そこってそんなに重要だったんですか?

朝陽ぽん太

第1話

「お疲れ様でしたー。」


やっと今日の仕事が終った。今月に入ってやたら残業が多い。


時計を見ると11時を回っていた。最近は9時から始まるドラマなんて見たことがない。


しかし、この大不況のなか、いつ潰れてもおかしくなさそうな工場での勤務でさえ真面目にしないといつクビになるかわからない。残業も文句なんて言えない。


「…(今日は混んでるな)。」


電車の中には学生やサラリーマンがいっぱいで座る場所がほとんどなかったが、唯一空いていたシルバーシートに遠慮しながらも座ることにした。


その後、知らない間にウトウトと居眠りをしていた。気づいた時には家の最寄駅まであと1分という場所だった。


急いで立ちあがりドアの前まで移動した。周りの視線が痛い…、そんなに目立った行動だっただろうか?


帰り道にコンビニで夕食を調達し家路に着いた。


「ただいま!なんてね。誰もいないんだけどさ。」


家についたあとすぐに俺は帰りに買った弁当を電子レンジにほりこんだ。その間に冷蔵庫から缶ビールを1本取り出した。


この1杯だけはやめられない。本当にうまい。レンジがなる前にビール1本を一気に飲み干した。


ただ、あまり酒が強くはないので2本目はいつもペースが落ちる。


いい感じに酔い始めた時にニュースを見ようとテレビをつけたとき、口に含んだビールが吹き出した。


「なんであいつが!!?」


テレビに映っているのは2年ほど前に、付き合って一ヶ月ほどでフラれた元カノだった。


彼女はインタビューをうけていて旦那らしき人と子供と三人で楽しそうに新しく出来た大型テーマパークの感想を答えていた。


「なんだよこれ…。」


彼女は俺が三年かけて猛アタックのすえ、やっと付き合えた憧れの存在だった。が、フラれた原因もわからず3ヶ月ほどで突然別れを告げられた。


「海外赴任になったの。」これが彼女の口から直接聞いた最後の言葉だった。


その時は本気で落ち込んだ。周りの友達も羨むほどの美人で、結婚するからと豪語していた。だからその話を聞いた時は情けないが、泣きながら彼女を困らせた。


その後も俺は簡単に諦めることが出来ず、毎日のように電話した。彼女にずっと待ってるからと伝えたくて…。


しかし、彼女は電話さえ取ってはくれなかった。


別れてから1か月ほどたった時、彼女から1通のショートメールが届いた。


『まじでキモいから。もう電話しないで。』


俺は愕然とした。まさか彼女からこんなメールが送られてくるなんて…。その日は彼女を初めて憎んだ日でもあった。


しかし、彼女は確かに仕事には真面目に取り組んでいた。自分の仕事に誇りを持っていただろう。海外赴任となれば、男を捨ててでも彼女なら行くと決断するはずだった。


このメールで俺は彼女をきっぱり諦め、応援しようと決めた。仕方がないと・・・。


そんな2年前に海外に行くと言って別れた女が、日本で赤ん坊を抱きながら男と一緒にテレビに出ている。完全に俺は騙された。


「…ちきしょう…ちきしょう!」


涙がこぼれていた。


「海外に…行ってるんじゃ…。」


彼女にとって俺は別れを正直に告げることさえしない存在だったのか。


「俺ってほんとにどうしようもないな…。」


30前にもなって彼女もいない、仕事も安定しない、貯金もない。


「俺だけかな…こんなしょーもない人生って。」


酔っているせいか悲観的になっている自分がいた。心の中の認めたくなかった事実かもしれない。


涙が今日は止まらない。1人がこんなに寂しいなんて。


辛い・・、辛すぎる・・・。


その時、背後から何か気配を感じた。


「まぁ、元気だしてくださいな。」


声のするほうをみると背中に羽の生えた小さな少女がたっていた。


「誰だ!?」


俺は威勢よく叫びながら涙をぬぐった。男として泣いている姿は見づ知らずの少女にも見られたくはない。


