三章 星空

「イザナギとイザナミの話は有名だがな」

教壇で教師がもったいぶって言う。くるくるとパーマがかった髪をうざったそうに振って、「お前らの好きそうな話だぞ」と前置きを重ねた。

「この二柱は住処を作った後に国生みをしていくんだ。イザナギの成長しすぎた部分をイザナミの欠けているところにはめることで、島が生まれていくんだ。まあ性交のメタファーだな」

 クラスの男子たちが日本史の教科書を放り出して歓声を上げる。退屈な授業に、船をこいでいたメグミが顔を上げた。目を丸くして左右に首を振る。隣の私と目が合い、小さく笑った。

 騒がしくなった教室に、日本史教師は「こらこら」と手を振って鎮める。

「高二のお前らには早すぎたか。でもこの話はいろんな解釈があるんだぞ」

 身を乗り出す生徒たちを抑えて、教師は静かに語りだす。教科書で口元を隠しながら視線を遠くに投げた。

「儀式的な行いだったり、お互いに欠落を埋めていくという精神的な繋がりだったり。日本の男女観が表れているんだぞ」

「でもそれって時代錯誤では?」

 静かに話を聞いていた委員長が声を上げる。第一ボタンまで閉じた学ランの襟元を正し、丸メガネをクイッと上げる。鼻につく物言いのせいか、話題のせいかほかの男子からヤジが飛んだ。

 まあまあと再度、教師は手を上げる。委員長は耳を赤くしながらも動じずに、教師を見つめていた。

「お前の発言ももっともだ。今は愛なんてものは多種多様の形を持っている。だからこそ難しいんだよな」

 教師は一度言葉を切って、ゆっくりと息を吸う。どこか不真面目で適当な印象を受けるかれだが、いつも大事なことを言うときにはたっぷりと沈黙を取る。教科書には載ってない、日本史教師自身の価値観が表れる時、ぐんと空気を変える。

「人間はそうは変わらない。だからこそ神話や逸話にあるものも現代に通じているんだよ」

 一旦、言葉を切った。委員長の席まで歩き、彼の机に指先を置いた。委員長と教師の視線が交わる。

「それなら迷ったときに参考にすればいいんだと思うんだよ。今回で言えば違いを補っていくのが愛とかな」

 委員長が無言でこくんと頷く。教師は「ようし」と声を上げて、教壇に戻った。「授業に戻るぞー」と黒板に向く。抗議の声が上がったが、教師がチョークを走らせると、またまどろむような弛緩した空気になっていく。

