#9 あなたの名前を

「キケン!キケン!」

 突如、博士の腕に巻かれたラッキービーストのレンズ型スクリーンが、警告音を鳴らしながら赤く点滅を始めた。

「……ラッキーさん!?」

 かばんが博士の方に駆け寄る。博士の腕をかばんが持ちあげると、ラッキービーストは動作を通信モードにスイッチした。それと同時に、ホテルを大きな揺れが襲った。

 博士の腕のラッキービーストは、ザーッというノイズを発していたが、やがて、レンズを緑に点灯させて、バンドウイルカの声の再生を始めた。

「大変なの!!海の底の火山が暴れ出して……っ!!」

 鬼気迫る声で語りかけるバンドウイルカの声。慌てふためき、説明が要領を得ないイルカに代わって、カリフォルニアアシカが説明する。

「噴火で地面にひびが入って、ホテルの近くまで迫ってるんです!!早く降りて船に乗ってください!!このホテルは――」

 激変する状況に、イルカと同じく慌てて早口になっていたアシカは、ここで一息ついて息を整える。そして、はっきりとした大きな声で、皆に言い渡した。

「完全に沈みます!!」


 * * *


 カルガモが、屋上の入り口で旗を振って皆に呼びかけた。

「みなさん!!こっちです!!」

 その先では、暗くなったホテルの中で、オオミミギツネが赤く光る棒を振っていた。ホテル側面の非常階段、そこまでの避難路を、ブタやハブと一緒になって誘導していた。

 オオミミギツネたち三人は屋上の決戦には参加していなかった。彼女たちはホテルの中を見て回って、施設の破損状況を確認したり、セルリアンの発生状況を調べたり、三人でセルリアンに立ち向かったりと、また別の冒険を繰り広げていた。

 彼女たちにとって、このホテルは自分たちの「おうち」であり、城のような存在だった。全てが終わったらまた営業を再開できるようにと、施設を取り戻すため、皆とは別の目的で、人知れず戦っていた。だが、先のラッキービーストの通信より少し前、船着き場を確認しに行った彼女たちが、イルカたちから突きつけられたのは、変えがたい非情な現実だった。


 オオミミギツネは泣きべそをかきながら、非常階段の方に向けて、無心で備品の誘導灯を振っていた。

「うぅ……私のホテルがぁ……」

 ハブは、落ち込むオオミミギツネの背中を叩き、笑いながら言った。

「いいじゃねーか!!ようやく、面倒くさい避難訓練が役に立ったんだしさ」

 いつものような、毒のある言いまわし。それでも、それは不器用なハブにとって、彼女なりのオオミミギツネに対する激励のつもりだった。

 ハブとオオミミギツネとの付き合いはもう長い。ハブの気持ちは、オオミミギツネにも解かっていた。共に働いてきた仲間だから。けど――

「そんなの役に立たない方がいいに決まってるでしょっ!!」

 オオミミギツネは、涙目でハブに向かって誘導灯をぶんぶんと振った。慰めとだわかっていても、腹が立つものは腹が立つ。

「ちょっ……振りまわすなって!!棒は苦手だって言ってるだろ!!」

 ぷりぷりと怒りながらも、声に覇気の戻ったオオミミギツネを見て、ブタは少し安心し、微笑んだ。


 * * *


「そんなところにいると、危ないよ」

 崩壊の始まったホテルの屋上。キュルルは、屋上の隅にひとり座り込んだビーストに、優しく声をかけた。

「このホテル、もう沈んじゃうんだって。そんなところにいると、足場が崩れて落っこちちゃうよ」

 ビーストは、前脚を地についたまま、上半身を捻ってキュルルを見た。憑き物が落ちたように、歯を隠した穏やかな顔つき。そこに、怒りや敵対心を感じない。それは、キュルルが今まで見ることのなかったビーストの表情だ。

