第170話 夏の宴(その2)

 夏季休暇の中盤。

 ゴロゴロするのにも飽きてきた。

 時間が無いときは夜更かしをしがちだが、時間があると逆に夜更かしをしなくなる。

 普通に考えれば、逆の方が体調にはよいはずだが、そこは複雑な人間の心理といったところだろうか。

 それはともかく、夜早く寝ているせいで、朝早く目が覚めてしまった。


「散歩でもするかな」


 普段は週末くらいしか、散歩などという贅沢な時間の使い方はしないのだが、今は夏季休暇中だ。

 曜日に囚われる必要はない。

 簡単に身支度して外に出る。


 夏はこの時間帯が一番涼しいのではないだろうか。

 昼間に熱せられた地面が、夜の間にゆっくりと冷まされた状態だ。

 この後は、再び太陽に熱せられることになる。


 すでにセミは鳴いているが、エアコンとは違う心地よい涼しさに、気分よく歩き出す。

 見慣れた景色。

 しかし、新鮮に感じる。


 しばらく歩くと、公園が見えてきた。

 それほど大きくはないが、住宅街よりは木々が多い。

 そして、そこに止まるセミの数も、同様に多い。

 セミの鳴き声はうるさいが、自然を感じたくなって、公園に足を向ける。


「あれ?」


 ふと、人の姿を見つけた。

 この時間帯でも、人は出歩いている。

 だから、人に会うことは珍しくも無い。

 ただ、その多くは散歩をしているお年寄りか、ラジオ体操に行く子供だ。

 しかし、見つけたのは若い女性だった。


 陽射しを遮る、麦わら帽子。

 涼し気な、白いワンピース。


 深窓の令嬢と言っても通じるのではないかという、清楚な出で立ちだ。

 ただし、虫かごをたすき掛けにして、手に虫取り網を持っていなければ。


「なに、やってるんだ?」


 後輩がそこにいた。


☆★☆★☆★☆★☆★


 パシッ!


 ミーンミーンミーンミーンミーン・・・


 虫取り網を躱してセミが飛んでいく。


「あ~」


 残念そうな声を上げる後輩。

 近づいて、声をかける。



「えーっと、なにやってるの?」

「あ、先輩~」


 こちらに気づいて、後輩が振り向く。

 清楚な出で立ちが、虫かごと虫取り網で台無しだ。

 年齢がもう少し低ければ活発な女の子で通じるかも知れないが、なにせ社会人だ。

 無理がある。


「ちょっと童心に帰りたくなって」

「まあ、そうだろうね」


 というか、そうにしか見えない。

 普段から、こういう恰好ですと言われたら、ちょっと引くかも知れない。

 まあ、たまに童心に帰りたくなる気持ちは分かるので、深くは突っ込まないでおこう。


「セミ取り?」

「はい~。先輩もどうですか~?」


 後輩が持つ虫かごを見ると、何匹かのセミが入っていた。

 心の底に眠る子供心をくすぐられる。

 子供の頃は、自分も昆虫を捕まえて遊んでいた覚えがある。


「そうだな。ちょっと借りてもいい?」

「どうぞ~」


 快く虫取り網を貸してくれる後輩。

 獲物はそこら中にいて、居場所を主張している。

 そういえば、セミはオスが鳴いて、メスは鳴かないらしい。

 だから、捕まえやすいのはオスだ。


「あいつにするか」


 狙いは決めた。

 そいつに向かって、ゆっくりと近づき、素早く虫取り網を振るう。


 パシッ!


 ミーンミーンミーンミーンミーン・・・


「よし!」

「お見事です~」


 一発で捕まえることができた。

 男の子としての面目を保つことができただろう。

 捕まえたセミを後輩が持つ虫かごへ入れようとする。


「でも、オスですか~。メスの方が美味しいらしいんですけど~」


 ぴたっ・・・


 思わず、虫かごへ入れようとする手が止まる。

 美味しい?

 それは、日常生活では好ましくない状況でも、芸人がツッコミを貰うためには好ましいとか、そういう意味で?

 いや、違うのは分かっている。

 だが、そう思いたい。


「・・・・・ごめん、なんだって?」

「え?あ~、オスよりメスの方が美味しいらしいんですよ~。なんでも、オスは大きな鳴き声を響かせるためにお腹の中が空洞らしいので~」

「・・・・・そうなんだ」


 お腹の中が空洞だから、美味しくない。

 つまり、食べるところが少ないから、美味しくない。

 そういうことだろう。


「・・・・・」


 ちらり。


 手の中のセミを見る。

 捕まってなお、必死に逃げようと、鳴き続けているセミ。

 子孫を残そうと、短い生を必死に生きているセミ。


 ぱっ。


 ミーンミーンミーンミーンミーン・・・


「あ~、逃げちゃいましたね~」


 飛び立っていくセミを見送る後輩と自分。


「いや、ほら、童心に帰るのが目的なら、キャッチアンドリリースがいいかなって。飼うのも大変だし」


 人間は他にも食べるものはあるし。


「う~ん、それもそうですね~」


 そういうと、虫かごを開けて、他のセミたちも逃がす後輩。

 内心、ほっとする。

 セミを食すのに、それほどこだわっているわけではなさそうだ。

 虫食を否定するわけではないが、自分には少しハードルが高い。


「メスは捕まえられませんでしたし」

「!」


 虫食にこだわりがなかったのか、味にこだわりがあったのか。

 尋ねることはできなかった。

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