「初めまして!私、天使です。」










「マジで!?ありえないだろ。」


俺はパタパタと宙に浮いているを彼女を見てもまだ信じることができなかった。


「まぁ、そう言われましても天使は天使なんです。」


そういって彼女は羽根を広げた。その姿を見て心のどこかで本当に天使であってくれと願う自分がいた。


この人生が少しでもいい方向に変わるんじゃないかと淡い期待を抱いた。


「天使が俺に何のようだよ!!」


興奮しているのか大声を張り上げてしまった。


「うう…。落ち着いてください。私はあなたにチャンスを与えにきたんです。」


「チャンス?どういうことだよ!」


早く!早くどういうことか説明が聞きたかった。


「…ちょっと待ってください。なんか怖いです。子供相手にもう少し優しくできないんですか?」


彼女は羽根が生えてる以外は幼稚園児に見える。が、天使と名乗る以上は落ち着いてはいられない。


「…天使が俺に何のよう?」


今度は少し抑え気味に言ってみた。


「言ったでしょ。チャンスを与えにきたと。あなたの人生が大きく変わるチャンスです。」


彼女は俺がなけなしの金でやっと買えた大型ソファーの上を楽しそうに跳びはねてながら話し始めた。


「あなた、自分の人生に後悔ばっかりしてますよね?無理もないです。あなたが今までの人生の中で大きく運命を変える分岐点が全部で109回あったんです。その時にあなたが選んだ選択が見事に全てマイナスに進む道ばかりを選んだのだから。」


彼女は悲しげに話した。


「…えっ?109回も?俺の人生が変わるくらいの分岐点は高校や大学、就活のときくらいだろ!?そんなにあってたまるもんか!」


そもそも今までで分岐点なんか意識したことがない。それに少なくとも高校や大学は志望校にしっかりと合格できたのだ。確かに就活には後悔しているが…。


「あなたが思ってるほど人生ってそんな単純じゃないんです。特に三つ子の魂100までって言うくらい小さいころに分岐点は多いんです。小さい頃はいろんな影響を受けるでしょ?その時の環境や周りの人、友達によって運命や性格が大きく変わるんです。」


彼女はそう言って立ち上がり得意気に彼女の身体の2倍はあるであろう大きな分厚い本を取り出した。


「例えば……あなたが小学1年生の時のことなんですけど、下校の時に2人の男の子から遊びに誘われました。1人は野球をしようと、もう1人はテレビゲームをしようと。そこであなたは迷わずテレビゲームを誘った子について行きました。それが間違いだったのです。」


彼女はパタンと本を閉じた。


「誰と遊ぶかで運命がコロコロ変わってたまるもんか!ありえない!」


「人生は些細なことで道がどんどん枝分かれするんです。その時もし野球をしていれば、あなたはその日の試合でサヨナラヒットを打って英雄になってたんです。そこであなたは野球の楽しさをしり、のめり込んでいきます。当然周りの友達も今と全く違う。そこからもいくつか分岐点がくるんですが、上手く選択していたら甲子園にも出れたかも。」


いやいや…。ありえないだろ。運動神経だって人並みだったんだ。小学生から野球を始めたって甲子園に出れるほどの才能なんてなかっただろう。信じられない。


「そんなわけあるか!今ならなんとでも言えるだろうさ。ただ単に俺を後悔させたいだけだろう!違うか!?」


俺の言葉に彼女はまた悲しい顔をした。


「…信じなくてもいいんですが、これが事実なんです。あなたに限らず、誰でも宇宙飛行士にだって科学者にだってなれる可能性はあるんです。」


「そんなわけない!野球選手でもフィギュアスケートでも、一流になって世間の注目の的になってる奴らは、育った環境がよかったからだ。生まれてきた時から運命が決まってたんだろ?小さいころから英才教育を受けれたら俺だってプロ野球選手にでもなれたろうよ!家庭環境に俺は恵まれなくて今の平凡な俺がいるんだよ!だから俺には元々こうなる運命だったんだ!」


