#4 生まれ持った使命

 サーバルとカラカルの拳がセルリアンを粉砕し、周囲に虹色の光をまき散らした。二人は、曲がり角の先に敵がいないことを確認して、後方に声を投げた。

「キュルル、今のうちに!!」

「うん!!」

 三人が歪曲した廊下を進むと、取っ手が壊されて力なく半開きとなった、木製のドアが現れた。

「あの部屋……!!」

 数多くのヒビが入った、今にも壊れそうなドアは、ギシギシと音を立てながら揺れていた。おそらく、ドアの開け方を知らないセルリアンが、力任せにノブを破壊して、部屋を出て行った結果だろう。今、ホテルを占拠している多数のセルリアン、その発生源がこの部屋であることは、一目瞭然だった。

 部屋の入り口に辿り着いた三人は、果たしてドアの向こうどんな惨状なのか、恐ろしさを感じながらも、意を決して部屋の中へと踏み込んだ。


 部屋の中は、電気が切れて薄暗くなっていた。だが、三人の予想に反して、セルリアンの姿は見当たらなかった。おそらく、フレンズの集まった屋上へと向かったか、あるいはホテルの中を徘徊しているのだろう。

「あっ!!」

 部屋の中央にキュルルが何かを見つけた。テーブルの上で、だまになった黒い塊がうぞうぞと蠢き、徐々に人の形に近づいていく。それは、三人にも見覚えのある存在だった。フレンズとは異なる。大きな前足と爪を持った、恐ろしい「獣」。海から流れ込むセルリウムは、徐々にゆっくりと、その形の「再現」を進めていた。

「あれって……」

 キュルルが口を開いたのと同時に、サーバルとカラカルは、テーブルの上の黒い塊に向かって駆け出した。まだ足の形成されていない人影は、二人の気配に気付いて上体を起こした。しかし、産まれたばかりのセルリアンは動きが遅い。二人の接近にも反応が間に合っていない。

 二人は爪を出して、蠢くセルリウムの塊へと迫った。あの恐ろしい「ビースト」のセルリアンが完成しないうちに――!!


 突如、右の物陰から音がした。警戒心の強いカラカルは、即座にそれに反応した。体幹をひねり向きを変えるカラカルだったが、黒い影は体勢が完全に整う前に、覆い被さるように飛びかかっていた。カラカルを押さえつける黒い影に、注意を逸らされたサーバルは、テーブルの上のセルリアンから前脚での攻撃を受けた。とっさに防御姿勢を取ったサーバルだったが、重量の乗ったその一撃の反動で、サーバルの身体はカラカルの方へと吹き飛ばされた。カラカルに覆いかぶさっていた黒い影は、飛来するサーバルの直撃を避けるため、カラカルを解放し、距離を取った。

「いたた……」

「なによ……まだ残ってたの?」

 立ち上がったサーバルとカラカルの前には、尖った耳と丸まった尻尾、ハーネスを胸につけた一つ目の怪物が、静かに立ちはだかっていた。


「……イエイヌさん?」

「……のセルリアンみたいね」

 戸惑うキュルルに対して、セルリアンから視線を外さず答えるカラカル。フレンズ型セルリアンの源であるキュルルの絵、それを護る一つ目の番犬は、一言も発することはなく、カラカル達を睨み付けていた。

「キュルルちゃん、下がってて」

 カラカルとサーバルは、イエイヌのセルリアンに向かって構えを取った。イエイヌのセルリアンもまた、自身には存在しないはずの歯を打ち鳴らすかのように、顔を振動させ二人を威嚇していた。


 地面にはじかれたように、勢い良く跳躍したサーバルとカラカルは、イエイヌのセルリアンの視界に入らないように、壁を蹴って部屋を駆け巡った。

 だが、狭い屋内において、取れる軌道は大きく制限される。セルリアンは壁を背にして、二人に背後を取られないように攻撃方向を誘導し、それを避け続けていた。

 目にも止まらぬ速さで部屋の中を駆け巡り、激しい攻防を続ける三人。だが、戦いの速度とは裏腹に、その戦況は膠着していた。


 ――「これ」はイエイヌさんじゃない。キュルルは、リョコウバトのセルリアンを見た時から、既に解っていたはずだった。しかしキュルルは、絵とビーストを護るイエイヌの姿に、それを倒そうとする二人の姿に、言いようのない悲しみを感じていた。

 皆との大切な「思い出」を残したかった。仲良くなれなかったあの子とわかり合いたかった。だが、その思いは今、自分の大切な友達であるサーバルとカラカルに牙を剥いている。友達に「思い出」を壊させている。そのことが、たまらなく悔しかった。


 ぼくも、何か力にならなきゃ――。 

 キュルルはテーブルの上に視線を移した。先ほどサーバルに重い一撃を食らわせたビーストのセルリアンは、重たい腕に振り回されるようにバランスを崩し、片肘をついている。下半身は形成途中で液状になっている。その右腰の辺りからは、キュルルにも見覚えのある白い紙切れをはみ出させていた。

