のそれにも劣るかもしれない。
けれど、違うのだ。
問題なのは、大きさではない。大きさの差異など些末なもの。
これは……そう、存在そのものがすでに至高の一品なのだ。
ビバ、おっぱい!
自身が動かしている体だから性的な目で見ることはできない、などとうそぶいてしまったが。所詮男子高校生の強がりなんて、ただのハリボテでしかなかった。
「ねえ、兄貴――」
そんな時。不意に脱衣所の扉の向こうから、一華が声をかけてきた。いつの間にか戻ってきていたようだ。予想だにしていないタイミングでの声に、驚いてビクンと体が跳ねる。
「ひゃ、ひゃい!?」
口に出た返事は、普段のそれとは明らかに違う。誰が聞いても、当人の動揺っぷりを推し量ることが出来よう。
それは一華も同じのようだった。
「…………兄貴?」
先ほどかけてきた声の質から数トーン落とした、地の底から湧き出るような、どすの利いた声。心臓が弱い者なら、聞いただけで失神してしまうんじゃないかと思われるその声に、オレは震えあがる。
「何やってたの?」
「な、なな、な何も? ふ、普通に風呂入ろうと思っていただけだけどぉ?」
「…………そう」
これ、絶対納得してないやつじゃん。
自分の体を抱きながら、オレはちらりと廊下に続く扉の方を盗み見る。一部すりガラスになっているため、扉を開けずとも向こう側に一華が佇んでいることがわかる。動きがないのが、逆に怖い。
一体この後どんな罵倒が続くのだろうか。恐々としていると、直後扉の向こうから大きなため息をつく音が聞こえた。
「……まあ、男女が入れ替わればそんなもんか。その体、もしかしたら別の人のものかもしれないんだから、大事にしなよくそ兄貴。私の使ってるシャンプーとかボディソープとか、使っていいから」
そう言い残すと、彼女はさっと扉から離れる。ややあって、リビングの扉を閉じる音が聞こえてきた。
そこまで耳にしたオレは、力の入っていた肩を下げる。
「……映画に助けられたか」
どうやら一華は今回の性転換を、某青春映画のように、どこぞの誰かと体が入れ替わっていると判断したらしい。エルフなんてこの世界にいるとは思えないが、量子がどうの基底状態がどうのと説明されるよりは、よっぽどわかりやすいだろう。
「……取り敢えず、風呂入るか――」
なんだか一気に酔いがさめたかのような感覚を覚えたオレは、いそいそと下を脱ぎ始めた。
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