#5 燃え落ちる思い出

 博士と助手に抱えられたかばんは、ゆっくりと皆の前に降り立った。 

「お疲れ様、三人とも」


 かばんはキュルルの右手が一枚の画用紙をつかんでいることを確認した。今までにキュルルの出会ったフレンズが描かれた、形に残る思い出。

「絵は無事回収できたみたいだね」

「それを守ってたセルリアンは、中々手ごわかったけどね」

 カラカルは、自慢げに自分たちの苦労を語った。事実、イエイヌのセルリアンは他のフレンズ型セルリアンと比べて、頭一つ抜けた強さを持っていた。

「強いに決まっているのです」

「セルリアンの強さは、ヒトの思い入れの強さで変化するのです」

 博士と助手の言葉を受けて、キュルルはイエイヌと過ごした一日を思い返していた。


 ――あの日、ぼくは沢山のフレンズと喧嘩をした。そして、イエイヌさんとも「おうちを守る」「おうちを探す」と、別々の道を進むことに決めた。

 でも、僕はイエイヌさんと一緒に過ごした楽しい一日を、僕を守るために必死に戦ってくれたことを、とても大切な思い出だと思っている。

 いつの日か、僕の「おうち」が見つかったら、またイエイヌさんに会いに行きたい、あの子の待つヒトを探すのお手伝いをしたいと、そう思っているんだ。


 絵の中のイエイヌを見つめ、あの日の出来事を振り返るキュルル。それを見て、カラカルは少しむっとしていたが、ここで何かを言ったら、サーバルにからかわれそうな気配を感じていた。

 キュルルとの旅が始まってからのサーバルは、サバンナに居た頃と打って変わって、私やキュルルのことに何かと目ざとくなったように思う。そのせいか、こちらをからかってくることも増えたように感じる。カラカルは「調子が狂う」と思いながらも、口を噤んだ。


「みんな、ここにいるセルリアンを倒したら、船でホテルを脱出するから、あともう少し頑張って!!」

 かばんは、みんなに聞こえるように大きな声を出した。フレンズ達も、気合いを入れるように「おーっ」と声を張って、かばんやキュルルを中心に円を広げるように、再びセルリアンの群れに向かっていった。


「……さて」

 かばんは、セルリアンに向かっていくフレンズたちを一瞥すると、視線をキュルルに移した。それに気づいたキュルルも、絵から視線を外し、かばんと目を合わせた。

「その絵は私が預かっておくよ。またセルリアンに奪われたら困るからね」

 太陽を背にしたかばんは、笑顔を浮かべながら左手を差し出した。キュルルはきょとんとしながらも、頼れる「大人のヒト」に絵を委ねるべく、一歩足を踏み出した。


「ちょっと待ちなさい!!」

 そう声を上げたのは、キュルルのそばに控えていたカラカルだった。サーバルとカラカルは、戦えないキュルルの安全のため、その傍に控えていた。

「絵だったら私達だけでも守れるわよ。それとも、それじゃ頼りないっていうの?」

 カラカルとしては、イエイヌとの思い出に浸っていたキュルルへの、ささやかな意趣返しのつもりだった。だが、その一方で、警戒心の強いカラカルには、かばんの行動にどことなく違和感を感じているところもあった。

「そもそも、かばんだってセルリアンと戦えるほど強いわけじゃないでしょ。今、この絵を渡したって意味ないじゃない」

「カラカル……何もそんな言い方……」

 キュルルは足を止めてカラカルの方を向いた。だがその一方で三人の心の中に、ひとつの疑問が生まれていた。なぜ、かばんは自分が戦う力を持たないのに、激戦の場である屋上に足を運んだのか。


 かばんは、少し顔を俯かせて、キュルルに向けて差し出していた左手を、そっと下ろした。右手はズボンのポケットに挿したままに。

「……そうだね。君たちに何も教えないのは、卑怯だったね」

 かばんはポケットの中身を握りしめた。

「私は、その絵がセルリアンから二度と奪われずにすむ方法を知ってる。だからこそ、ここに来たんだ」

 驚く三人の顔を前にして、かばんはポケットから右手を抜いた。握りしめられていたのは、横に一本線の入った銀色の小箱。磨き上げられた表面は、三人の姿を鏡のように映し出していた。