 それこそが、この部屋にキュルル達がやってきた目的、皆が描かれたキュルルの絵だった。今、ビーストのセルリアンは、サーバルとカラカルの動きに関心を奪われている。まだキュルルの動きには注意が及んでいない。

「……今だ!!」

 意を決したキュルルは絵に向かって駆け出した。


 キュルルの動きに気付いたイエイヌのセルリアンは、視線をキュルルに向けた。その一瞬、サーバルがセルリアンに飛びかかる姿勢を取った。だが、それを察したイエイヌのセルリアンは即座に、左にいるサーバルに向かって迎撃の態勢を取った。

 ……しかし、それは「猫騙し」だった。サーバルとカラカルがサバンナで数え切れないほど繰り返した「狩りごっこ」。その反復が生んだ、相手を捕まえるための、相手に捕まらないための、生き残るための奇手。

 予備動作から攻撃を予期したセルリアンは、反射的に左にいるサーバルに向かって構えを取っていた。注意を逸らされたセルリアンの側面は完全に無防備になった。

 カラカルのパンチが脇腹に直撃し、イエイヌのセルリアンは対面の壁に叩き付けられた。

 この部屋に来るまでの廊下で相手をしていたセルリアン達と違い、イエイヌのセルリアンの体は頑丈だった。カラカルの一撃を受けた今も、崩れることなく原形を保っている。しかし、直撃を受けたダメージは深刻であり、もはや先ほどのような機敏な動きは出来ないだろう。


 二人がイエイヌのセルリアンを制圧する間、キュルルは下半身を形成している最中のビーストの腰から、絵を抜き取っていた。そして、その場からすぐ離れようと、後ずさりした。しかし、ビーストのセルリアンは接近するキュルルに気づき、紙を胴体から抜き取った時には、既にその右腕を大きく振り上げていた。

 キュルルとビーストの体格には大きな差がある。キュルルはビーストから一歩距離を取ったものの、ビーストの前脚による攻撃は、まだキュルルに届く距離にあった。その鋭い爪が食い込んでしまえば、子供の体では到底無事では済まないだろう。

 一切の容赦もなく、ビーストの腕はキュルルに向けて振り下ろされた。それは、実際の速度に反して、ひどくゆっくりした動きに感じられた。攻撃を止めに入ろうとするサーバルとカラカルも、この距離ではとても間に合わない。

 直前に迫り来る生命の危機、キュルルはじわじわと迫り来る爪の恐怖に耐えられず、ぎゅっと目を閉じた。


 ――人を護るのが、私の使命ですから。


 キュルルは尻餅をついた。爪はキュルルに届くことはなかった。腰に伝わる衝撃で我に返ったキュルルは、恐る恐る目を開く。キュルルの元へ走り寄っていたサーバルとカラカルは、目の前で繰り広げられる光景に仰天しているようだった。

 ビーストのセルリアンの右腕には黒い塊が纏わり付いていた。側面からは虹色の光を漏らしながら、激しく振り回される猛獣の右腕に、必死で食らいついていた。

 それは先ほどカラカルが殴り飛ばしたイエイヌのセルリアンだった。


 いくらイエイヌの姿を元にしているとは言っても、このセルリアンにはキュルルを護る理由はない。ここに来るまで遭遇したセルリアンと同じように、容赦なくフレンズに襲いかかってくる敵に過ぎない。実際に、カラカルとサーバルは、このセルリアンに不意を突かれる形で襲われたのだ。

 だが、このセルリアンの行動は、強大なビーストのセルリアンから、キュルルを身を挺して助けるためのもの、そうとしか思えなかった。

「イエイヌさん……?」

 セルリアンは心を持って意思を通わせられる存在ではないはず。だが、キュルルは果敢に戦うセルリアンの姿に、ボロボロになりながらも、ヒトを護るためにビーストと戦い抜いた、誇り高き番犬の姿を重ねていた。

 

 業を煮やしたビーストのセルリアンは、両腕を高く真上に振り上げ、上体を反らした。

「あっ……」

 キュルルが口を開こうとした時には、腕を勢いよく振り下ろし、思い切り地面に叩き付けた。イエイヌのセルリアンは、脇腹から入ったヒビが腰を横断し、胴体から真っ二つになった。そして、しばらく間を置いて、虹色の光をまき散らしながら、細かなキューブとなって弾け飛んだ――。右腕を解放されたビーストのセルリアンは、改めてキュルルを仕留めるべく、形の定まりつつある膝を起こし、虹色の光の舞い散る方向に、頭を上げた。


