第124話 猫の細道(壱)

「・・・・・」


 細心の注意を払っていたつもりだ。

 緊張感を保っていた。


 ツーッ・・・


 背筋を冷たい汗が伝う。

 まさか、休日にこいつに出会うとは思わなかった。

 事実、冒険者(サラリーマン)になってから、休日にこいつに出会ったことはない。

 油断と言えば、その通りだろう。

 可能性としてはあり得るのに、そのことが頭の片隅にもなかった。

 だが、まだ負けたわけではない。

 思考を冒険者(サラリーマン)のそれに切り替える。

 勝負はここからだ。


「・・・・・にゃあ」


★魔獣(黒猫)が現れた★


 横切られるわけにはいかない。


☆★☆★☆★☆★☆★


 原因はいくつか考えられる。


 普段は休日に出歩かない時間帯。

 平日にギルド(会社)へ向かうために歩くのと同じ道。

 すごしやすい陽気。


 ほんの少しの気まぐれが、行動の変化を呼び、いつもと違う運命を引き寄せたのだろう。

 しかし、ここで重要なのは分析ではない。

 対策だ。


「にゃ」


 ひたひたひた。


 唸り声を上げながら、魔獣がこちらに歩みを進める。

 一歩一歩は小さい。

 しかし、微かな足音さえ立てない姿は、視覚を通じて凄まじいプレッシャーとして襲いかかってくる。

 そして、目の前にいるのに気配を感じない姿は、野生の狩人を連想させる。


 じりっ。


 魔獣が近づくのと同じ距離を後ずさる。

 視線を逸らすわけにはいかない。

 背を向けるわけにはいかない。

 狩人に対して、それは自殺行為だ。


 しばし、睨みあいが続く。


「あの~」

「・・・・・」

「先輩~?」

「・・・・・ごめん。今は目を離せない」

「そうですか~」


 なにやら人の声がするが余裕がない。

 失礼だとは思いつつも、相手の姿を確認せずに返事を返す。


「えっと~」

「・・・・・」

「なにをしてるんですか~?」

「・・・・・散歩」

「はあ~」


 ぴくっ。


 魔獣の視線が逸れた。

 だが、ここで油断はしない。


 ひたひたひた。


 こちらに近づいてくる。

 しかし、自分に向かってくるには、わずかに方向がずれている。

 今度は後ずさりせずに、魔獣の行動を見守る。


「にゃあ!」

「かわいいニャンコさんですね~」


 すりすり。


 先ほどの声の主に攻撃を繰り出す魔獣。


「ごめんね~。ご飯は持ってないの~」


 だが、声の主も無抵抗ではない。

 魔獣に対して、呪文を唱える。


「にゃあ・・・」


 呪文が効いたのだろうか。

 魔獣は小さな鳴き声を上げると、身をひるがえす。


 ひたひたひた。


 そして、そのまま去っていった。


「またね~」


 声の主が魔獣を威嚇するように手を振っている。

 姿が見えなくなるまで、油断をしない。

 なかなかの達人のようだ。

 そこでようやく、声の主を確認する。


「あれ?」

「おはようございます~」


 そこにいたのは後輩だった。


「休みの日に、こんなところで会うなんて、珍しいな」

「わたしは、休みの日に、よくこの辺りをお散歩してますよ~」

「そうなんだ」


 後輩の行動はいつも通りらしい。

 それもそうか。

 いつもと違う行動を取ったのは自分の方だ。


「一緒にお散歩してもいいですか~?」


 どうやら彼女は散歩のベテランのようだ。

 そういえば、先ほどの魔獣への対処も手慣れたものだった。

 ならば、年下である彼女に教えを乞うのもありだろう。

 頂へ至る道を歩むのに、年功序列は関係ない。

 年上としてのプライドなど邪魔なだけだ。


「ああ。レクチャーを頼む」

「?」


 なぜか、不思議そうな顔をされた。

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