 だが、ビーストはキュルルを一瞥すると、興味を失ったように、すぐに海の方に視線を戻した。視線の先にはもうじき見えなくなりそうな、白い光の点がちらつく。

「かばんさんがボートを用意してくれたんだ。みんながセルリアンを倒したら、逃げられるようにって」

 キュルルはビーストに一歩近づく。

「だから、もうここを出て、一緒に行こう?」

 キュルルはさらに一歩近づいた。

「みんなと……ぼくと……友達になろうよ」

 ビーストは、勢いよくキュルルの方を振り返った。ただし、その表情はキュルルが期待したような好意的なものではなかった。ビーストはグルルと低い唸り声を上げ、キュルルを威嚇している。「これ以上近づいたら痛い目にあわせるぞ」と、訴えかけてくるように。


「キュルルちゃん!!」

「何してんのキュルル!!早く行くわよ!!」

 サーバルとカラカルは、屋上の出入口の前でキュルルに向かって叫んだ。二人とキュルルの間には、ビーストが屋上に現れた時に残した、大きな亀裂が真横に走っている。二人はキュルルを置いて逃げる気配はない。一度決心した時の、キュルルの危うさをよく知っているから。

「僕たち、友達にはなれないのかな……」

 キュルルはビーストに語り掛けた。ビーストは答えない。それでも、キュルルは皆を助けたこの獣に、友となるために手を差し伸べることをやめたくはなかった。キュルルは、懇願するようにビーストに語り掛けた。

「ねえ――」

 諦めきれずビーストに声をかけようとした。その時、キュルルは一つの残酷な事実に気がついた。自分が、自分たちが、ビーストの事を「友達」と呼ぶことが出来ない、決定的な理由に。


 ――ぼくは、この子の「名前」を知らない。


 「ビースト」。それは「フレンズ」と同じく、サンドスターでヒトの姿を成した、特殊な動物を指す総称。

 キュルルは、彼女のことを「ビースト」と呼ぶことしか出来なかった。キュルルだけじゃない。フレンズたちも皆、ビーストが何者であるか、誰一人知らなかったのだ。

 もちろん、彼女が自分の名前を語ることが出来ない以上、パークで彼女が何者であるかを知るのは、ラッキービーストぐらいしかいないのだろう。それでも、友でありたいと願った今日この時まで、自分たちはこの子のことを知ろうとするのをやめて、ただ怖ろしい「ビースト」として、まるで見放すように接してきた。

 ビーストは言葉をしゃべれない。だからといって、自分の存在を誰も知らない、記憶も記録も無く、ただ一人で生きて、ただ命を落とし、忘れ去られていく、それはとても残酷なように感じられた。


 ビーストはヒトに自分を知られることなど求めてはいない。それでも、キュルルは自分の「これまで」を、深く後悔した。

 ――ぼくが、この子の友達であるためには、まず何より先に知るべきことがあったんだ。この子を呼ぶための名前を、今日この時のために、ちゃんと知っておくべきだったんだ。


 海から響く轟音と共に、ホテルが激しく揺れる。

「きゃっ!!」

「カラカル!!」

 小さく響く叫び声と、心配するサーバルの声。キュルルが後ろを振り向くと、カラカルがバランスを崩して転倒していた。先の戦闘で負ったカラカルのダメージはまだ残っていて、サーバルは彼女の肩を担いで立ち上がった。

 このままキュルルがここに残っていたら、二人は逃げられない。自分のわがままで、二人を危険にさらしてしまう。キュルルは、ビーストと友達になることをあきらめたくはない。けれど、ここにいてもそれは達成されない。それどころか、二人を無為に危険にさらすことになる。


 キュルルは悲しげな表情を浮かべ、ビーストに背を向けた。キュルルの眼前には大きな亀裂が走る。キュルルは、広がりつつあるその裂け目の向こう、大切な二人の友達に向かって、助走をつけて、裂け目を飛び越えた。