 かばんは、器用に親指で箱の上部を押し上げると、ギザギザしたヤスリ状の輪と、穴だらけの筒の複雑な形状が現れた。サーバルとカラカルはそれが何かわからない。だがキュルルだけは、その小箱にわずかに見覚えがあった。


「……ライター?」

 かばんは頷いた。キュルルもそれを自分で使ったことがあるわけではない。ただ、それが何かを、知識として知っているだけだった。文明世界のかすかな記憶。

「なによ、ライターって?」

「火を簡単につけるための道具だよ」

「『火』って?」

 自然で育ったカラカルに、人間文明の遺物や火の概念は、簡単には理解できなかった。しかし、キュルルのそばに控えるもう一人のフレンズ、サーバルは少し様子が違っていた。遥か彼方に置いて来たサーバルの記憶、それは「火」が何であるかを理解していた。そして、そこから導き出される「一つの可能性」は、彼女の胸をざわつかせていた。


「……ビーストの気を引くのに、『紙飛行機』を投げたよね。あの先端についていた、ゆらゆらと動く、熱い光だよ」

 かばんは、火についての説明を始めた。カラカルは、ジャングルでのビーストとの邂逅を思い出した。キュルルに襲い掛かるビーストの気を引き、遠くへと飛んで行った、紙でできた空飛ぶ玩具。それにくっついていた、どこか恐ろしいオレンジの光。

「紙には火が付きやすい。一度燃えてしまった紙は灰に変わり、もう二度と元の紙の姿に戻ることはない」

 かばんはライターのやすりをシュッと回した。やすりの根元から星が散り、それを飲み込むように、穴だらけの筒から揺らめく火の柱が顔を出した。カラカルはそれを見て、身の毛をよだたせた。


「その絵を燃やす。もう二度とセルリアンの手に渡らないように、灰にして粉々にする」

 かばんの瞳には、ライターに灯ったオレンジ色の火の光が反射する。ゆらゆらと揺らめく光は、炎の揺らめきによるものか、その目が涙で潤っていたのか……逆光を受けたかばんのシルエットから、瞳のみが頼りなく煌めき、揺れていた。


「ダメだよそんなの!!」

 真っ先に声を上げたのはサーバルだった。かばんは憂いを帯びた表情を崩すことなく、サーバルを見据えた。

「キュルルちゃんは、みんなとの思い出を残したいから、絵を描いただけなんだよ?それを、燃やしちゃうなんて……!!」

 サーバルは、三人での旅を思い出していた。忘れたくないと願う大切な思い出。それを描き残すキュルルの笑顔を、フレンズたちの喜んだ顔を、全部なかったことにするなんて、サーバルは許すことはできなかった。

「サーバル」

 そんな気持ちを知ってか知らずか、かばんはそのまま言葉を続けた。

「セルリアンには色んな形をしたものがいるよね。あれはかつて、ヒトが残したモノを、真似して作った物なんだ」

 カメラ、急須、湯飲み、バス、トラクター、鈴、船、フレンズの絵……セルリアンは様々な物を「再現」してきた。その元となったものに思い入れが残るほど、強力なセルリアンが現れる。

「ヒトの遺した記憶が、形に残した思い出が、フレンズを襲い傷つける。そしてそれは、いつか大切な誰かを奪い去っていくかもしれない」

 キュルルは、先ほどスイートルームで繰り広げた、サーバルとカラカルの戦いを思い出していた。いつの日かまた会いたいと思っていたイエイヌが、言葉が通じなくとも解かり合いたいと願ったビーストが、かけがえのない友達である二人の身を危険にさらした。

 サーバルやカラカルは他の子よりも強い。だから今回は無事に切り抜けられた。だけど、いつだってそれが上手くいくなんて保証はない。そうでなくとも、自分の思い出が大切な誰かを傷つける――。

「私にはわかるんだ。その子の苦しみや、悲しみが。自分の大切な思い出が、何かを知りたいと願う気持ちが、大切な誰かを傷つける……そのつらさが」

 絵を握るキュルルの両手に力がこもり、絵にしわが寄った。それを見たカラカルは、キュルルとの楽しい旅を、大好きな絵を、存在から否定されたように感じて、キュルルと同じように心を痛めた。

