第10話

「っぷふ、良い反応をするではないか」


 その声にご満悦の様子の神三郎が、そそくさと教室の方へ足を運んでいく。彼らに遅れる形で装置を出たタイムラグが利いているのか、未だに姿の変わらぬ身のまま、オレは神三郎の後を追う。そして扉の前まで行くと、ひょいと窓から中を窺った。


「……うわぁ」

 そしてその惨劇に頭を抱えた。



 神三郎の言った通り、扉の向こうは普段オレたちが使っている教室の風景そのものであった。しかも地下だというのに、窓の向こうは夕焼け空の映像が広がっている。ご丁寧に証明まで夕日っぽく加工されていた。まさに放課後の教室といった装いだ。その再現度たるや、ここが地下であることを忘れてしまいそうなほど。


 その教室なのだが、今は整えられているはずの机の列が盛大に崩されていた。そして床に這いつくばる二人の男子生徒の姿が。言わずもがな祐樹と半助であるが、何故だが彼らは二人ともズボンを半分ずり下ろした状態で倒れ伏していた。

 そして気が付いたことに後悔したのだが、両者ともパンツにテントを張っていた。すごい勢いでしぼみつつあったが。


「……何やってたんだよ、こいつら」

 オレは呆れ気味にため息を吐くと、横に立つ神三郎を眺める。彼はいたずらが成功した子供のような表情を浮かべていた。こいつも大概だ。


「お前らはなんでそんな無様を晒してるんだ?」

 オレは再度ため息を吐くと、がらりと教室の扉を開けて中に入った。オレの声を聴いても、彼らは床に横たわったまま動こうとしない。

 かと思ったら、おもむろに祐樹が顔をそむけたまま半助を力無く指さした。


「……そのみすぼらしいテント仕舞えよ、ござるよぉ」

「……そっくりそのままお返しするでござる」

 対して半助も言い返すが、祐樹同様その声には覇気が無い。

 二人とも等しくグロッキーであった。


「サブさぁん、こーんなに変身解けるの早いんだったら、先に言っててくれよう。危うくファーストキスが野郎とになるところだったんだぜ?」

「お前ら、そんなことしようとしてたのかよ……」

 直ぐには動こうとしなかった二人だが、やがて心の整理がついたのだろう。数分後ようやくもそもそとズボンを引き上げだした祐樹と半助。よくもまあ中身が男と知っていてそこまでの行為をしようという気になるものだ。案外演技とか向いているのではないだろうかと、内心オレは思った。


 着崩れた制服を正している二人を、呆れ半分感心半分といった何とも言えない表情を浮かべて眺めていると。神三郎が楽し気に両手を開いた。

「急に戻る恐怖、分かってくれたか? 俺もこの時間制限には辟易していてな。勿論大きな目標は敵である女を知るというところだが……是非ともこの実験に明日からも協力してほしい」


「……そりゃもう吐きそうになるほどよぉくわかりましたよ、くそったれ」

「これでは満足になり切ることも叶わんでござるからな……。この実験の可能性は身に染みるほど感じた故、協力は惜しまぬでござるよ」

 まだどこか顔色が悪いようにも見えるが、どことなくやる気のようなものを垣間見せている祐樹と半助。彼らの様子に、神三郎も満足げに頷いた。


「うむ! 流石は我が友たちだ! 勿論成一も協力してくれるだろう?」

 彼の言葉に、その場にいる全員の視線がこちらへと流れてくる。


 まあ確かに、すごい技術だと思う。そして半助の言葉を借りることになるが、何か可能性のようなものをひしひしと感じる。それこそ、自分の価値観を思いっきりひっくり返しそうな勢いの、途方もないブレイクスルー。体験してみてその思いは一層強くなった。


 変身する前こそ、なーんか忌避感抱いてたけど。これはこれで面白そうだよな。違う自分になるって。


 しかし最後まで渋っていた自分がそのようなことを言うのは、いささか現金かもしれない。そう思ったオレは、その場の視線を一身に受けると気恥ずかし気に目をそらした。

 だが、ぽつりとつぶやく。



「……まあ、皆がやるっているんだったら、オレも協力しないわけにはいかないだろ」



「はいはいツンデレ乙」

「っ…………」

 鼻で笑いながらつぶやいた祐樹の言葉に、オレは何か言い返そうと口を開きかけた。しかし、自分でも先の発言はそうとしか捉えられないよなと思ってしまったオレは、結局何も言葉を紡ぐことなく押し黙ってしまった。


 ぐう正論。






「しっかし。変身終わったのが最後だったとはいえ、なんか随分と長くね?」

「よっこらせ」と年寄りくさい言葉を吐きながら近くの椅子に座りこんだ祐樹。彼はおもむろにオレを指さしながらそう口にした。


「……言われてみればそうだな」

 彼の言葉に一度ちらりと自身の体を見下ろす。そこには女子制服に覆われた少女の体があった。そんな大きくはないとはいえ、男にはない魅惑の双丘がそこに。

 今は自身の体だとわかってはいるのだが、何となくじろじろ見るのは悪いなというのと、変な感情が湧き上がってきそうで、オレはそっと視線をそらした。童貞ゆえの余裕のなさが如実に表れている。