俺は息継ぎも忘れて、見た目幼稚園児に怒鳴っていた。


「悲しいことを言わないでください…。神様は命をみな平等に授けます。確かに環境は違えど、その分可能性やチャンスは多く分配します。だから一般家庭に生を受けたあなたには、今まで109回のチャンスが与えられたのです。」


幼児に諭されて納得はしたくなかったが、彼女の言葉は俺の心に重く響いた。


「……嘘だ。」


俺はまた泣きたくなった。


「嘘じゃないです。最近でいうとですねぇ…。」そういうと彼女はまたパラパラと本をめくりはじめた。


「あなたが大学4年の時、どうしても入りたかった会社エックス社、面接受けて一次も通らなかったでしょ?」


3年のころから第一志望にし、会社の概要、求める人材、有利な資格などを入念に調べ上げ、決死の覚悟で臨んだ面接だった。


しかし、結果は一次面接にさえ合格できなかった。


「…確かに一次面接で落ちたさ。ただそれは俺の実力がなかったからだろ!?運命とか選択じゃないはずだ!」


「言いにくいんですが面接を落ちたのは実力なんかじゃないです。覚えてますか?あなたはその面接の帰りに電車に乗ったんです。その時、座席は全然空いてなかった。そこであなたは唯一空いていたシルバーシートに迷った挙げ句、座ったんです。その後、妊婦さんやお年寄りがたくさんあなたの横に立っていたのに席を譲らなかったの覚えてますか?」


心が痛む話をされた。俺は昔から席が空いてないときにはシルバーシートにしばしば座ることがある。罪悪感が全くないわけではないのだが、俺だって疲れてるんだ。


「…あぁ、あの時は本当に疲れてて。隣のじいさんに怒鳴られてすぐに席を立ったからよく覚えてるよ。」


その日は隣に座っていた70代くらいの髭の長い老人が座っていたのだが、眠ろうとした俺を怒鳴りつけてきた。確かに俺が間違っているのだが周りの注目を浴びたのが恥ずかしくって、俺も爺さんに捨て台詞を吐いて立ち去ったのだ。


「実はその時のおじいさんがエックス社の会長だったんですよ。」


「えっ?!」


俺は目が点になった。


「あなたは本当は面接では二次面接に進む予定だったんです。だけど、会長があなたの履歴書みて不採用にしちゃったんです。自業自得かもしれないですが…。シルバーシートに座らなければ、席を譲っていれば…って。二回もチャンスがあったんですよ?」


彼女は哀れむ目で俺を見た。


「まだまだあるんだけど全部聞きたいですか?」


「…もういい」


俺はそれしか言えなかった。まさか俺の些細な悪行が就職まで響いていたなんて…。泣きそうだ。もう人生なんてどうでもいいとさえ思いはじめた。


「気を落とさないで。そんなあなたにチャンスをあげようって天使の私が来たんですから!」


彼女は誇らしげに俺に語り始めた。











「ではここで、そのチャンスの説明をいたします。一度しか言わないのでよく聞いてください。まず、今から私の持っているこの本を読んでもらいます。この本の中にはあなたの人生の詳細全てが書いてあります。今から1週間与えるので一言一句全てを読んでください。」


