#8 明き翼に願いを乗せて

 真っ白な翼は、小さな輝きをその先端に宿し、ゆっくりゆっくりと進んでいく。そして、今まさにとどめを刺されようとしていたビーストの前を、ゆっくりと横切っていった。

 ビーストは、生命の危機が迫っていたことも忘れ、ゆらゆらと揺れる光を目で追っていく。そして、彼女を追い詰めたセルリアンも同じように、それをじっと目で追っていた。


 セルリアンの多くは、「輝き」を見ると一時的に行動が中断する。それは「繁殖」の概念を持たない特殊な生物である彼らにとって、その存在を「進化」させる手段は「輝きを奪うこと」しか存在しないためだ。

 彼らは「輝き」を求める。フレンズやヒトのキラキラとした精神的な営み。それを前にすると、本能にせかされるように観察を始めてしまうのだ。まるで、彼らの自身の心が、輝かしい営みに恋い焦がれているかのように――

 サーバルとカラカルのセルリアンは、白い翼を見つめる。二体のセルリアンの暗い瞳。それが見つめる先は、キラキラと揺らめく炎か、それに込められた「繋がり」か――


 * * *


 ――助けなきゃ。

 キュルルの心は、眼前で繰り広げられるビーストへの蹂躙にを前にして、飛び出していきたい衝動にかられていた。しかしキュルルは、この戦いを通して、自分では盾にすらなれないことを、自分自身の無力さを、嫌というほど理解していた。

 けど、それをそのまま受け入れることも、キュルルには出来なかった。わかり合うことはできないかもしれない。けど、それでも友達になりたい。もっと深く知りたい。そう願っていた相手であるビースト。彼女が、他ならぬ自分のせいで苦しんでいる。それを放っておくことは、キュルルには許せなかった。


 ――ぼくに出来ることはなんだろう?

 この旅の中でキュルルのやってきたことは、困った誰かの力になったり、命を救ったりと言った、実益を伴う善行ではない。色鉛筆で絵を描いたり、その場にある道具でおもちゃを作ったりして、フレンズと楽しく遊んできた。それが上手く働いて、みんなの仲を取り持ったりできた、ただそれだけである。いずれも、この戦いの場で役に立つようなものではない。

 それでも、取るに足らないおもちゃであっても、一瞬でもセルリアンの注意を引くことが出来たなら。限られた時間の中でできるような簡単な物で、セルリアンの気を引くことができたなら。

 しかし、屋上には瓦礫や植木程度の物しかなかった。キュルルのかばんの中にある物も、スケッチブックと色鉛筆、ハサミやテープぐらいのものだ。だがキュルルは、そこにこそ何かしらの糸口がある気がしていた。

 キュルルは旅の記憶を辿っていく。そして思い出した。ビーストに助けられたあの日のことを。不安の中で開いたスケッチブックの破られたページを。

 キュルルは思い出した。ビーストに襲われたあの日のことを。空飛ぶ紙細工がビーストの意識を逸らし、窮地を逃げ延びたあの日のことを。

 キュルルはスケッチブックのページを破いた。何も書かれていない真っ白なページ。そして、あの紙細工の構造を必死に思い出そうとした。火を灯して、なおも前に進んでいく、かばんの投げたあの青い翼を。


「――それ、私も作れるよ」

 サーバルは笑顔で言った。キュルルの横にしゃがみこんだサーバルは、破られたページを手元に引き寄せて、そっと撫でるように線をつけ、折り返した。

「あの子を助けたいんだよね?」

 サーバルの言葉にぽかんとしていたキュルルだったが、今もセルリアンに蹂躙されるビーストのことを思い、力強く頷いた。

「わかった。待っててねキュルルちゃん。すごくよく飛ぶ『紙飛行機』、折ってあげるから」


 サーバルは、テキパキと紙を折り始めた。それを、何かを言いたげに遠巻きに眺めるかばん。しかし、すぐさま視線をビーストに戻した。

 たとえ生まれが違って友達になれなかったとしても、セルリアンの手で危機に瀕した彼女の命、救えるものなら救ってあげたい。かばんもまた、皆と同じ思いを共有する一人だった。


 サーバルから、スケッチブックのページを折って作った、真っ白な紙飛行機が手渡された。キュルルは持ち手の後ろを指でつまみ、先ほどかばんから渡されたライターで、先端に火を灯した。

