第二章 謎の通り魔と遭遇・その9

「何者だ?」


 俺の質問に、白マスクは返事をしなかった。代わりに、俺の横を通り抜けて、またもや由真がフラフラと歩きだす。


「おい、由真」


 相変わらず、返事はなかった。それとはべつに、白マスクもスタスタと歩き、由真と正面から向かい合う。同時に白マスクが両手を伸ばした。由真は動かない。その由真の両肩に白マスクの手が降りる。


 次の瞬間、白マスクが由真を綺麗に横へ投げ飛ばした! 五メートルも宙を舞った由真が地面を転がり、狼の顔で呆然と白マスクを見る。


「あ! 何するんだ!!」


 俺も慌てて白マスクに駆け寄った。いや、正確には駆け寄ろうとしたんだが、それは無理だった。俺より早くダッシュした白マスクが、呆然と顔を上げている由真へ、一気に間を詰めたのである。そのまま由真の上に覆いかぶさる。


「どけ! どういうつもりで――」


 俺も追いかけ、由真に覆いかぶさっている白マスクの両肩をつかんだ。――その細さに驚いた。女? かまわず白マスクを引き起こす。何者かは知らないが、止めるしかない。いや、俺が由真の代わりにこの白マスクを叩きのめして、警察に。考えてる俺の前で白マスクが両腕を振った。同時に俺の腕が白マスクの肩から跳ね飛ばされる。その直後に俺の腹へ白マスクの蹴りが飛んだ。


「邪魔をするな」


 白マスクの声はひどく遠く聞こえた。顔を上げると、白マスクは俺と距離を離れて立っている。いや、俺が白マスクの蹴りを食らって数メートルも吹っ飛ばされたのか。


 これは本気でやらなくちゃまずいらしい。立ち上がる俺から視線を逸らしかけ、もう一度、白マスクがこっちをむいた。俺が立ち上がったのが意外だったらしい。


「いまのを食らって立てるのか?」


「俺は頑丈にできてるんでな」


 それにしても、この白マスクは何者だ? 俺を簡単に跳ね除けてみせるとは。白マスクが無言で俺にむかって近づいてくる。まずは俺を倒すべきだと判断したらしい。


「慶一郎に乱暴するのはやめて! そんなの、私だって赦さないんだから!!」


 白マスクの背後で由真が叫ぶように言い放った。白マスクが由真のほうをむくと同時に、由真が立ち上がる。――数秒起き、白マスクがすごい速度で横むきに移動した。俺と由真の両方を視界に入れながら距離をとる。さすがに二対一では不利だと悟ったらしい。


「ふたりでよかったな」


「まったくだ」


「ふん」


 白マスクが音もなく後退した。着ている黒マントが暗闇と同化して、その姿が見えなくなっていく。白マスクも薄墨色に変化し、少しして完全に消えていった。


 行ったか。


「それにしてもすごい通り魔だったな」


 額の汗をぬぐい、俺は由真に目をむけた。由真も、白マスクの消えた方向から視線を変え、こっちをむく。


 急に慌てた感じでアタフタしはじめた。


「あ、あの、これは」


「大丈夫だったか?」


 俺は由真に近づいて声をかけた。由真が、少し不思議そうに俺を見る。


「慶一郎、私の姿、気にしないの?」


 由真の姿は野獣のままだった。全身を黒い獣毛が覆い、顔は狼そのものである。その姿を見ながら、俺は少し考えた。


「ま、少しは気になるけど、ここは不死区だし。獣人街なら、べつに珍しくもないんだろ?」


「――それは、まあ、そうだけど」


 由真が下をむき、自分の身体を両手でこすりはじめた。全身の毛がボロボロと抜けていく。季節の変わり目に、動物の毛が生え変わるシーンを録画して、高速再生しているみたいな感じだった。顔も、普段の由真の顔に戻りはじめる。こっちはハリウッド映画のSFXだな。


 ただ、なんだかコンプレックスのある顔をしていた。


「あのさ、実は、いまの格好って、エクス学園でも見られて、ちょっと引かれたことあったんだよ」


 由真が小さい声で言った。


「ほら、ケモミミとかしっぽくらいだと、かわいいって言われるのに。ていうか、私は何も変わってないのに。やっぱり、どうしても外見で判断されるところはあるみたいでさ」


「そういうのは、不死区でも、どうしてたってあるだろうな」


 好きにやっていくと由真は言っていたが、やはり、少しは枷というものがあるらしい。


「ただ、どういう姿でも、由真は由真だって思うぞ」


「は?」


 派手に抜けた毛は空気に触れて、溶けるように消えていった。普段の姿に戻った由真が俺のほうをむく。なんだか意外そうな顔をしていた。


「あの格好でも、私は私なの?」


「そりゃそうだろう」


 何しろ、あの姿になっても、さっきと同じでTシャツとミニスカートだし、セミロングの髪だけは金色に染まったままだったからな。ほかの獣人類と並んで立っていても、由真だけは見分けがつくはずだ。あたりまえの話をしただけだと思ったんだが、由真が感動したみたいな顔をした。


「慶一郎って、本当にいい人なんだね。ありがとう。それに、あの訳のわからない奴が襲ってきたときも助けてくれたし」


「男は女性を助けるもんだ。それはいいけど、驚いたぞ。あの白いマスクの奴、何者なのか見当がつくか?」


「つくわけないじゃん。あんな変な奴、はじめて見たよ」


「ふむ」


 ということは、このへんで知られてる奴ではない、ということか。考える俺の顔を、人間の姿に戻った由真がのぞきこむ。


「あの変質者のこと、どうする? 警察に言う?」


「どうやって? 俺たちに実質的な害はないし、あいつの持ち物を奪ったわけでもないから、証拠もない。言い様がないぞ」


「あ、そうか。じゃ、どうするの?」


「どうするって、どうしようもないだろうな。不死区のいざこざだから、本土に報告する話でもないし。とりあえず帰ろう。寮に戻れば安全なはずだ」


「うん」


 俺の提案に、由真が少し考えた。


「ま、それしかないね」


「そうそう」


 いつの間にか、俺たちは本来の世界に帰ってきていた。ついでに言うと、由真の姿まで、完全な人間のものになっている。


「あ、戻りすぎちゃってる。うーん!」


 由真が気づき、何か踏ん張るような顔をした。同時に耳の位置がぐんぐん上昇し、ミニスカートのなかからしっぽが伸びてくる。


「これでOK。でも怖かったー。慶一郎がいてくれてよかったー」


「あ、これは聞いておこうか」


 言いながら腕を組んでくる由真に、俺は確認の質問をしておくことにした。


「あの白いマスクの奴が近づいたとき、由真は黙って立っていたな。投げ飛ばされるまで反抗しようともしなかった。あれ、どうしてだ?」


「あ、あれ? あれはね」


 俺と一緒に歩きながら、由真が少し首をかしげた。


「どうしてか、ぼーっとしちゃったんだよ。いきなり投げ飛ばされて、それで私も、あ! って思ったんだけど」


「ふうん」


 吸血鬼の催眠術で自我を奪われていたのかな、と俺は考えておくことにした。すると、あいつは吸血鬼ってことになる。それは覚えておこう。

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