第107話 魔獣撃退

 暖かな陽気。

 柔らかい風。

 舞い散る桜も美しい。

 過ごしやすい季節だ。

 だが、それは冒険者(サラリーマン)だけでなく、獣にとっても同じらしい。


「・・・・・」

「・・・・・」


 こいつに出会うのは、ひさしぶりだ。

 冬眠でもしていたのだろうか。


★魔獣(黒猫)Lv1が現れた★


 転移ポータル(自宅の最寄り駅)まで、あと一歩という距離だ。

 もう建物は見えているのに、ついていない。


 じーっ・・・

 じーっ・・・


 以前は動揺していたものだが、もはや攻略法は分かっている。

 視線を逸らさず、ゆっくりと大回りで回避する。


「・・・・・ふぅ」


 若干、緊張はしたが、危なげなく通り抜けることができた。

 特殊攻撃(黒猫に横切られる)を受けることもない。

 これぐらいの緊張感なら、朝の準備運動に丁度良いくらいだ。


 ピッ!


 まだ、他の冒険者(サラリーマン)はいないようだ。

 なにか賞金や賞品があるわけではないが、一番乗りは気持ちがいい。

 あえて挙げるなら、この静けさが賞品だ。

 そんなことを考えていたせいだろうか。

 その声を聞いてしまった。


「・・・・・にゃあ」


 ぞくり。


 突如、背後からかけられた声に背筋が凍る。

 気配は感じなかった。


 ギギギッ・・・


 さび付いたブリキ人形のように、ゆっくりと後ろを振り返る。


★魔獣(子猫)Lv2が現れた★


「ぶ、分身した?」


 そう思ってしまうほど、先ほど出会った魔獣(黒猫)にそっくりな姿だ。

 だが、そんなわけはない。

 おそらく子供を産んだのだろう。


 すっ・・・すっ・・・すっ・・・


 ビクッ!


 足音を立てることもなく近づいてくる魔獣(子猫)に、先ほどは感じなかった恐怖を感じる。


「マ、マズイ!」


 これ以上、距離を詰められるのは危険だ。

 それは分かっている。

 しかし、魅了されてしまったかのように、身体が動かない。


 ぴたっ・・・


 ついに魔獣(子猫)が、指先ほどの距離まで接近してしまった。


「・・・・・にゃあ」


 すりすり。


★魔獣(子猫)Lv2はテンプテーション誘惑を放った★


「グハッ!」


 駄目だ。

 すでに術中にはまってしまっていたらしい。

 足元にまとわりつかれているというのに、振り払おうとする気力すら起きない。


「や、野生の誇りはどうした?」


 まるで餌をねだる愛玩動物のような仕草だ。

 だが、野生に生きる孤高の獣であれば、自ら狩りをして糧を得るはずだ。


「・・・・・にゃあ」


 きょろ。


★魔獣(子猫)Lv2は魅了の魔眼を放った★


 ぐらり。


 こちらを見上げる瞳に心がぐらつく。


「そうか!しまった!」


 森が広がる野生なら、糧を得る手段は狩りに限定されるだろう。

 だが、鉄とコンクリートが広がる街中であれば、手段は変わってくる。

 例えば、自らの容姿を利用して人間を魅了し、しもべのように餌を貢がせるなどだ。

 むしろ、街中では狩りは難しい。

 鼠などの小動物は、淘汰されている状態に近いからだ。

 環境に合わせてスキルを進化させたのだろう。


「これが・・・進化した・・・力!」


 もはや、自分の心は屈服する寸前だ。


 そーっ・・・


 やわらかそうな毛並みに、手が伸びる。

 一度触れてしまえば最後、逆らえなくなってしまうのは分かっているのにだ。

 感情が理性を上回る。


 ・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・


 ぴくっ・・・ぴくぴくっ・・・


 手が触れる寸前、魔獣(子猫)がこちらから視線を外す。


「はっ!?」


 それと同時に正気を取り戻す。


 たたっ・・・


「あっ・・・」


 魔獣(子猫)がこちらに背を向けて、離れていく。


 ぴたっ。


「にゃあ」


 一度だけ振り返り、ひときわ強く声を上げる。

 それはまるで、こう言っているようだった。


『次は逃がさない』


 そして、それ以降は振り返らずに、かけていく。


「た、助かった?」


 伸ばしかけた手を握ったり開いたりしながら、身体の自由が戻っていることを確認する。


「危ないところだった」


 今回、助かったのは、たまたまだ。

 タイミングが違えば、堕ちていた。

 怖ろしい敵が現れたものだ。

 そんなことを考えながら、転移ポータル(電車)に乗り込んだ。

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