 キュルルはサーバルとカラカルを見る。二人は無言で頷いた。


 ――紙飛行機は飛んでいた

 ――人がけものを救うため


 かばんは、自分が生まれた日の出来事を回想する。あの時、これを使ったのはただの思いつきだった。うまく行く保証はどこにもなかった。実際、もしあの時、大口自慢の頼りになる助っ人が現れなければ、きっと私は無事では済まなかった。力なき私が、ここまで人生という名の旅を続けてこれたのは、多くのフレンズたちの支えがあったからだ。


 ――紙飛行機は飛んでいた

 ――けものが人を救うため


 サーバルは不思議な気持ちだった。誰に教わるでもなく、紙飛行機の折り方は生まれた時からずっと知っていた。しかし、かばんに会う日まで「それを知っていること」すら忘れていた。出所のわからない記憶。すべては、今日あの子を助けるため。そのためにあったのではないかと、そう思えた。


 ――紙飛行機は飛んでいた

 ――獣からヒトを救うため


 カラカルは、ジャングルで出会った火のついた紙飛行機を思い出していた。あれから何度も、ビーストには危険な目に合わされた。それが今では、キュルルとサーバルが力を合わせて、かばんがビーストを遠ざけた手段で、ビーストを救おうとしている。キュルルも、かばんも、そしてきっとパークに大勢いたというヒトも……、実に不思議な存在だ。


 ――紙飛行機は時を待つ

 ――ヒトが獣を救うために


 キュルルが遊びや玩具を作ってきたのは、いつだって皆と友達になるためだ。だから、いつだってキュルルは、遊び道具に願いを込める。

 そして、今日この時もまた、目の前のビーストに、自分の思いが届くように――。


 ――紙飛行機は飛んでいく

 ――明き翼に願いを乗せて


 キュルルの手から、燃える紙飛行機が放たれた。


 * * *


 セルリアンは、じっと紙飛行機を見つめていた。彼らの眼前を、右から左へと横切って行った紙飛行機は、そのまま高度を落とさず、屋上の端に向かって進んでいく。セルリアンは、紙飛行機を視界に納めるべく、乗り出すように頭を向けた。


「ぐぅあああああぁぁぁぅっ!!」

 ビーストが、心臓を鷲掴みにするような恐ろしい咆哮と共に、勢いよくその前脚を振り回した。紙飛行機に注意を反らされて、拘束を緩めていた二体のセルリアンは、虚を突かれた形でビーストに引きはがされ、追撃を警戒して距離を取った。

 二体のセルリアンはビーストを向いて構えを取った。しかし、当のビーストはと言うと、セルリアンには目もくれず、紙飛行機を追っていった。完全に注意の外に置かれたセルリアンたちは、これ幸いとビーストに対して跳躍による奇襲を仕掛けるべく、深く曲げた両足に力を――


 二体のセルリアンは、その大きな耳で、連続的な打撃音をとらえた。徐々に大きくなる音。コンクリートの地面を蹴りつける音。風を切って接近する二つの移動物体。二体のセルリアンは視線を後方へと移した


「サーバル、本気出すわよ!!」

 カラカルの握りしめた右手が輝きを放つ。初めて会った時のビーストのように。

「もちろん!!」

 サーバルの瞳が獣の眼光を宿す。先程まで戦っていたビーストのように。


 弾かれるように、キュルルの元から走り出した「本物」は、セルリアンたちと急速に間合いを詰めていた。二人は、セルリアンを前に己の野生を、自分を人の姿に押しとどめられる限界まで解放していた。強大な「野生」の力とも渡り合った、眼前の強敵を確実に仕留めるために。

 だが、ヒトの「一番大切な存在」を模造したセルリアンの能力も、甘くはなかった。二体のセルリアンは、まるで身体が流体になったかのように、関節の可動範囲を無視するように力をかけ、強引に二人の走ってくる方向に振り向いた。もはや、サーバルとカラカルに、崩れた体勢への奇襲の優位はない。彼女たちに残された物は――


「サーバル!!カラカル!!」

 かばんの叫び声が響く。

「『逆』を狙って!!」

 投げかけられた「叡智」が、「野生」に追いついた。二人は、走りを緩めることはなく、一瞬だけ視線を交わした。

 瞬間、サーバルとカラカルは軌道を交差させるように斜め前方に跳躍し、それぞれの狙う対象を入れ替えた。サーバルはカラカルのセルリアンに、カラカルはサーバルのセルリアンに迫る。予想だにしなかった入れ替わり。セルリアンは即座に迎撃を諦め回避に移った。