「その絵をパークに残しちゃいけない。それは、みんなのためでもあるし、君のためでもあるんだよ」

 かばんはライターに火をつけたまま、キュルルの瞳を見据えた。


 後ろに控えた博士と助手は、かばんの言葉を聞いても、驚いたり、遮ったりすることはしなかった。

 これまで、研究所で共に暮らしてきた中で、かばんは決して悪い人ではないと二人は知っていた。どこか抜けたところもあるけれど、いつだってフレンズのことを考えて、セルリウムの調査やパトロールを続けている。頼まれても居ないのに、頻繁に縄張りを離れては、フレンズたちを助けて回る、とてもおせっかいで世話焼きなヒトである。

 だが、キュルルから貰った絵を裁断した時も、荷台から落下したフルルをそのままにトラクターを走らせた時も、彼女の判断はどこか人間味の薄い、冷徹さを垣間見せることがある。これまでも、言葉足らずでフレンズと対立することもあった。博士や助手が気を使って間を取り持ったことも、少なからずある。

 しかし博士たちは、かばんが時折見せる、悲しく寂しそうな表情を見逃してはいなかった。きっとかばんは、大切な何かを失った過去が、その思いを、行動を、残酷に映るほどに強くしている。それによって生み出される孤独が、いつの日かかばんの存在そのものを消し去ってしまうような、そんな儚さを携えて。

 だから博士や助手は、かばんに寄り添い支える道を選んだ。彼女が消えてしまわないように、いつも彼女のそばで味方であろうと。


「私は、フレンズが……みんなのことが大切だから」

 かばんが、ライターに火をつけたままキュルルの方へと歩み寄る。キュルルは、震えながらかばんを見返していたが、焦点が定まらない。彼女の表情を窺い知ることができない。

「みんなのためなら、みんなに恨まれたって、みんなに嫌われたってかまわない」

 かばんは言葉を続けた。サーバルは、呼吸がつまり鼓動が高鳴っていた。カラカルは、キュルルをかばんから庇うように手で遮った。みんなを喜ばせようとしただけなのに、なんで思い出を残すことが許されないのか、カラカルは怒りに近い感情も覚えた。

 だが、カラカルはかばんの言葉に、何も言い返すことはできない。今まさに、自分たちの周りでは、フレンズたちがキュルルの絵から生まれたセルリアンと戦っている最中だからだ。

「どれだけ名残惜しくても、セルリアンがいる以上、思い出を形に遺してはダメなんだ」

 サーバルとカラカルは、睨み合ううようにかばんと視線を交差させた。お互いの思いはわかっている。相手を悪いフレンズだと思っているわけでもない。

 だけど譲ることができない。大切な人に傷ついて欲しくない、ただそれだけの理由で。

「……さもないと」



「きゃあっ!!」

 突如叫び声が聞こえ、かばんと三人は視線を周囲に移した。突き飛ばされたメガネカイマンが起き上がる中、二体のセルリアンがこちらを真っ直ぐに見つめていた。

「手ごわそうなやつらが出て来たな……」

 プロングホーンが口を開いた。明らかに先ほどまでとはわけが違う、圧倒的なまでの威圧感を携えた存在。

「勘弁してえや……」

 セルリアンから生えた高い耳と長い尻尾。その姿を確認したヒョウは、それが何者であるかを即座に理解した。かつて「ヒトの手下」と呼んだ強力な二体のフレンズ。それを元にしたセルリアン。

 博士と助手は戦慄していた。ヒトの思い入れの強さがセルリアンの強さを形作るなら、このセルリアンの強さには誰も敵うはずがない。キュルルと共に喜びと苦しみを分かち合った、一番思い入れの強いフレンズ。


 フレンズを押しのけるようにして現れた二体のセルリアン。それが「再現」したものは、他でもない「サーバル」と「カラカル」の姿だった。



 ――さもないと、君の一番大切な存在が、みんなを傷つけることになる。

 かばんは、キュルルに向けていた言葉を飲み込み、「最も危険なセルリアン」を睨みつけた。

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