俺は彼女の言う言葉を聞き漏らさないように全神経を彼女の声に集中させた。


「もしも、適当に読んだ場合や期日が守れなかった時はこのビッグチャンスはなくなりますのでご注意を!ここまでで質問はございますか?」


「…全て読んだらどうなるんですか?」


俺は気づかない間に敬語になっていた。


「それは内緒です。今回は次のステージにいけるかどうかの課題ですね。では、また一週間後にお会いしましょう。」


そういうと彼女は消えて言った。


「あっ!ちょっとま…。」


まだまだ聞きたいことが山ほどあるのに。この本を読めば何か変わるのだろうか。俺の人生の本…。興味はある。


俺は次の日すぐに有給届けを出した。



あれから5日後の夕方、俺は俺の人生を読破した。そのころにはもう涙は枯れていた。


これまで自分の人生を何の才能もなく、誰からも愛されず、認められず、薄っぺらい人生を歩んできたと勝手に思ってきた。要するに運がないと思っていた。


しかし、そうではなかった。


まず感じたことは客観的に自分をみた時、本気で死ぬほど努力をしたことがほとんどなかった。


才能うんぬんの前に成功する理由がないのだ。認められるわけもなければ尊敬されることもあるはずがない。


そして、やりたいと思ったことをすぐに実行していなかったことに気が付いた。いろんなことに興味はたくさん持った。ただ、それで終わりだ。


「もう少し自分の可能性を信じてとりあえずやってみたら?す」と、本の中の自分に何回問いかけたことか。


あの時こうしておけば…、あっちの道を選んでおけば…、と考えることも多かった。しかし行動に移したことは1度もない。


今まで自分の人生の時間を無駄使いして生きてきたことがよくわかった。要するに、流されてきたのだ。自分の意思なんてほとんどなく、無難に周りに合わせて一生懸命のふりをしてきた。


心底自分が情けなかった。


ただ、悪いことばかりの発見でもなかったことが救いだ。


そんな俺を生まれてから今この瞬間までずっと変わらず愛し続けてくれている母親の存在にも気付くことが出来た。


母には今までたくさんの小言を言われ、うっとうしく感じだしてからは自分から話をすることはなくなっていた。家を出た後も定期的に電話もかかってきていたのだが、わざと留守電にすることが多かった。


どんなに情けなく、根性なしで、クズみたいな俺を1ミリも信じて疑わなかった母。


母の何気ない言葉の中には、愛があり優しさ、心配が込められていた。


本気で自分のことを思ってくれていることに、今回この本を読んで初めて分かった。


母は偉大だ。


「…ありがとう。」


俺は残りの2日もこの本をひたすら読んだ。


そして1週間がたったとき彼女はまた姿を現した。













「お久しぶりです。しっかりと読んでくれたみたいですね!あなたはこの一週間で自分の過去を見つめなおすことが出来たようです。」


初めて顔をしっかりと見た気がする。愛らしい笑顔だ。


「はい。」


俺は素直に答えた。


「では、今のあなたに問います。あなたの願いはなんですか?」


「えっ!?願い!?」


唐突な質問にビックリした。


「そうです。今のあなたの1番の願いを教えてください。」


「……突然だな。そうだな…」


急な話だったが、すぐに考えはまとまっていた。


「まずは母親にしっかりと生きてることをわかってもらいたいかな。安心してもらいたい。そして、今まで俺のことで苦労しっぱなしだったんだ。……幸せになってほしい。」


ここ数日、ずっと感じていたことだった。今まで親不幸ばかりで心配ばかりかけていた母に謝りたい。そして、ゆっくりと時間をかけてこれまでの自分のことを話したいと思った。


初めて俺は、母と向き合おうと思った。


「……少しは成長したみたいですね。」


彼女は微笑んだ。


「では、今日あなたは運命を変える日を迎えることになりました。今日、起こる出来事に対してあなたの決断があなたの願いを叶えるか、否かを決めることになります。今日一日はお母さんのことだけを考えて生活してください。」


「…もし俺の決断が間違った場合はどうなるんですか?」


「二度とお母さんには会えません。それくらいのリスクはあります。」


「……正しい選択をした場合は?」


「あなたのお母親さんに最高の幸せが訪れることになるでしょう。」


「…最高の幸せ…。」


「やるかやらないかはあなたの自由です。どうしますか?」


二度と会えないリスクがある。もし失敗すれば、もう謝ることさえ出来ないかもしれない。でも、この機会はチャンスだと彼女は言っていた。


「……やります!」


俺は覚悟を決めた。


「そう言うと思いました。」


彼女はフワフワと浮き出した。そして語り始めた。


「あなたは今まで過去の自分に対してずっと否定的でした。あの時こうしていれば…、などと。ただ、今のあなたが存在するのも過去のあなたがいたからなんです。過去を否定することは今まで出会った人、出来事、それら全てを否定することになるんです。マイナスの決断が今のあなたを作ったとしても、それがあなたなのです。まずは自分自身を愛してくださいね。武運を祈ります。」