 向こう側には、ビーストただ一人だけが残された。その裂け目は、人間フレンズビーストを隔てる、深い断絶を象徴しているかのように――。

 キュルルは滲んだ瞳を手でぬぐいながら、サーバルと一緒にカラカルの肩を支え、明かりの消えた暗闇の中へと駆けて行った。

 やがて、屋上の出入り口にはひびが広がっていき、ビーストを屋上に残したまま、ドアは瓦礫に埋もれていった。


 * * *


「あんた、あの子が心配なの?」

 カラカルは、船から離れていくホテルの屋上を、無言で見つめるキュルルに問いかけた。

「……うん」

 カラカルはキュルルの横に並んで、ホテルの屋上を見つめた。

「心配いらないでしょ。一人であそこまで飛んで来たんだから。ちゃんと自分の力で、陸まで帰れるわよ」

「それは……そうなんだけど……」

 歯切れの悪い返事をするキュルル。きっと、カラカルの言う通りビーストは無事でいるだろう。だが、キュルルはどうしても、ビーストに対して自分に出来る事をすべてやったと、自信を持って言う事は出来なかった。


「私……あんたの絵、好きよ」

 突然、カラカルの口から発せられた、脈絡のない言葉。キュルルはカラカルの方を見て、目をぱちくりとさせていた。カラカルは、ホテルの方を見たまま話を続けた。

「ビーストと友達になろうなんて、これまでみんな考えなかったんだもの。それって、面白いじゃない」

 カラカルは、握りしめていた右手を開いた。そこには、カラカルとキュルル、イエイヌの上半身の描かれた紙の欠片が、しわだらけで入っていた。

「あの子も、私たちも、生きてるんだから。諦めなかったらいつか友達になれるんじゃない?頑張りなさいよ」

 夕日がカラカルの背を照らす。逆光の中で、カラカルは潤んだ瞳でキュルルに微笑みかけた。キュルルは、いつもはムキになってばかりいるカラカルが、その時だけずっと大人になったように感じて、その表情にしばし見惚れていた。


「あっ、カラカルちゃんも、それ拾ったんだ」

 突如、ロバが二人の横から顔を出した。振り向いた二人の前に、彼女は懐から出した小さな紙の破片をつまみあげた。

「ほら、これ……」

 紙には、パンを持ったロバと、下からはみ出たカラカルの耳が描かれている。

「……!!」

「それって……」

 キュルルとカラカルは声を出した。カラカルの持っていた絵の欠片と、ロバの持っていた絵の欠片は、上下がぴったりとくっついた。


「なんだ、お前たちも拾っていたのか」

 プロングホーンが隙間に横から押し入るように入って行く。その手には紙の破片が何枚も収まっていた。

「ふん、あなたたちがあまりにも遅いから、退屈で拾ってただけよ」

 チーターが紙の破片を取り出した。集まってくる他のフレンズたち。他にも絵の欠片を拾ったフレンズは大勢いた。細切れになった紙の欠片を、船の座席の上に重ねていく。ボートの運転をラッキービーストに任せたかばんは、驚いたような顔で、その光景を眺めていた。


「これは……パズルですね!!」

 アードウルフが両手を叩いて笑顔を見せた。

「パズル!!……ってなんなのだ?」

 好奇心に駆られたアライグマは身を乗り出した。

「一枚の絵をいろんな形に切って混ぜ合わせて、元の通りに繋ぎ合わせる遊びですよ」

 アードウルフの横に立って、アリツカゲラが説明した。それを聞いて、謎解きの気配を感じたオオアルマジロとオオセンザンコウも寄ってきた。

「ほう、これは興味深いですね」

「やってみようよ、センちゃん!!」

 二人もまた、セルリアンにおびえてしゃがみこんでいた時に見つけた、自分たちの描かれた絵の欠片を、表返して座席の上に置いた。

 船の座席を囲んだフレンズたちは、バラバラになった絵を囲んで、ああでもない、こうでもないと、絵の欠片を動かして遊び始めた。その絵に描かれた自分や友達の姿を探しては、照れ臭そうに笑いながら。

 

「……ねえ、お願い」

 皆の様子を、遠巻きに無言で眺めていたかばんに、サーバルはずいっと迫るように近づき、手を合わせて懇願した。不意に目の前に現れたサーバルの姿に、ビクッと身を震わせたかばんだったが、すぐにサーバルに向き直った。サーバルは、かばんに頭を下げながら口を開く。

