第2話

 どれほどの時間が経過したのだろう。やがて我に返ったオレたちは、示し合わせたかのように同時に口を開いた。



『…………は?』



 いわゆる天才肌の神三郎が突飛な発言をすることは、今までも多々あった。だがここまで頭のねじが飛んだ発言は、オレの記憶の中ではなかったと思う。……いやまぁ、ないことはなかったか。

 それにしたって長年の付き合いでも流石に理解できない発言に、オレたちは動揺を隠せなかった。あまりのことに、祐樹は読んでいた漫画を閉じて机の上に戻し神三郎に向き直る。


「ど、どうしたんだいサブさんよ。まだ頭の中は春一色ですかい? もう春は終わりに差し掛かってるぜ。春のパン祭りだって、もうとっくの昔に終わってますけども?」

「当然そんなこと百も承知だ。俺はいたって平常。例年通りパン祭りの皿も回収済みだ」

「……何気に集めておったのだな」

「いやそこじゃないだろ。……詳しい説明をしてくれないかな、サブさん?」

 ちょっと衝撃が強すぎて宿題に身が入りそうにないと感じたオレは、潔くペンを置いて神三郎に向けて説明を要求した。


「良かろう」

 オレの言葉に気をよくしたのか、彼は気取った様子で教壇へと寄りかかり足を組んだ。


「先ほど孫子の言葉を引用したわけだが。敵を……ここでは女子と置き換えるが、彼女らのことを知るためには一体どんな方法があるのだろうと、最初に俺は考えた。直ぐに思いついたのが、本人たちから直接聞いてみることだった。そうなるとすぐ動きたくなる俺の性分でな、すぐさま俺はこの高校のすぐそばにある小学校へと足を運んだんだ」

「なんで小学校に足を運んだんだよ……」

「それは俺が仲良くしたいのが、十歳以下の幼女たちだからだ」

 オレの半分呆れ混じりの言葉に対し、神三郎は何故かキリリと眼光鋭く見返してきた。そこからは揺るがぬ意思が窺える。……内容はさておき。

 彼はそれだけでは飽き足らず軽く顔を天井に向けると、何かを反芻するかのように目を細めた。



「あの華奢な体躯、特有の丸い顔、耳に心地よい鈴の鳴るような声……是非お友達になってぺろぺろしたい」



「通報したほうが良いのではなかろうか?」

「通報すっか」

「やめろお前たち。貴様らは身内から犯罪者を生み出したいのか」

「さもオレらが間違っているような口ぶりだけど。誰がどう聞いてもサブさんの方が間違いだからな? この場合……」

 三人そろってスマホに手をかけたのを見て、神三郎は待てとばかりにばっと片手を突き出してきた。その後腕を戻し、わざとらしく咳払いをする。


「……まあ、今のは失言だった。話を戻すが、最初のアプローチは不発に終わった。流石に見ず知らずの男に問いかけられれば、警戒もするだろう。昨今は心無い不逞の輩が横行する世界だからな」

 先ほどの発言の後でよくもそんな他人事のような発言ができるな……とちらっと思ったが。素なのか突っ込み待ちなのかはわからなかったが、面倒なのでオレは黙っておくことにした。すると彼は、別段気にした様子もなくさらに口を開き始める。

 ……どうやら素だった模様。


「兎も角だ。そんな様子であったから、止む無く俺は第二案を画策した。次に行ったのは、男でも女のことが分かるもの……どんな女も落とせると豪語する一級ナンパ師の話を聞くことだった」

「一級ナンパ師」

「斯様な職が存在するのか」

「ああ、存在した。話を聞くと、その界隈では誰もがその名を耳にするほどだという」

 途轍もなく胡散臭いにおいを感じたオレたちが困惑気に顔を見合わせていると、神三郎は頷きながらそう口にする。

 しかしその直後、彼ははぁと小さくため息を吐いた。

 話を聞いたときのことを思い出しているのか、横にそむけた顔に浮かぶ表情は、少々苛立たしげだ。


「だが、こいつも期待外れだった。何かしら根拠のあるような発言をしていたが、その実中身が一切ない伽藍洞の理論だったのだ。誰が化粧くさいOLなぞ落とそうと思うか」

「……いや、俺らそれでいいんですけども」

 祐樹がぽろりとそう零したが、神三郎は一切聞こえていないかのように片手を広げ、語気を強くした。



「だから俺は最終手段を考案した! もういい、他人が当てにならないのならば、自分自身がなってみるしかなかろうと!」



「そこが頭おかしい程話が飛躍してるんだよな……」

 ここまで茶々を入れつつも神三郎の説明を聞いていたのだが。最後の最後で全く話についていけなくなってしまった。

 ……まあ最初からついていけていたかと言われると、微妙なところではあるけども。


「ま、まぁ取り敢えず。その結論に至ったサブさんは、一体どういうことをやったん?」

「よくぞ聞いてくれた成一よ。やはりお前がいれば話がスムーズに進む」

「はぁ、どうも……」

 よくわからないタイミングで湧いて出た称賛に、オレは覇気のない返事をする。しかしオレの返答を待つことなく、神三郎は寄りかかっていた教壇から離れ、スタスタと祐樹の横に置いてある机へと歩み寄った。その後ちらりとオレたちに視線を寄越す。