 その光の中をかき分けるように、ビーストのセルリアンの眼前にカラカルが現れた。そして、すれ違いざまに爪から攻撃を繰り出し、セルリアンの前脚を破壊した。

 だが、セルリアンは意に介さない。腕を失っても、まるで痛みなど無いと言うかのように、すぐさまセルリアンは体勢を整えて、カラカルを睨み付けた。

 だが、カラカルの攻撃で体勢を崩した隙に、左から背後に回り込んだサーバルは、既に上半身のバネをしならせ、必殺の一撃を放つべく、拳を握りしめていた。


 サーバルの拳に貫かれたビーストのセルリアンは、パカァンと音を鳴らし、勢い良く弾け飛んだ。

 恐怖と緊張が解けたキュルルは、はぁはぁと息を荒げながらへたり込み、肩の力を抜いた。その瞳には、虹色の光の残像がまだ残っていた。

「このセルリアン、まだ完成してなかったみたいね、おかげで助かったわ」

「うん……」

 カラカルの言葉に、キュルルは身の入っていない返事をした。自分を助けようとしたイエイヌのセルリアン。なんでそんなことをしたのか、その疑問が頭を離れなかったのだ。

 イエイヌのセルリアンに、フレンズと同じような心があったとは思えない。サーバルやカラカルを襲った時、あのセルリアンは他のセルリアンと同じ、敵意だけの存在だった。けれど、そんなセルリアンが、身を挺して自分を助けようとして、その結果ビーストのセルリアンに倒された。

「なんで、イエイヌさんのセルリアンは、ぼくを助けたのかな……?」

 キュルルはサーバルとカラカルに問いかけた。

「キュルルちゃんと、友達になりたかったんじゃない?」

「……その割には、いきなり襲ってきたじゃない」

「おなか空いてたのかも?」

 二人は不思議そうに首をかしげていた。


 ――セルリアンは、物体を再現する際、その性質や形状は、元となった人工物の「目的」に沿う形で変化する。道具を元にしたセルリアンは、その用途やデザインに最も適した形状を構築し、輝きを奪うための手段に利用する。

 それはフレンズ型セルリアンも例外ではない。このセルリアンは、イエイヌのフレンズの「人を護る」という「用途」に最適化された結果、輝きを奪うというセルリアンの元来の性質のほか、人間の「道具」としてのイヌのデザイン、「人を護る」という性質をそのまま受け継ぐことになったのである。

 それは、意思なきセルリアンに芽生えた感情の発露、などと言ったものではない。どちらかと言うと、道具としての「機能」の再現と言えるかもしれない。人間に都合の良い「思い」を、好きに投影している、ただそれだけなのかもしれない。

 けれど、イエイヌのセルリアンは、自分を助けるために犠牲になった。そのことだけは、キュルルにとって変わらない事実だった。

 キュルル達は、セルリアンの行動の答えに辿り着くことはないだろう。だからこそ、キュルルはイエイヌのセルリアンに対して、心の中で一言『ありがとう』と、お礼を言うばかりだった。


「じゃあ、絵も無事だったし、みんなの所に戻ろうよ!!」

「そうね。行くわよキュルル!!」

 二人の声で、現実に引き戻されたキュルルは、振り返ることもなく部屋の扉を出て、皆のいる屋上に向かって走り出した。

 ――ソファの裏で蠢く、二つの影に気付くこともなく。


 * * *


 屋上には、ホテル内に散り散りになっていたセルリアンが、今なお集結し続けていた。際限なく湧き出るセルリアンに囲まれる中、チーターとプロングホーンは、背中を預けあい、周囲を見渡していた。

「あの子達、絵は取り戻せたのかしら?」

「……さあな」

 サーバルとカラカルの強さは他のフレンズからも一目置かれている。だが、こうも大量のセルリアンを相手に無事で済むのだろうか。二人の脳裏に、キュルル達の安否への不安がよぎった。


 まさにその時、非常階段の暗がりから、笑顔で駆け寄ってくる三人の姿が現れた。

「おーい、みんなー!!」

 キュルルは絵を掲げて皆に見せた。

「取り戻したよーっ!!ほらっ!!」

 フレンズ達からは喝采や安堵の声が巻き起こった。

 これで絵のことは一安心だ。もうセルリアンが増えることはない。後は残った敵と戦うだけだ。

 ゴリラに至っては、ストレスからの解放に、ただただ「良かった…」と繰り返し涙を流すばかりである。

 緊張は緩み、終わりの見えてきた戦いに、誰しもが安堵していた。


「お疲れ様、三人とも」

 突如、頭上から声が聞こえた。警戒して頭を上げる一同だったが、その姿は逆光でうかがい知ることができない。だが、特徴的なシルエットと、聞き慣れた声から、その声の主が何者であるかは、すぐに理解できた。

 翼を広げる二人の鳥のフレンズ、その間に収まるように抱えられた、長い上着と丸い帽子の輪郭。赤と青の羽は光を透かして鮮やかに輝き、後ろに結んだ髪は風にたなびく。

 三人の眼前に降り立ったのはミミズクのフレンズである「コノハ博士」と「ミミちゃん助手」。そして、フレンズ型セルリアン掃討作戦を計画した、フレンズ唯一のパークガイド権限保持者「かばん」だった。

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