#終幕 わたしのおうち

「夜分遅くにごめんね……」

 かばんは家の主に声をかけた。

「いいんですよ。私もちょうど、誰かとお話したいと思ってたんです」

 銀色の毛並みに青と黄色のオッドアイ。胸にはハーネスを巻いたフレンズが、かばんたち三人にお茶を出した。

「ふむ……、なかなか上手くなったのです」

「褒めてやるのです」

 博士と助手からお茶の品評を受けて、銀色のフレンズはにっこりと笑った。


 彼女はイエイヌ。キュルルとの「思い出」を作った、フレンズの一人だ。

「それで、今日はどういたご用向きですか?」

「それがね……」

 かばんは今回のホテルでの一件を説明した。一人の子供が描いた絵からセルリアンが大量発生したこと、ビーストとの協力でどうにか敵を打倒したこと、キュルル達から預かった絵を安全な保管場所にしまう必要があるということ。


「ここには、たしか頑丈な金庫があったよね、これを預かって欲しくて」

 かばんは、白いリュックサックから何枚もの絵を取りだした。皆が持ち寄った、キュルルが旅の中で渡していった「思い出」の数々。

 そして、その内の一枚は、細切れになった欠片をセロハンテープで張り合わせた「みんなの絵」だった。そこには、パークで出会った数多くのけものが描かれていて、イエイヌはキュルルのそばでフリスビーを持っていた。イエイヌは、キュルルと遊んだ日を思い出して、温かい気持ちと寂しさを、同時に感じていた。


「今後、この絵に描かれたフレンズがやってくるかもしれないけど、その時はこの絵を見せてあげて欲しいんだ」

「それは……賑やかになりそうですね」

 イエイヌは「みんなの絵」を見て、にっこりと笑った。これから先、ここまでやってくるフレンズに、キュルルがどんな旅をしてきたのか、それを聞くのが、彼女には楽しみだった。


「あと、これは別件なんだけど」

 まじまじと絵を見つめていたイエイヌに、かばんは声をかけた。顔を上げたイエイヌに、かばんはリュックからもう一枚の絵を取り出した。

「これって……」

「うん、これを君に渡したいって」

 それは、保管場所を聞いたキュルルが、船の上で描いた「最後の絵」。スケッチブックが無くて、ただ一人絵を渡せずにいたフレンズへの、お礼の気持ち。


 その絵は「みんなの絵」の続き。キュルルたちがフリスビー遊びをしている絵だった。キュルルの投げたフリスビーを追いかけるカラカルとサーバル。それを追い抜いたイエイヌが、ジャンプしながらフリスビーをキャッチしている。あの日、二人が話をしたクマの顔の家。その裏手からは、アムールトラが顔を出して様子を眺めている。それを怖がって丸まっているのは、オオセンザンコウとオオアルマジロだ。

 あの日、キュルルとイエイヌとカラカルは、それぞれの気持ちをぶつけ合って、みんな一緒に傷ついた。もしかするとアムールトラのビーストも、そうなのかもしれない。

 過去に「もしも」はないけれど、せめて絵の中ぐらい、みんなで楽しく遊びたい。そんなキュルルの願いを乗せた最後の絵。


「……ふふっ、また宝物が増えました」

 イエイヌは、るんるんと金庫の方に向かい、扉を開けて中から何枚か封筒を取り出してきた。

「これは……」

「手紙……ですか?」

 助手と博士が、イエイヌの持ってきた手紙を開き、パラパラと中身を読み始めた。そこには、パークガイドやフレンズに感謝する「来園者」の気持ちが書き綴られていた

「私の宝物です。私が直接貰ったものではないんですけどね。この家に、私が生まれた頃から置いてあって、読んでると……とても懐かしくて、温かくて、優しい気持ちになるんです」


 ――それは彼方の記憶。イエイヌ自身の物ではない、フレンズの共有する思い出。その記憶の持つ悲しさや残酷さを知るかばんは、イエイヌがそれに執着して、皆の心に悲しみを生んだことを責めることはできなかった。

 イエイヌは、キュルルと別れた後も、なおも忘れたくなかった。「かつてヒトと過ごした」思い出を。長きに渡る時、命までも越えた、大切な思い出を。いつの日か、またヒトと、「主人」と出会えるその日まで――。

 イエイヌにとっての「心安らぐ場所」、それは彼女の大切にする「思い出」であり、この部屋の片隅にある金庫こそが、彼女の幸せを守る「おうち」だった。


 ふと、かばんは手紙の中から、見覚えのある質感を感じた。四つ折りにされた画用紙。中には何か絵が描いてある。

 絵を開いたかばんは我が目を疑った。「ぱーくのおにいさんおねえさんへ」と描かれた一枚の絵。何も知らなければ、何の変哲もない子供の絵だ。しかし、そこに描かれていたのは、イエイヌと飼育員だけではない。かつてのパークガイドであるミライ、サーバル、カラカル、そして、「キュルル」――。

 あの子がどこから来たのか、かばんには解からない。けれども、もしかするとキュルルもまた、自分と同じように、果てしなく続く無情な時の流れの中で、否応なく別れの悲しみを負っていくような、そんな存在なのかもしれない。

 かばんは、キュルルに自身の境遇を重ねた。これから先、キュルルには想像を超える悲しみが襲い掛かるのかもしれない。その運命を憐れむ気持ちで、かばんはその絵を眺めていた。




「素敵な絵でしょう?」

 イエイヌは穏やかに笑っていた。険しい表情をしていたかばんだったが、彼女の言葉で我に返って、改めてその絵を見た。描かれたヒトは、フレンズは、みんな笑っている。不幸な表情はそこにはない。

 ――そうだ。生きている以上「別れ」は避けることはできない。けど、それでも、今を一緒に笑って生きようとする気持ちは、決して間違いではないはずだ。幸せに過ごす今を、無かった事にする必要はないはずだ。

「……そうだね、とても良い絵だと思う」

 手に持ったキュルルたちの絵を見て、かばんは微笑んだ。


 初めて出会った「ヒトの仲間」。かばんは、キュルルのこれからに幸多き人生が訪れることを願いながら、その子供の描き残した「幸せな時」を、優しい目で見つめていた――。




―了―

 

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