第6話

『さて。稼働させる前に、お前たちに二つほど忠告をしようと思う』


 ケースの中でぼんやりと突っ立っていると。不意にケースの天井付近から幼女神三郎の声が響いてきた。ちらりとメインコンソールのあたりを見下ろすと、パネルをぱちぱちと叩く神一郎の横で、彼はコンソールから伸びたコンデンサー型のマイクを手にしている。


『今からお前たちには、俺と同じく女性になってもらうが。どのような姿になるかは、お前たちの精神や思考に依存する。つまり、こういう女性に目が行く、女性になるならこうなりたい……という意思が反映された姿かたちが作られるのだ。だから、自分がどのような女性になりたいか。今の時間で思い浮かべてくれ。これが一つ目』

 その後間髪入れずに『二つ目は』と神三郎は続ける。


『一度その姿に変わってしまうと、以後何度変身しても同じ姿になるということだ。これは俺や長兄自身が実証済みだ。俺が最初にこの姿を作った後、二回目以降いくら全く違う幼女を思い描いたとしても、この姿以外にはならなかった』

「いや幼女から離れるという選択肢はなかったのかよ……」


 オレはぼそりとつぶやいたが、こちらの声は届かないのかはたまた無視を決め込まれたのか。『違う幼女も試したかったが、無念だ』とやけに熱弁をふるう彼は、反応を見せなかった。


『兎に角。この二つを先に伝えておく。それをかみしめながら、後……一分ほど待機していてくれ。用意が出来たら、準備が出来たか判断を仰ぐ』

 ちらりと神一郎の様子を窺った神三郎は、そのように締めくくるとマイクを戻した。同時に、静かな駆動音がケース内を支配する。




「……どういう女性になりたいか、か」


 オレはぼんやりと自身の描く理想像を思い浮かべる。だが、改めて言われるとぱっと浮かんでこない。


「現実の女性は、あんまりまじまじと見てこなかったから参考にしづらいな。そうなると、思い浮かべやすそうなのは、アニメやマンガのキャラか」


 残念ながら、男ばかりと遊ぶ今までの人生だったため、現実の女子の好みが自分でも把握できていない。それよりも、二次元ならば割とぽんぽん好きなキャラが出てくるのは、やはりオレも生粋の二次オタということだろうか。そりゃ彼女の一つもできないわけだ。二次元ばかり追い求め、現実の好みが分からないのだから。


「嫌なこと気がついちゃったなぁ……」

 オレは天井を仰ぎながら呻く。だが、今はそんな嫌な感傷に浸る時間はない。早く何かしら姿を決めなければ、今後後悔しかねない。


「今後も変身するかどうかは、別として……」


 オレは取り敢えず最近見たアニメを思い浮かべる。何個か思い浮かべたなかで、あれも違うこれも違うと取捨選択をしていく。そうしてしばらく頭を悩ませた後、最終的に残ったのは、とあるアニメ作品のヒロインだった。


 そのヒロインは元々都内の片隅に住むごく普通の少女だった。だがひょんなことから頭のねじがぶっ飛んだような性格の女性に見初められ、魔法少女として現実世界の裏側でひっそりと暗躍する魔の物たちと戦うことになる。

 このヒロイン、基本的に性格は明るく誰とでも仲良くなれるタイプの子なのだが。意外と突っ込みが秀逸で、陽気な雰囲気に反してドライな反応を示すのが、個人的に好みだった。

 ただこの少女をチョイスするにあたって、難点が一つ。


 ……今の幼女なサブさんと年齢的に同じくらいなんだよなぁ。


 そのヒロインは小学五年生。ようやっと年齢が二桁になった程度の幼い少女なのだ。その割に冷静な突っ込みをするあたりギャップがあって良いのだが、それは今別問題。


 こんなん選んだら、皆からロリコン扱いされそうだ! サブさんのことも言えなくなってしまうっ。


 オレの主張としては、たまたま好みの性格の女の子で思い浮かんだのが、そのヒロインだったというだけだ。別に見た目がどうのとかではない。いやまぁ、見た目も好きなんだけども。




『そろそろこちらの準備は整った。お前たちの用意は良いだろうか?』


 いや待て、どうせ中身は自分なのだから姿はもっと別の奴がいいのでは。そう思い立ったあたりで、残念ながら神三郎の声が振ってきた。慌てて横に並ぶケースに目を向ける。どうやら祐樹も半助も腹は決まっているようで、悠然としていた。むしろ、こちらを振り向いて『まだか?』と口を動かして急かしてくる。


 ああもう、ええわ! どうせ今回ぽっきりですぐ飽きるだろうしな!


 実際そうなるかは分からないが、オレは自身にそう言い聞かせて考えることを放棄した。

 いいじゃない幼女。自分で自分を愛でるなら合法だろう。


『……よし、皆準備が整ったようだな。それでは、実験を開始する。槽の中の三人は、目を閉じておいてくれ。装置が稼働すると、視界が揺れて気持ち悪くなるからな。終わったら、また声をかけるから、それまで我慢してくれ』

 オレがコンソール前にいる神三郎へ軽く目配せして頷くと、こちらの意を汲んだ彼はマイク越しにそう指示してきた。


 この勢いで、オレも女の子に変身するのか……。


 半ば勢いでこの場に立っているが……改めて考えると、あまりの常識はずれっぷりに頭がくらくらしてくる。体を変わる……しかもそれは一部ではなく、性別さえもがらりと変えるほどの変化。一体、どのような感覚なのだろう。やはり急に体格や重心が変わることで、戸惑ったりするのだろうか。それとも、意外に違和感なく動けるのだろうか――


 ……まあ、ここまで来たらあれこれ考えても仕方ないか。なってみればわかるだろ。


 半ば投げやりな心持で、オレはゆっくりと目を閉じる。その実、疼きすぎてどうしようもない好奇心を、無理やりにでも抑えつけようとした心の防衛反応であった。


 オレが目を閉じたその直後、ひと際大きな駆動音がケースの中に響いた。恐らく、先ほど外から見ていた黒いシャッターが下りたのだろう。いよいよ実験が始まるぞと、気持ちが逸る。オレは変に強張った体をリラックスさせようと、大きく深呼吸を――




 っ!?