「俺ら何分くらい変身してたっけ?」

「……さて、時間は確認してなかったでござるからなぁ」

 ちらりと黒板の上に掛けられた時計を眺めてみても、何時変身したのか分からないため、現在時刻が分かっても仕方がない。

 関係ないが、普段の日ならそろそろ帰ろうかという時間帯だった。


「祐樹と半助の変身時間は、おおよそ九分弱といったところだ」


 とそこでそう答えたのは神三郎であった。彼は自前の本場スイス産の高級腕時計を見下ろした後、胸ポケットに仕舞っていた小さい手帳を取り出すと、何やら書き込み始める。


「これまで実験した被験者の初回平均変身時間のバラつき内には収まる。まあ強いて言えばやや長かった……程度の差だ」

 そこで言葉を区切ると、神三郎は片手でぱたんと手帳を閉じた。その後ちらりと隣に立つオレの方を見下ろす。ついでに腕時計も。


「対して。成一が変身してから……今で丁度十五分だ。初回変身時間としては、最長記録でもある」

「何故成一氏はそこまで長く姿を変えられているのでござるか?」

「……って、言われてもな」


 その疑問はオレ自身だって抱いているものだ。神三郎の物言いだと、変身時間には個人差があるようだが……。一体何がそんなにも影響しているのだろうか。


 祐樹や半助になくて、オレにあるもの……。或いは、その逆。いや、選んだ姿にも影響するのか? だとしても、そこまで時間が延びる要素ってなんだ?


「……サブさん。何かわかる?」

 自分じゃさっぱり思いつかなかったので、助け舟を要請すべく神三郎の方を振り返る。だが当の彼も、その表情はあまりすっきりとしたものではなかった。

 彼はしばらく顎に手を当てて考え込んでいたが、やがて小さく息を吐くと頭を振った。


「……正直俺にも理由は分からない。結論から言えば、その姿でも安定しているということなのだが。『何故』という原因はさっぱりだ。元々まだ実験の域を出ないものだからな。何か俺たちが把握していない要素があるのかもしれない」


 そう言いながら彼の視線は、オレの足先から頭のてっぺんまで忙しなく往復する。それは女性を見定めるようないやらしいものではなく、まさに実験のサンプルの外観を確認しているがごとくだった。

 気味の悪い視線を受けるのは勘弁だが、これはこれで居心地が悪い。


「……少し待っていろ。長兄とディスカッションしてくる」

 そう言い残してそそくさと教室を後にする神三郎。残されたオレたちは、そんな彼に何も声をかけることが出来ず、茫然と出て行った扉を眺めることしかできなかった。






 それからニ十分ほど、同級生三人でこの性転換実験について話し合っていると。神三郎が神一郎を連れて再び戻ってきた。


「……驚いた。未だに元に戻っていないのか」


 相変らずエルフ風美少女の姿を取っているオレを一目見た神一郎が、珍しく目を見開いて驚いている。


「どう思う、長兄?」

「ううむ……」

 整った顔立ちのイケメン二人が、すごい熱い視線を送ってくる。

 オレがもし見た目通りの美少女であったのなら、もしかしたら胸がキュンとするシチュエーションなのかもしれない。だが残念ながら、オレ自身に女性と言う意識は一切ない。野郎に熱心に見つめられても全く嬉しくなかった。むしろ相変わらずイケメンな兄弟だなおい、と嫉妬心の方がむくむくと湧き上がってしまう。

 世界はもっとフツメンに優しくしてくれてもいいと思います。


「……既に三十分以上経過しているのか」

 神三郎同様、神一郎も高級腕時計を所持しており、それを見下ろしながらぽつりとつぶやく。その後彼は何やら神三郎に言伝ると、間もなく教室を後にしていった。


「成一。ちょっといいだろうか?」


 神一郎が去った後も教室に残った神三郎。彼はオレを呼ぶと、小さく手招きをしてきた。先ほどの神一郎の反応と言い、恐らく未だにオレが元に戻っていないことに相当の衝撃を受けているのだろうと思う。イレギュラーらしいことに、段々とオレも不安になってきた。


 もしかしたら、元に戻れないとかそういうことがあったりする……?


 神三郎の呼びかけに応じて彼の元に行くと、ポンと肩に手を置かれた。

「まさかここまで安定して姿を維持できるとは、俺たちも想像していなかった。取り敢えず今日の実験はここまでにして、お前には一旦元の姿に戻ってもらおうと思う」

「元に戻るって、戻る時は勝手に戻る訳じゃないの?」


 脳裏に浮かぶのは、神三郎が男の姿に戻る時に発生した発光現象。彼の話と先ほどの惨劇を見る限り、変身は時間で勝手に解けるのではないかと思ったのだが。

 しかしオレの問いに、神三郎は首を横に振った。


「いや、それはあくまで想定外の方法だ。本来想定している運用形態は、変身した後は同様に装置を用いて戻るようになっている。だから変身したら戻れないということはない。安心するといい。今回は初回かつ予想外の結果が得られたから、念のための措置だ」

「そ、そうか」

 オレは神三郎の言葉に小さく安堵の息を吐く。さすがに元に戻れないと言われると焦っていたところだ。オレは別に女の子になりたいなどという願望は持っていない。この実験に参加したのだって、ただの知的好奇心と周りに流されただけに過ぎない。

 ほんとだよ?


「まあ、取り敢えず今日は成一が元の姿に戻ったら解散としよう。元々変身も今の段階では一日一回が限度だ。今後さらに改善をしていこうと思っているが、まだ評価が不十分でな。今日の結果も、これから精査する予定だ。お前らの協力に感謝する。そして今後もぜひ手を貸してほしい」


 いつの間にか近寄ってきていた祐樹と半助、そしてオレを順繰りに見つめながら、神三郎はそう口にした。そうして彼はオレを手招きすると、再びあの装置へと誘うのだった。

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