「最終手段というのは、ここではないところに用意してある。案内するからそのままついてきてほしい」

 神三郎の言葉に、オレたち三人は顔を見合わせる。皆等しくその顔には困惑気な表情が張り付いていた。一体神三郎が何をしたいのか、何処に連れて行くつもりなのか……。全く予想がつかない現状だが、この場にいても別にやることもない。しかも、ここで断ると彼が拗ねて面倒臭くなるのは目に見えている。

 そのためオレたちは小さく頷き合って、ついていくことを決めた。




「案内の必要はないぞ、末弟よ」




 その時。不意に神三郎の登場の時と似たような構図で、再び部室の中に一人の男が入り込んできた。


 その男は神三郎と目鼻立ちがよく似ているが、彼よりもいくらか年齢が上のようで、また長い髪を有している。加えて彼の場合、眼鏡ではなくモノクルを身に着けていた。


「長兄!」


 その男を捉えると、神三郎が驚きの声を上げる。男は神三郎に向けて軽く手を上げて答えると、「久しぶりだな、末弟の友人達よ」とオレたちをぐるりと見まわした。


 彼の名前は、陽総院神一郎ようそういんじんいちろう。陽総院家の長男で、神三郎の兄である。彼は基本的に陽総院家が所有する研究施設に籠り、オレたちにはよくわからない研究をしている。そのため会う機会はあまりなかったのだが。


「ど、どうしてこんなところにイチさんがいるんですか……?」

 状況についていけていない頭をなんとか動かしながら、オレは神一郎に問いかけた。すると彼はニヒルに笑みを浮かべると、小さく鼻を鳴らした。


「何、末弟が友人のためにと行動を起こしたことが嬉しくてな。発想も実に興味深かったこともあって、私も一枚噛ませてもらったのさ」


 そう言われた途端、オレは内心嫌な予感を感じた。


 この神一郎と言う男。実は研究者として異常なほど優秀であるらしく、世に出せば常識そのものすら変えることのできる研究成果というものを幾つも有しているらしい。しかしその悉くが、自身の趣味のための研究だから広めるつもりはないと主張してお蔵入りしている。

 その発想はいつも奇天烈。成果も常識知らず。彼の手にかかれば、例え宇宙すらつくりかえることが出来るのではないかと、半ば冗談交じりでも口にされるくらいだ。


 そんな男が、神三郎の意味不明な案件に関わっている。

 それだけでも、オレは怖くて先のことを考えたくなくなっていた。いやまあ、神一郎自体はとてもいい人だというのは、長年の付き合いでわかってはいるのだが。それはそれだ。


「末弟よ」


 そのトンデモ人物である神一郎は神三郎に目配せすると、直後に部室の隅に置かれている掃除用具入れに目を向けた。

「移動の手間が煩わしいと思って、そこに直通の道を作った。是非利用するがいい」

「さすが長兄。その用意周到さに脱帽だ」

「道……?」

 喜々として神三郎が示された掃除用具入れに歩を進める間、オレと祐樹と半助はお互いに目を合わせる。表情から、誰一人として状況を理解しているものはいないようだった。

 三人同時に首をかしげると、それぞれ神三郎の行方を眺め始める。



「おお、これは!」

「ぶっ」



 掃除用具入れの前に立った神三郎は、勢いよくその扉を開ける。そして中の様子を確認すると、歓喜の声を上げた。と同時に、オレたちは予想外の光景に思わずむせる。


 つい先日……いや、昨日までは使い古された汚らしい箒や雑巾が閉まってあったはずの掃除用具入れ。

 その中身はいつの間にか消失しており、代わりに見えたのは、いかにも未来の研究施設にありそうな、仄かに光の回路が走る謎の空間だった。しかもどうやら壁まで侵食しているのか、その空間は明らかに掃除用具入れのそれよりも大きい。


「素晴らしいデザインだぞ、長兄!」

「ふっ、あまり褒めるな末弟よ。照れるではないか」

 神三郎の称賛に、神一郎は口元に笑みを浮かべながら気障ったらしく髪をかき上げた。顔が整っているため、そのしぐさがよく似合うのが憎らしい。


「まあ、取り敢えず今は私の素晴らしきデザインセンスはいい。兎に角皆そのエレベーターへ乗り込んでくれ」

「あれエレベーターなんかい。何時の間にんなもん作ったんだよ」

「イチ殿が噛んでおられるのだ。最早我らの常識では図ることは出来まいよ」

「……ほーんと、常識ってなんだっけっていうね。この兄弟はよ」

 最早慣れたもので、オレも含め祐樹も半助も、驚きはするが正気を疑うことはなかった。

 この兄弟にかかれば、一般常識は薄っぺらい紙切れ程の代物に過ぎない。

 そのことを、オレたちは幼少の頃から身をもって思い知っていた。

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