第123話 蜘蛛の糸

 むくっ。


「・・・・・」


 今日は土曜日。

 時刻は18:00。


「・・・・・」


 妙にすっきりと目が覚めた。

 ゴールデンウィークが明けた週の平日は起きるのが辛かった。

 ようやく慣れて、すっきり目覚めることができたのが土曜日というのは皮肉なものだ。


 ぴっ。


 テレビを点けるが興味を引く内容はやっていない。

 ゴールデンウィークも終わったし、観光地を紹介するといった特集も無い。

 ごくごく平凡な番組ばかりだ。


 シャッ!


 カーテンを開けると眩しい光が目に入る。

 一気に脳が覚醒するのが分かる。

 二度寝はできそうにない。


「どうしようかな」


 妙に身体に活力が満ちている。

 このまま家でゴロゴロとするのは、もったいない気がする。

 かといって、ゴールデンウィークが終わった直後に遠出するのも、なんだか時期はずれな気がする。


「よし」


 普段、目的もなく外を出歩くことは滅多にない。

 大抵は用事を果たすために出かける。

 だが、今日は特に用事はない。


「散歩に行ってみよう」


 だが、ここでふと思う。

 人生を振り返ってみると、散歩というものをしたことがない気がする。

 そもそも散歩とは何だろう。

 明確な定義となると、自信を持って答えることができない。

 ダメだ。

 最初の一歩も踏み出さないうちに躓いた。


「中途半端はよくないな」


 パソコンの電源を入れる。

 ブラウザを立ち上げる。

 検索する文字列を入れる。


「散歩・・・気晴らしや健康などのために、ぶらぶらと歩くこと」


 ふむ。

 これは予想通りだ。

 やはり、用事を理由にしてはいけないようだ。

 目的はあくまでも気晴らしでなければならないらしい。


「・・・自宅や滞在している場所などの周辺を、とりとめもなく、ぶらぶらと歩くこと」


 なるほど。

 遠出はダメなようだ。

 まあ、これも想定の範囲内だ。

 距離があるなら、それなりの交通手段を取るだろう。


「目的は気晴らし。歩く範囲は自宅周辺」


 完璧だ。

 これで噂に行く散歩を満喫することができるだろう。


 トントン。


 軽快につま先で地面を叩き、靴を履く。

 多くの店はまだ開いておらず、辺りは静かだ。

 自動車も多くはなく、空気もおいしい。

 これは期待ができそうだ。


 テクテクテク・・・。


 普段は視線を向けない草木が目に映る。

 心に余裕があると、自然の営みにも目が向くようだ。


 テクテクテク・・・。


 花の蜜を吸いに、蝶が舞っている。

 風に揺られるような、その様に視線が惹かれる。


 テクテクテク・・・ぺとっ。


 一瞬、朝露の輝きが見えた。

 それ自体は宝石のように美しい。

 だが、それは距離を取って見ていた場合だ。


「・・・・・」


 顔に張り付いた粘着性のある糸を剥がす。

 すると今度は手に張り付く。


 ぶんぶんっ!


 手を振るが離れる様子はない。

 むしろ絡みつくてくるようにも感じる。

 顔についた糸も取り切れてはいない。


「・・・はぁ」


 誰が悪いというわけではない。

 悪いとすれば、余所見をしていた自分だ。

 八つ当たりするわけにもいかない。


 巣を張った蜘蛛に罪はない。

 むしろ加害者は、蜘蛛が生きる糧を得るために張った巣を壊した自分だ。


 テクテクテク・・・がちゃ・・・ジャーッ・・・ごしごし。


 家を出てから十メートルは歩けただろうか。

 それ以上は進むことができず、引き返してしまった。


「これが・・・初心者に対する洗礼・・・か」


 どうやら自分は甘く見ていたらしい。

 何事も極めるためには修行が必要ということだろう。

 散歩を楽しむには、自分はまだまだ未熟なようだ。


 パンパンッ!


 頬を叩き気合を入れる。


「よし!」


 身の程を知ったその日は、細心の注意を払い、緊張感を保ちながら、自宅の周囲を速足で周回した。

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