 突如、体の感覚の一切が消え失せた。それは何の前触れもなく。驚いて反射的に目を開けようと試みるも、自身の体だというのに全くいうことをきかない。


 おいおい、なんだよこの感覚は……っ。


 オレは内心戸惑いを隠しきれない。こんな感覚は初めてだった。まるで空気の体を持ってしまったかのような、希薄な感覚。自身の体の所在を確かめるため、腕を動かそうと神経に働きかけるも、その神経そのものが消失したのではないかというほど、何の手応えもない。


 既に立っているという感覚すらない。いや、むしろ今自分は立っているのだろうか。それ以前に、人間としての形を保っているのだろうか。それすらもわからない。


 気が付くと、耳障りなほど響いていた機械音も聞こえなくなっていた。その事実に気が付いたころには、次第に意識にぼんやりと靄がかかり始めていた。意識が無遠慮に、何かに侵食される感覚を覚える。

 このままでは、『オレ』という存在そのものが侵されてしまいそうだ。


 ……これ、本当にだいじょう――


 あまりの変化に、オレは不安感を抱いたが。

 次の瞬間には、意識そのものが刈り取られた。







『……だ』


 不意に、何か音を耳がとらえる。その音に、オレは暗闇の中から意識が浮上する感覚を覚えた。


『意識がはっきりしていない可能性もあるから、もう一度言う。実験は終了した』


 まるでまどろみから這い上がるかのように、意識が覚醒し始める間。その間で、先ほどの音が誰かの声であるということに思い至った。年端も行かない幼い少女の声だ。その声は、歳不相応に聞こえる落ち着いたものだった。


 ……一体、だれだ?


『気が付いたか? 気が付いたのなら、すぐに足を出せ』

 何処からともなく聞こえてくるその声に、オレは曖昧な意識の中で疑問を覚える。


「…………?」


 本当に起き抜けなのか、すごく頭がぼうっとする。疑問を覚えたのは良いが、その行為以上の思考が働かない。そもそもなぜ疑問を覚えたのかすら、曖昧になりそうな気分だった。


「……」


 オレはゆっくりと、半ば無意識にまぶたを上げる。ぼんやりと視界に映ってきたのは、透明なガラスの壁だった。その一部に、開閉できそうな枠組みが拵えてある。そんな見慣れぬ景色は、信じられないことにこちらへとゆっくりと移動しているようだった。


 ……え、なんで。


 この数瞬で幾分か動くようになりつつあった意識が、その現象を奇妙と捉えた。その壁は、近づいてくるとともに、何故かゆっくりと上昇しているようにも見える。現に、先ほどまで見えなかったガラスの壁の根元が窺えるようになってきた。ますますおかしい。


 そこでオレは、ようやくとある感覚に気が付く。

 それは、平衡感覚。

 三半規管が伝える、体の姿勢だった。オレの体内で働く機構が、正確に現状を認識させる。


 違う、これは壁が近づいているのでも、ましてや上昇しているわけでもない。

 今オレは、前に倒れようと――




「……っ!?」




 ふらりとかかとが浮き始めたくらいのタイミングだった。オレは慌てて右足を突き出す。すり減って頼りない上履きの先から、しっかりとした床の感覚が伝わってきた。それと同時に体から不安定さが失われる。

 なんとか転倒は免れた様子。


「……??」


 オレはまじまじと突き出した足を眺めた。どうしてオレは立ったまま意識を失っていたのだろう。確かにそんなに寝つきの悪い質ではないが、立ったまま寝るなんて奇行が出来るほどでもないと自負している。じゃあ一体――


 その疑問がそれ以上続くことはなかった。何故なら、そんなことがどうでもよくなるような事実に、気が付いてしまったからである。


 ……なんだ、この足は。


 転倒を避けようと慌てて突き出した己の足。本来なら、男子制服のズボンに覆われた面白みもない足が拝めるはずなのだが。そこにあったのは、程よく肉付きの良い太腿がまぶしい、スラリとした生足だった。よくよく観察すれば、その足はうちの高校の女子制服のスカートから伸びているし、膝下からは黒いハイソックスに覆われている。全体的にスラリとした装いに見える感じが、個人的に非常にポイントが高い。

 それはそれとして。


「…………あぁ、そうか」


 そこまで知覚して、オレはようやっと事の次第をなんとなく把握することが出来た。

 一体オレは、意識を失う前に何を行っていたのか。そして、今のこの状況。若干……どころかかなり不安感が拭えないところはあったのだが、どうやらこれは――



「実験が成功した……ってことか」



 ぽつりと漏らした声。それはいつも発している野太い男の声ではなく。

 どこか凛とした中に甘みのある、可愛らしい女性のそれであった。

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