「あの絵は、みんなの……キュルルちゃんの大切な思い出なの!!燃やしたりしないで!!」


 かばんは、彼方の記憶に、懐かしき「郷愁の地」の思い出に、思いを馳せた。笑い合った友との記憶。自分の伝えた力を駆使して、驚異的な大型セルリアンから救い出された、あの日の記憶。「博士」と「助手」の試練で作ったカレーを、旅で出会った皆に振る舞われた、あの日の記憶。私が旅立つ船を、親友のあの子が追いかけてくるための船を、フレンズたちが協力して作り上げた、あの日の記憶。

 自分には何もできないと思っていた。皆の役に立つことなんてないと思っていた。だけど、ヒトにはヒトにしかできない事がある。ヒトにしか伝えられない幸せがある。それは、今キュルルの描いた思い出の絵を、組み合わせるフレンズたちの笑顔のように。この子たちにもまた、他のフレンズにこの幸せを伝える日が、いつかはやってくるのかもしれない。


「……私には『自由に絵を描いていい』とは言えない。みんなが危険な目に合うから」

 かばんは言い放った。

 この絵を残しておくことは、いつの日かまたセルリアンの大発生を招くかもしれない。引き裂かれた絵が、海に散り散りにならなかったことは、これをまとめて焼却処分する、またとないチャンスだ。パークガイド権限を持つ者として、皆が危険にさらされる原因を見逃すべきではない。みんなが生き残るために。安全に暮らしていくために。

 サーバルは悲しげな表情で、彼女から目を逸らすように、斜め下に視線を落とした。

「……けど」

 かばんは続けた。険しい表情を解いて安らかな笑顔を浮かべて。

「私は、絵を保管するのに安全な場所も知ってる。『絵からセルリアンが生まれないようにする』研究が終わるまで、君たちの絵は私が預からせてもらうよ」

 サーバルは、ハッとしたようにまっすぐ前を見上げた。そこにはパズルを組み立てる皆を、優しい表情で見つめるかばんがいた。

「みんなの大切な思い出だからね。もう『燃やす』なんて言わないよ。約束する」

 その言葉を理解した瞬間、サーバルは、見る見るうちに、いつも通りの明るい笑顔に戻って行く。感極まったサーバルは、ただただ「ありがとう」と繰り返しながら、かばんを抱きしめていた。


 かばんは、今は亡き友との思い出に流されて、信念を通しきれなかった自分の甘さに、自嘲的な気持ちを抱く。けれども、楽しそうにパズルを組み立てながら談笑するフレンズを見て、これで良かったのだと、納得することにした。

 「生きること」は「死なないこと」ではない。「幸せを目指すこと」だから――。


「良かったわね、キュルル」

 サーバルたちの会話を聞いたカラカルは、パズルを組み立てるフレンズからキュルルに視線を映した。怪我の功名ではあるものの、皆の宝物だった絵は、ビーストの手でバラバラに引き裂かれたことで、こうしてまたキュルルたちの元に戻って来た。

 ――それは、あの子自身がそうしようとした結果じゃない。ぼくとあの子は、「友達」じゃないんだから。それはわかってる。けど――


「ラッキーさん」

 キュルルは手首のラッキービーストに話しかけた。レンズ型スクリーンが緑に点灯する。キュルルは、再びホテルの屋上に視線を移した。

「あの子の名前……なんて言うの?」

 少し間を置いて、ラッキービーストは答えた

「『アムールトラ』だよ。ネコ科最大の動物で、その大きな体と、寒い地方で暮らすための長い体毛が特徴だね」

「そう……ありがとう、ラッキーさん」

 ラッキービーストにお礼を言って、キュルルはホテルの屋上をじっと見つめていた。


 ――色々ぶつかりあったりもしたけれど

 ――偶然が重なっただけかもしれないけれど

 ――あるいは、ただの気まぐれなのかもしれないけれど

 ――それでも、二度もぼくたちを助けてくれて


 キュルルは、ゆっくりと口を開いた。

「本当に、ありがとう。アムールトラ」


 斜めに傾いたホテルの屋上で、あの子がこちらを見て笑った。

 ――そんな気がした。

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