彼女は消えていった。


これから今までの人生のなかでもっとも長い一日が始まる。












ピピピピピピピピピイピピピピ


午前七時を告げる目覚ましが鳴り響いた。


「……朝か。」


まったく眠れなかった。俺は昨日言われたことを思い出した。


<今日一日の中で人生を変える運命の選択が一度だけ訪れる。>


気を抜かないようにしなければ。


「あの子もどんな風に運命の選択がくるのか教えてくれたらよかったのに。」


とりあえず、母のことを一番に考えた選択をすればいいってことだったな。


「…やべ!!もう七時半だ!遅刻する!!!」


こんな日でも日常はやってくるのだ。


急いで顔を洗い、家を飛び出した。その後、いつも通り電車に乗り会社についた。


「ここまでは何もなしか。」


ホッとため息が出た。


「おはようございます。先輩。」


2年後輩の前田あゆみが可愛らしい笑顔で挨拶をしてくれた。


「おはよう。」


前から俺は少しあゆみのことが気になっていた。元カノのことを引きずって塞ぎ込んでいた俺の心に、ずけずけと土足で入ってきたことがきっかけだった。


誰かに俺が彼女と別れたことを聞いたのだろう。無口になって、誰も俺に近づいてくる人はいなかったのに彼女だけは違った。


なんとか俺を笑わそうといろいろな話をしてくれた。始めはあゆみに対して何も感じていなかったのに、彼女の母性のような優しさに俺は閉ざした心を開いていった。


多少強引だったが、ここまで立ち直れたのは彼女のおかげだ。


「先輩、今日は金曜なんでご飯行きましょうよ!あたし良い店見つけたんです。」


あゆみからの誘いは初めてだった。


「…っえ!?どうしたの急に?」


戸惑った。この展開は天使の仕業なのだろうか。


「今日は先輩と二人っきりで飲みたい気分なんです。聞いてもらいたい話もあって。いいですか?」


二人っきりで飲むなんて初めてだ。年甲斐もなくドキドキした。


「ああ、いいよ。じゃ六時に会社の入り口に集合で!」


「はーい。やったね。」


……可愛いな。この食事の最中に運命の選択が訪れる気がする。


あゆみと別れた後、自分の席に着いたのだが、その途端に見覚えのある小さな影が目に入った。


「っ!!!何やってるんだ!!?」


小声で俺の机の下にいる小悪魔っぽい表情の天使に問いかけた。


「今日は暇なんであなたの観察に来ました。」


天使は大きな望遠鏡をのぞきながら俺を見た。


「誰かに見つかったらどうするんだ!!?」


俺は彼女を持ち上げ人気のない所に連れて行った。


「大丈夫ですよ。私のことはあなたしか見えませんから 。」


彼女はニッコリと笑った。


「先に言ってくれよ…。」


確かにこんな幼稚園児みたいな子供が会社に一人で入れるわけがなかった。


「あの…ここちょっと臭いです。」


鼻をつまみながら彼女は言った。


「まあ会社といっても工場の横にある小さな事務所みたいな所だからさ。少し匂いが紛れてくるんだ。それより少し時間あるかな?」


「なんですか?」


「名前教えてくれないかな?俺たち自己紹介もまだだろ?俺の名前は…、知ってるかもしれないけど松山あきらっていいます。」


彼女は屈託のない笑顔で答えてくれた。


「私はマナ!見習い天使です。」


彼女はフワフワ浮きながらお辞儀した。


「マナちゃんか。…マナちゃん。俺に過去を見つめなおすチャンスをくれて本当にありがとう。この一週間で悟りを開いた気分だよ。自分自身がしっかり見えて、今までにない優しい心を持てた気がするんだ。この感じ、マナちゃんと出会わなければ一生味わえなかったと思う。」