 カラカルのセルリアンは、サーバルを警戒して広く距離を取った。

 サーバルのセルリアンは、カラカルの狙いから外れるべく、高く跳躍した。


 ――しかし、セルリアンは二人から離れることは叶わなかった。

 サーバルの跳躍は、遠く離れた獲物に一足で近づき、頭上の死角から攻撃を放つ究極の襲撃戦法である。愚直に彼女から逃げようとしても、直線的な回避だけでは格好の餌食となる。

 カラカルの跳躍は飛ぶ鳥をも落とす非常に優れた対空攻撃力を持つ。いくらサーバルの跳躍力を再現したところで、苦し紛れの回避で逃れられるほど、彼女の対空迎撃の精度は甘くはない。

 二人は誰よりも良く知っていた。目の前の敵の得意不得意を。これに勝つための方法を。サーバルとカラカルのアドバンテージ。それは、共に暮らしたサバンナの日々。お互いの手の内を知り尽くすまで、飽きるほど繰り返した「狩りごっこ」。

 彼女たちの「遊び」の経験値は、セルリアンにも再現できない、彼女たちが「けもの」として生きてきた証――。


 サーバルの拳が、カラカルのセルリアンの脳天に勢いよく叩き下ろされた。逃げ場のない壁に押し付けるように、地面に垂直方向に撃ち込まれる拳。衝撃を全身にくまなく伝えられたカラカルのセルリアンは、無数のキューブとなって四散した。

 カラカルの握りしめた右手が、輝きを放つカラカルの右手が、空中で身動きの取れなくなったセルリアンの左脇腹を貫いた。やがて、セルリアンは脱力するように動きを止め、カラカルの右手に宿った輝きは終息した。カラカルがこれを引き抜くと、それと同時にセルリアンの体はキューブとして崩壊を始めた。


 二体のセルリアンは虹色の光の粒子となって、風に吹かれて消えた。満身創痍で片膝をついたカラカルと、着地に失敗して頭を打ってしまったサーバルは、互いをよく知る相棒の勝利を讃えるように、微笑み合った。


 * * *


 屋上からセルリアンの気配は消えていた。勝利の立役者となった二人のフレンズの元に、皆が集まってきた。

「でかしたぞ!!」

 プロングホーンとチーターが二人を見て、その活躍を褒めたたえた。

「さすがヒトの手下やん!!」

 クロヒョウとメガネカイマンも、かつてやりあった強敵の活躍に、今は少し自慢げな気持ちを感じていた。

「大丈夫?カラカル」

「平気よこんなの。私を誰だと思ってるの?」

 心配してやってきたキュルルに、強がってみせるカラカルだったが、先程の戦闘で負ったダメージと、強敵を相手に全力を解放した影響は大きい。リョコウバトの支えを借りて、頼りなく立つカラカルだったが、その右手だけは未だに力強くぎゅっと握りしめたままでいた。

 彼女の野生を引き出した大切な思い出。守りたかった輝き。一枚のちっぽけな紙切れの欠片を、カラカルはいつまでも大切そうに……あるいは、恥ずかしがるように、ぎゅっと握りしめていた。


 皆が祝勝ムードに浸る中、サーバルはふと屋上の片隅に目をやった。ビーストは、こちらに背を向けて海を眺めている。気がつけば、初めて会った時から絶えず纏っていた、暗い気配のようなものは、彼女の体から消えていた。

 サーバルは、逆光に照らされるビーストの姿に見とれていた。そして、ひとりぼっちで海を眺める彼女に声をかけようと、一歩ずつ彼女に近づいていった。

 その時、サーバルはビーストの向ける視線の遥か先に、白く点滅する光の点を見つけた。それはゆっくり、ゆっくりと、広い海原に向かって進んでいた。彼女の視線は、その光の点をじっと追っている。

 フレンズとビーストは言葉でわかりあうことはできない。だがそれでも、彼女たちもまた、フレンズたちとは異なる価値観で、何かに美しさを見出して感動したり、大切に思ったりすることがあるのかもしれない。

 サーバルは、ビーストをそっとしておくことにして、キュルルたちの元に戻って行った。ビーストもまた、近づいてきたサーバルには一瞥もすることなく、皆に背を向けたまま、じっと海の方を眺めていた。




 ――紙飛行機は飛んでいく

 ――沈む夕日の彼方まで


 ビーストは、一言も発することはない。ただ、遥か彼方に飛んでいく白い翼を、惜しむようにじっと見つめていた。

 彼女が何を考えているのか、それは誰にも分らない。フレンズのように友達になることも、現実として無理なのかもしれない。だが、今この時、彼女は間違いなく生きていて、皆はそのことを心から嬉しく思っていた。


 ――紙飛行機は飛んでいく

 ――明き翼に願いを乗せて

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