第一章 東京都不死区への転校・その8

「ここなら大丈夫かしら」


 しばらく歩いてから結華が立ち止まり、扉をあけた。科学室である。昼間に通っている人間なら、放課後、科学部で趣味の実験でもしているんだろうが、夜にそんな真似をする人間はいなかった。無人である。


「お入りなさい」


 結華が先に入り、俺を手招きした。


「あの、ここが?」


 俺も科学室のなかを見まわした。ホルマリン漬けの魚と目が合う。隣に立っている骨格標本と人体模型がこっちをむいた。


「「こんばんは」」


「あ、どうも」


 俺もつられて頭をさげた。さすがは不死区だな。充満する魔力で勝手に擬生物化してるらしい。そういえば、エクス学園の校門近くでも、二宮金次郎の銅像みたいなのが歩きスマホしてたっけ。結華はこれを見せたかったのかな。――と思っていたが、それは違うようだった。


「そうでしたわね。ここには先客がいるのでした」


 柳眉をひそめ、結華が背をむけた。


「慶一郎、行きますわよ」


「は? はあ。それじゃ」


 俺は骨格標本と人体標本に会釈し、科学室をでた。


「困りましたわ。美術室にはピエタ像やダビデ像がいますし、音楽室は、ベートーヴェンやモーツァルトの肖像画が話をしていますし、女子トイレには花子さんがいらっしゃいますし」


 先を歩く結華が、何か考えるような調子でつぶやいた。というか、いるのかよトイレの花子さん。


 その後、いろいろ歩きまわり、結局、家庭科室にたどり着いた。科学室と同様、結華が扉をあける。


「慶一郎、お入りなさい」


「はあ」


 返事をして、俺は家庭科室に入った。科学室と違い、人ならざる者の視線は感じない。


「――よし、誰もいませんわね」


 結華も周囲を見まわしながらつぶやいた。瞳が紅蓮に燃えている。人間とは異なる視力で室内を確認したらしい。


「では慶一郎、あらためてお話があります」


「はい」


 何を言うのかと思って、俺はボケッと突っ立って結華を見た。結華の瞳に宿る紅蓮の輝きが増す。それはいいが、何もしゃべらない。


「?」


 仕方がないから黙って見ていたら、結華が悔しそうに唇を噛んだ。


「あなたはどうして意識を失わないのです?」


「は?」


「いま、わたくしは催眠術を使ったのです。それなのに、なぜ慶一郎は平気な顔で立っているのですか?」


「――ああ、そういうことか」


 なんだか、ずいぶんと目の光が強いと思っていたら。俺は自分の頭を指さした。


「俺は人造人間だから、そういうの、あんまり効かないんだよ。頭のなかにフィルターがかかってるって言ったらいいのかな」


「――あ。そうでしたわね」


 結華が、なんだか赤い顔で俺をにらみつけた。


「あなたは人造人間で、ほかのもののように、わたくしの妖気や催眠術には屈しないのでしたわね。わたくしは、きちんとあなたにお話をしなければならないのですね」


「というか、催眠術みたいなのって、学校内じゃ禁止じゃなかったか?」


「いま何か言いましたか?」


「いやべつに」


 そのまま見ていたら、結華の瞳から紅蓮の輝きが消えた。その代わり、なんだか頬が赤くなっている。少し涙目だった。


「実は、わたくしは」


 そこまで結華が言い、俺をにらみつけた。恨まれるようなことはしてないと思うんだが。俺は結華に何かしたんだろうか?


「――なんて言うか、その。あなたの血に興味があるのです」


「なんだ、やっぱりか。ケツを吸うのも大変だな」


「いま何か言いましたか?」


「いやべつに」


 俺は机の上にカバンを置き、学生服のボタンをはずして脱いだ。それを見ていた結華が赤い顔で後ずさる。


「ななな何をするのです!?」


「え? 何って、服に血がつくと落とすのが面倒だから脱いだんだけど?」


「あ、そそそそうでしたわね」


 結華が恥ずかしそうに俺から視線を逸らした。


「それは、その通りですけど、その前にお話があるのです!」


「は? まあ、そういうことなら」


 俺は学生服を近くの机に置いた。そばにあった椅子に腰かける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る