これは本心だった。少し優しい気持ちで周りを見渡すだけで世界がまったく違ったもののように映っていた。俺はマナに心から感謝している。


「…心配して見に来なくてもあなたはもう大丈夫でしたね。」


どうやらマナは俺の様子を見に来てくれたようだ。


「俺さ!昼休みにでも実家に電話してみようと思うんだ。家を出て以来、声も聞かせてなかったからさ。…!おっと!こんな時間か!じゃっ!」


俺はマナに別れを告げて職場に戻った。


「…頑張ってください。」


マナは一粒の涙をこぼした。














~ キーンコーンカーンコーン ~


昼休みのチャイムが鳴った。俺はすぐに緊張しながらも実家に電話した。


プルルルルルルルルルルルルルル……


なかなか電話に出てくれない。母はいつも3コール以内には受話器を取っていたのに。


電話を切ろうとした瞬間に電話はつながった。


「…はい。松山です。」


………親父か??なんでだろうと俺は不思議に思った。父が電話に出ることは今までに一回も記憶にない。


「…俺。あきらだけど。」


「!! あきら!?あきらなのか!!?なんという奇跡だ!」


父親は大声を張り上げた。父はとても興奮している。何か嫌な予感がした。


「何で平日の昼間に親父がいるんだよ。母さんは?」


少し沈黙の時間が流れた。俺は額に汗が吹き出しはじめた。


「母さんな…、一週間前に倒れたんだ。末期がんだ。もう長くないらしい。今から病院に戻るつもりなんだが、お前来れるか?」


…えっ?…。父の言葉を受け入れることが出来なかった。やっと親孝行の一つでもと思っていた矢先に末期がん?もう長くない?嘘だ…。


俺はそのまま意識を失いかけた。だが、こうしてもいられない。


「どこの病院だよ!?」


俺はすぐに工場長に事情を説明し、早退した。会社を出ると同時にあゆみに電話をかけた。


「あゆみちゃんか?俺だけど、母親が倒れたらしい。今夜の埋め合わせは必ずするから!!」


「!!? そうなんですか!!私のことはいいから早く行ってあげてください!!」


「悪い!!」


電話を切った後、すぐにタクシーをつかまえることができた。行き先を告げ、俺は後部座席に座り、目を閉じた。


俺がちゃんと連絡先を教えていれば、こんなギリギリにならなかったのに…。


また俺は後悔した。


病院に着くとそこには親父がいた。


「あきら。久しぶりだな。」


親父の顏、久しぶりに見たな…。


「…久しぶり。母さんは?」


父は答えなかった。いや、それが答えなのだろう。


「…あきら。母さんとしっかり話してこい。母さんな、お前が家を出てからずっとお前のこと心配してたんだ。ちゃんとご飯食べてるか、仕事は順調か、結婚はまだか…てな。最後に今の自分をしっかり話して安心させてやってくれ。」


親父は泣いていた。初めて見る父の涙に、母の迫りくる死を感じた。


「今の自分か…。」


母さんはもう助からないだろう。そんな母さんに今の生活ぶりを正直に話していいものだろうか。金もなく、仕事も契約社員で彼女もいない…。きっと悲しむに決まってる。嘘ついてでも安心させてやろうか……。


「最後ぐらい母さんを泣かせるようなこと言うなよ。」


………………………。


………………………。


……えっ!!!


