第一章 東京都不死区への転校・その10

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 そのまま、少し待っていると、結華が無言のまま、俺の身体を抱きしめてきた。で、しばらく待っているが、何もこない。


「あの、結華?」


「いいから、そのままでいなさい」


「はあ」


 で、言われるままにそうしていたら、結華の、俺を抱きしめる腕に力がこもった。


「あ、あの。慶一郎? そろそろ行きますわよ。本当に行きますからね」


 どうも、結華も緊張して、覚悟を決めるのに時間がかかっているらしい。結華が声を震わせながら言い、それから少しして、俺の首筋に、プチっという痛みが走った。


 これが本格的な吸血か。


「んん、ううん!!」


 ほんの軽く、たぶん、一滴か二滴くらい血を吸われたかな、と思った直後、結華が俺の首筋から口を離した。俺を抱きしめている腕に、ピクンピクンと、痙攣みたいな感じで、何度も力をこめてくる。吸血鬼のパワーでだ。これ、普通の人間だったら、アバラがへし折れて死んでるんじゃないかな、と俺は少し考えた。


「ああ、ああ」


 そのまま、結華が、少し荒い感じの息を吐く。とりあえず、うまく吸血できたってことらしい。もう目をあけてもいいだろうと判断し、俺は目をあけた。


 結華は半泣きみたいな顔で俺を見上げていた。


「何これ――こんなにすごいものだったの?」


 独り言だったのか、呆然とした調子で言ってくる。口からは赤い血が流れていた。人生初の吸血行為は、すさまじく刺激的だったようである。


「血、ちゃんと拭いておかないと、服につくぞ」


 俺は結華の手を俺の身体から離し、ポケットからだしたハンドタオルで結華の口をぬぐってやった。ぼうっとしたままの結華が、しばらく俺を見つめていて、いきなり、はっとした顔をする。


「慶一郎! 何をしているのです!?」


「は? だから、血を拭いてるんだけど?」


「え? あ、いけないいけない。口から洩れていたのですね」


 服についたらとれなくなるという俺の言葉は聞こえていなかったらしい。心ここにあらずとはこのことか。正気に戻った結華が、恥ずかしそうに俺から目をそらした。ポケットに手を突っこみ、ティッシュをだす。


 あらためてこっちをむいて、俺の首筋を拭きはじめた。


「ごめんなさい慶一郎。痛かったでしょう? 本当なら催眠術で意識を奪ってから血を吸うのですが、あなたには効かないから」


「気にしないでくれ。我慢するのは慣れてる」


「え?」


 俺の首筋を拭く結華の手が止まった。なんでか俺をにらみつけてくる。


「あなた、まさか、ほかの誰かにも血を吸われたことがありますの?」


「あ、そういうことじゃないんだ」


 俺は首筋にかかっている結華の手をそっとどけた。もう喉の噛み傷から出血はしていない。


「俺は痛みをコントロールできるんだよ」


「そうだったのですか」


 結華が俺の首筋を見ながらティッシュを降ろした。


「そういえば、慶一郎はおいくつ?」


「十七だけど」


「あ、普通ですのね」


「成長加速処理は受けてないからな。人工子宮の受胎だったけど、普通の人間と同じように生まれたし、本土でも、普通に学校へ通ってた。家は製造工場の隣にある羽佐間園だったけど。普通に成長するし、普通に老化もする。このへんは普通の人間と同じだよ」


「ただ、わたくしの催眠術は通じないのですね」


 結華が小さくつぶやいた。


「そして、わたくしの口づけで感染して、わたくしと同族になることもないのですね。ともに生き血をすすり合う、永劫の夜を歩く不死の徒になることはかなわないのですね」


「生き血をすするっていうのは、情け容赦なく人のものを取り上げて自分の利益とするっていう慣用句で、そのまんまの意味じゃないんだけど」


「いま何か言いましたか?」


「いやべつに」


 すっとぼけて誤魔化す俺から結華が目を逸らし、血のついたティッシュを丸めてゴミ箱に捨てた。少しして、また結華が俺のほうをむく。なんでか悲しそうに見えた。


「えーと、もういいんだよな?」


「ええ、今日のところは」


 俺は学生服に袖を通し、結華のあとにつづいて家庭科室をでた。そのまま廊下を歩く。――むこうから、金髪ショートで白い肌の、フランス人形みたいな顔をした、小学生くらいの少女がやってきた。やっぱり結華に笑顔をむける。


「ごきげんよう、大道寺様」


「ごきげんよう」


 結華にあいさつをして去っていった。ふむ、トイレの花子さんとは違うようだ。実体があることが俺にもわかる。


「あの娘も、結華と同じ吸血鬼なのか?」


 なんとなく訊いたら、結華が妙な顔でこっちをむいた。


「なぜ、そう思ったのですか?」


「いや、なんとなく。それに、小さいし。吸血鬼は成長も老化も止まるだろうから、あれでも高校生なのかなって思って」


「あれは魔導師街でつくられたホムンクルスです。あなたが本土でつくられた人造人間なのと同じで、特別だと思いなさい」


「あ、そうなんだ」


 不死区でも、そういう生命体がつくられていたとは。感心してうなずき、つづいて俺は不思議に思ったことを口にしてみた。


「あのな、結華の吸ケ」


「なんですって?」


 俺の言葉をさえぎり、すごい目で結華がにらみつけてきた。そういえば、ここは廊下だったな。誰が聞いているかもわからない。


「――えーと、飲食のような行為についての話なんだけど」


「飲食が何か?」


「あのホムンクルスでよかったんじゃないか?」


「あれは魔道生物ですから、そういうものは流れておりません」


「へえ」


 世のなか、そううまくはいかないものらしい。


「ですから、わたくしたちの飲食の件は、ほかのものには頼めないのです」


「わたくしたちって、飲食してるのは結華だけで、俺は飲食されてるんだけど」


「いま何か言いましたか?」


「いやべつに」

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