序章1 パン屋にて

宿場町フリエンテは小さな街だ。


しかも宿場町とは名乗ってはいても、何のことは無い。

碌な産業も無く、特産物も出ない土地柄故、数件の宿を置いて宿場町を名乗っているだけだ。

全て木造の家屋と、重要と思われる通り位にしか使われていない石畳がこの町の貧しさを物語っている。


空路が開ける前は、小さいながらも街の南東に小さな港を持っていたこの街は、海路で訪れる旅人のひとときの休息の地であったが、フリエンテにある桟橋は沿岸を漁場とする漁船が主な利用者で小さな港故寄港するのは小さな船ばかりで、大きな船はフリエンテなぞ素通りしてもっと北の山脈河口に設けられた大きな港まで行く。

 

とはいえ、昔も今もこれといった名物も無い土地。

旅人は良くて一泊。朝には北に一日歩けば辿り着く『魔物の谷』の河口に造られた大きな港に向かって旅立ってしまう。立ち寄るのは大きな船の切符を買えぬ旅人ばかりで街に落ちる金も僅かばかり。

近頃盛んに行き交うようになった飛空船も係留施設も持たぬフリエンテの港には立ち寄らぬ。



『魔物の谷』などと言うのは無論俗称で、島の北にある山脈の麓を流れる大きな谷であるだけだ。

谷と海を結ぶ河口に造られた港『バレーハーバー』は、飛空船の就航に合わせて海空両用の港になった。


まだ17ばかりのエイメールには理解出来ない話なのだが。

フリエンテから海路なら八日を要する大きな島ロッカリア北端の山脈で見つかった『不沈石』がもたらした飛行という新しい技術に、何故か巷の古老達は激しい拒否反応を示した。


「人が飛ぶことは厳しく戒められておる」

確たる根拠も示さず言い募る老人に年若いエイメールが反発せぬわけが無い。


「なんでだよ!誰が禁じてるんだよ!」

エイメールの詰問に街の古老は答えを濁した。

「古い言い伝えじゃ」

眼を剥くエイメールに古老はさらに言葉を被せた。

「ワシら老人にすら朧げにしか伝えられておらん遥か古代の戒めじゃ」


「先人の戒め、あだやおろそかにするべきでは有るまい」

血気盛んな若者が席を蹴ったのは言うまでもないことだった。



街の中央をそれなりの川が流れてはいるが見るからに深くはない。

橋の上からでは魚影が見えないところを見ると決して浅くもないのだろうが。


エイメールは顔を上げて橋向こうの広場を見やる。

背の低い、形ばかりの木の柵に囲まれた円形の広場の大きさは、普通の家なら10軒は収まりそうな広さ。


謹厳実直な船大工の父を持つエイメールは娯楽の一つもない郷里を嫌い、飛空船を頑ななまでに嫌う父と喧嘩して家を飛び出して来た。


「船なんてものはだなあ、大人しく海に浮いてりゃいいんだよ」

いっぱしに新進気鋭を気取りたいエイメールはその都度反発して父の事を古臭い堅物と腹の中で罵っていた。


「パンでも買っていくか」

ひとりごちて、エイメールは広場の入り口にこじんまりとした店を構えた焼きたての香りを漂わせる木造りの小屋に足を向けた。


跳ね上げ式の大きな窓が丁度雨除けのひさしを形作って、その下に身体を入れて店の中を覗いたエイメールの視線は、自分の胴ほどもある木のトレイにパンをのせた小さな少女が奥から出て来るのと目が合った。


「いらっしゃい」

ころころと、鈴の鳴るような声であいさつした少女は、小さな体を精一杯伸ばして棚にトレイを置くとエイメールの方に歩いて来た。

小さな体が窓の下に一旦見えなくなったが、「ヨイショ」という小さな掛け声と共に窓の内側にしつらえられたテーブルの向こうに可愛らしい姿を見せた。


年の頃は6~7歳だろうか。頬の赤みは抜けているが、幼さが残る少女はまんまるな瞳をくりくり動かしてエイメールを見つめた。


(こんな小さな子が店番を)

驚くエイメールの視線が奥から顔を覗かせた年嵩としかさの男の姿を確認する。

父親かと思われた男はエイメールを一瞥いちべつするとすぐに奥に引っ込んでしまった。

入れ替わりに目の前の少女より一回り上と思われる少女が現れて、エイメールに会釈した。

「アーシャ、後はお姉ちゃんがやるからソダおじさんの所へ行ってなさい」

アーシャと呼ばれた少女がブツブツ言いながら窓の下に姿を消すと入れ替わりにお姉ちゃんを名乗った少女が窓から顔を覗かせた。

「パンをお求めですか」

ハキハキした口様で喋る少女は10歳位だろうか。

見た目以上に大人びた雰囲気を醸している。

「バレーハーバーまで行くんでね、昼飯にと」

エイメールの言葉に少女は「ああ」と言った表情を浮かべて頷いた。



エイメールが選んだ商品をトレイに載せて来た少女は、パンを革袋に詰め込むエイメールの手元を見ながら話しかけて来た。

「お客さん、どちらまで行かれるんですか」

「サンクトプリマへ行くつもりだけど」

エイメールの言葉に少女は顔を上げて縋るような眼を向けた。

「商業都市へ行かれるつもりなんですね」

「まあ、そうだな」

特に目的があった訳でも無いのだが、田舎出で都会に憧れるエイメールが単に興味本位で選んだ次の目的地だ。

「商業都市ならあちこちから人が集まるんでしょうね」

少女の物言いに含んだものがあるようでエイメールは少女の瞳を見つめ返した。








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