まさか…、これが選択なのか!!?正直に話すか、嘘をつくのか…。こんな時に選択を迫られるのか!?どっちが正解で、どっちが母さんのためになるんだ…。


「さあ、時間がない!早く病室に入れ。」


父は強引に背中を押した。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!!まだ何て言うか決めてないんだ!!」


「時間がないって言ってるだろ!さあ早く!」


俺は病室に押し込まれた。そこにはガリガリに痩せ細った母さんが横たわっていた。


「…母さん…。久しぶり!」


俺は精一杯の笑顔を作った。


「…あきら。」


母さんは驚いた様子もなく、俺をしっかりと見ていた。


「…久しぶりね。」


母さんは弱弱しい声でつぶやいた。


「…久しぶり。」


母さんに近づき、手を握った。


「いつから体調悪かったんだよ。」


俺は納得がいかなかった。急に末期がんなんて言われても受け入れることが出来なかった。


「身体がちょっとダルいなぁって思って病院に行ったら手遅れですって。嫌になっちゃう。」


母は小さく微笑んだ。


「それよりあきら、元気にしてた?」


この質問だけは聞かれたくなかった。どうするべきか…。


今、母さんに本当のことを言ったとする。母さんは絶対に心配し、この世に未練が残るだろう。俺が何を言おうと母さんは死ぬのだ。ならばここは嘘をついてでも、今俺は本当に幸せだ、充実している、最高だと言ってあげるべきじゃないだろうか。 


どうだろう…。母さんはどうせ死んでしまうなら…。


でも本当にこれでいいのだろうか。最後に嘘をついていいのだろうか…。


「あきら?」


「母さん、俺今さ………、」


俺は覚悟を決めた。


「…俺さ、…今、すっごく充実してる!!仕事なんてもうすぐ俺主任のポスト任されるんだよ!それに、俺、母さんに紹介したい人がいるんだ!結婚しようと思ってる。だから早く…絶対退院してくれよな!孫だって見てもらわないとさ!」


「あきら…。そうなの…。本当に良かった。」


母さんはワンワンと泣いた。そして笑った。


その後も母さんを安心させようと嘘をつき、嘘をつき、嘘をついた…。


母さんは、偽りの笑顔ではなく、心の底から喜んでくれていると思った。息子だからわかる…。これで母さんは安心できる。


その2日後、母さんは亡くなった。












母の葬儀も終わり四日が過ぎた。俺は会社にも出社し、いつもの生活に戻っていった。


あの日、母に最期に嘘を言ったことは全く後悔していない。最後にこの情けない生活ぶりなんか知ってしまったら母自身が後悔し悲しむと思ったからだ。安心して天国に行ってもらえたと思う。


本当に最後に会えてよかった。


これから俺はしっかりと前を向いて生きていこうと思う。今までの自分に、もう後悔はしない。


ゆっくりとでもいいから確実に自分の足で歩いて行こうと思う。


そして、最後の選択は間違いだったのだろう。もう母さんとは会えないのだから。


それでも最後に母さんの最高の笑顔が見れたのだから後悔はしていない。これでよかったんだ。


ただ、心残りなのは母と会った日以来、マナが姿を現してくれないことだ。お礼だけはどうしても言いたいのだが。


もう会えないのだろうか…。


「先輩!お久しぶりです!」


あゆみとも久々にあった気がする。やはり可愛い。


「おはよう。この前は悪かったね。」


「じゃあ、今夜埋め合わせしてくれますか?」


「OK!6時に集合で」


「やった。」






「……マナちゃん、最後にあきらと会わせてくれて本当ありがとう。」


母は深々とお辞儀した。


「あきらが病室に入ってきた時の顏をみて、今の生活がとても苦労していることがすぐにわかりました。だけどあの子は私に心配させまいと、たくさんの優しい嘘をついてくれました。それが嬉しかった。」


母は涙した。


「でも顔を見ただけでよくわかりましたね?」


マナがなぜだかわからないという顔で母を見た。


「…母親ですもの。」


母はニッコリと笑った。


「なるほどです。」


マナは納得した。


マナは手に持っていた望遠鏡を母に渡した。


「この望遠鏡は少しだけ未来が見えるんです。これであきらさんを見てください。きっと素敵な未来が映っていますから。」


母は望遠鏡をのぞき、笑顔で涙した。



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