第171話 夏の宴(その3)

 冒険者(サラリーマン)にとって体調管理は重要だ。

 それは何も病気や怪我だけを指すわけではない。

 日々の睡眠も含まれる。

 寝ぼけた頭でクエスト(お仕事)に挑むなど、自殺行為もいいところだ。

 モンスター(お客様)は、一瞬の隙も見逃してはくれない。


 普段であれば睡眠を確保するためにベッドに入る時間帯。

 しかし、まだ夏季休暇中だ。

 こんなときは普段と違う行動を取りたくなることもある。

 綺麗な満月なのも原因なのかも知れない。

 獣のように遠吠えするつもりはないが、なぜか気分が高揚する。


 ガチャ。


 玄関を出て、暗闇に足を踏み入れる。

 深夜の散歩だ。

 昼間に熱せられた地面から暑さが伝わってくるが、陽が落ちた後の風がそれを和らげてくれる。


 しばし歩くと、明かりが見えてくる。

 近づくと、喧騒が聞こえてくる。

 そこだけは昼間のような活気に溢れている。

 酒場だ。


 どうしようか。


 なんとなく入りたくなってきた。

 普段は一人で入ることは滅多にないのだが、すでに月に酔っているのかも知れない。

 そのまま引き込まれそうだ。

 だが、時間も時間だ。

 冷静な部分がそう告げてくる。

 この時間から飲めば、いくら休暇中とはいえ、生活サイクルが乱れるのは間違いない。

 なにか一押し欲しい。

 誰に言い訳するわけでもないのだが、理由を探して、なんとなく店内を覗き込む。


「あれ?」


 見知った顔を見つけて、そのまま店に足を踏み入れた。


☆★☆★☆★☆★☆★


「こんばんは、今日は一人?」

「あ、先輩さん」


 魔法使い(PG:女)が、物憂げな様子で黄昏ながら、一人で飲んでいた。

 ナンパだとでも思ったのか、怪訝な表情で振り向いたのだが、こちらの顔を確認すると安心したように返事をしてきた。


 手元を見ると、お銚子とお猪口。

 渋い。

 これでカクテルだと決まるのだが、バーではなく居酒屋だし、逆に似合っているのかも知れない。


「珍しいね」

「ええ、まあ」


 彼女の家はこの辺りではなかったはずだ。

 後輩の家に遊びに来たのだと思うが、それにしては後輩がいた気配がない。

 一人で飲んでいたようだ。


「隣いい?」

「どうぞ」


 断りを入れてから、隣に座る。

 どうしたのだろう。

 彼女はお酒を飲むのは好きだが、一人で飲み歩く性格ではなかったと思う。

 後輩と喧嘩でもしたのだろうか。

 少し心配になってきた。

 だが、女性のプライベートに踏み込むのもどうだろう。

 内心で葛藤していると、彼女の方から声をかけてきた。


「先輩さん、珍味って好きですか?」


 唐突な質問だが、なにか意味があるのかも知れない。

 神妙な顔で問いかけてきている。

 ならば、真面目に答えるべきだろう。


「うーん、ものによるけど、一般的に食べられてるものなら、だいたい口に合うかな」


 高級なところでいくとキャビア、トリュフ、フォアグラだろうか。

 これらは世界三大珍味と言われている。

 日本でいくと、ウニ、カラスミ、このわただろうか。

 癖が強く好き嫌いが分れると言われているが、大抵のものは食べることができる。

 好んで食べるかどうかは別の話ではあるが。


 ただ、珍味と言われるものの中には、ゲテモノに近いものもある。

 彼女の言うのは、どちらを指しているのだろうか。


「イナゴの佃煮って食べられますか?」


 微妙なところで来たな。

 珍味なのは確かだが、ゲテモノかというと迷うところだ。

 現代ではゲテモノに近いような気もするが、子供の頃はスーパーで売っていたのを見た記憶がある。


「食べたことはないけど、頑張ればいけそうな気がする」


 噂で聞いたところによると、エビに似た味で、オカエビと呼ばれることもあるそうだ。

 そう考えると、抵抗感は低い。


「蜂の子はどうです?」


 頭の中で想像してみる。


「幼虫系はちょっと・・・」


 ぷちゅ、と潰れて中身が漏れる光景を想像してみたが、ちょっと無理だった。

 栄養豊富な高級珍味ということは知っているし、食べる文化も尊重はする。

 するのだが、食糧難になってタンパク質を取るにしても、せめて成虫を希望したい。


 しかし、なんだろう。

 彼女がこんなことを言い出した理由が分からない。

 いや、待てよ。

 最近、似たような話を聞いたような気がする。


「幼虫はNGで、成虫はOKですか・・・」


 なにやら考え込む様子の彼女。

 なんだか、嫌な予感がしてきた。

 もしかして、アレが絡んでいないだろうか。


「実はお裾分けがあるんですけど・・・」


 珍味。

 成虫。

 そして、ここにいない、もう一人。


「セミって・・・」

「ごめん、無理」


 もう少し食糧難になってから考えさせてください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る