「なんかやらしーよね、あの二人」

 隣のメグミが頭を下げて小さく話しかけてくる。口に手を添えて、私をちらちらと見た。

 二人の間で交わった視線は確かに官能的だった。メグミはケラケラと八重歯を覗かせている。楽しそうに上がった頬、その白さに私の胸がどきりと弾む。

「BLなのかな」

 メグミのからかう声に跳ねた心が冷えていく。メグミも私の思いに気付いたら同じように笑うだろうか。

 ため息一つこぼして彼女を見つめ直した。その笑顔にまた頬が熱くなる。そしてその分、余計な寒さが心に入り込んできた。



 昼休みになると、メグミが机を寄せてくる。二つくっつけて、弁当を広げた。蓋に手を掛け、正面の彼女はじっと私を見つめる。慌てて、私もお昼を開いた。 

一年生の時と違って、もう自分で弁当を作ってない。何が入っているか分からない楽しみは二人で共有すると決めていた。

肩でタイミングを合わせ、小さい掛け声で同時に蓋を上げた。彩り豊かなおかずが顔を覗かせる。「今日もおいしそう」と箸を取った。

「ねーねーおかず交換しようよ」

「同じ弁当でしょ」

 八重歯を光らせるメグミの提案にドキリとしながらも、ため息で返した。「だってぇ」と唇を尖らせて、ひじきの煮つけを箸でつつく。

「苦手なんだもの」

「知ってる」

 弁当を差し出すと、メグミは口角を上げてひじきのアルミカップを乗せた。そして卵焼きを一つ取っていく。そのまま口に運んだ。

「ちょっと」

 突然の略奪に顔を上げる。メグミは片目だけ閉じて、笑顔を申し訳なさそうに変える。顔の前で手を合わせて「つい」と小さい声を漏らした。

 思わず顔を逸らす。耳が熱くなった。ずるい仕草だと、もう気持ちは許している。

「次は何か言ってよね」

「ありがとう。大好き」

 最近よく言ってくる言葉に今度は頬が熱くなる。持っていた弁当を落としそうになり、慌てて掴みなおした。

「二人仲良しだよね」

「そうそう、不良さんはもうどっかに行っちゃったのかな」

 少し離れたところで弁当を食べるクラスメートがからかってくる。メグミがそっちを向いて、髪をパサリとなびかせた。

「もう黒髪ですから」

 かつて金色だった髪は艶やかな黒に変わっている。黒染めした分も伸びたのか、光沢があるきれいな濡れ羽色だ。

 私は自分の毛先をつまんで、目の前に寄せる。教室の照明を反射する黒。メグミのものと同じような質感。少しだけ気分が上を向いた。ゆっくりと呼吸をして、鼓動を抑える。

「アイカって食べるの遅いよね」

 メグミが二段目のご飯を頬張りなら言う。あなたのせいだよとは返せず、また箸を取った。

 無言でおかずを口に放り込み、ご飯をかき込む。「がっつくねぇ」というメグミの笑い声も無視して、お茶で流し込んだ。

「にしても、二人似てきたね」

 隣のクラスメートがまた声をかけてくる。メグミは顔を向けて明るい声を上げた。

「もう家族ですから」

 さっきの大好きが家族と重なる。詰まりそうになった胸もお茶で無理矢理流し込んだ。



 脱衣所を出て、パジャマで階段を上った。自室に向かいつつ、頭に巻いたバスタオルの端で顔を拭く。廊下を歩いてふと顔を上げた。

 メグミとプレートがかかっている扉をじっと見る。手をゆっくり上げて、ノックした。返事を待たずに部屋に入る。彼女の姿はなく、正面の窓が開いていた。

 からりとベランダに出る。涼しい風が頬を撫でた。横には屋根の上に座るメグミがいた。三脚を器用に立てて、夜空を見上げている。

 声をかけると、彼女はゆっくりと振り向く。目を丸くしてから立ち上がり、手すりを跨いだ。ベランダにすとんと降りて、着ていたパーカーを脱ぐ。さっと私の肩にかけた。

「そんな恰好じゃ、風邪ひいちゃうでしょ」

 近い顔に、頬が熱くなる。

 パーカーの裾をぎゅっと掴んだ。「ちょっと待ってて」と踵を返す。メグミの部屋を出て、階段を下りた。ダイニングでテレビを見ている父親を無視し、キッチンに駆け込んだ。マグカップを二つ用意して、ココアの粉を入れる。お湯を、牛乳を入れ、湯気が立つカップを取った。ダイニングを出て、メグミのところに戻る。彼女は屋根に座って、星空に顔を向けていた。

 私は声をかけマグカップを手渡す。そのまま手すりに足をかけた。メグミが「危ないよ」と声を上げる。ゆっくり屋根に降りて私は彼女の横に腰かけた。

「何見てたの」

 マグカップを一つ受け取りながら私は聞く。メグミはココアをすすった。

「ふたご座流星群。もうちょいで始まるからこれで適当に見てた」

 彼女は傍らにあった望遠鏡を軽くたたく。ぎいと滑った三脚を慌てて押さえた。

 ふうんと私は夜空を見上げる。以前、メグミが言っていた星の魅力を思い出した。届きそうで届かない星自体も、いろいろな意味や物語を見出した歴史も、すべてが好きなのだと。

 夜空を見上げていると、メグミが腕を伸ばした。私の視線に合わせて指を出す。星の名前を挙げて、隣の光と指先で繋いだ。

 彼女の声を聴きながら、メグミとの空を思い出す。屋上で見上げた青空に、公園で並んだ夕空。何も知らなかったメグミとの共通点が嬉しかった十二月に、彼女の趣味を聞いた三月。

 そして今は同じ苗字になっている。両親の再婚によって、同じ家に住み、同じ弁当を持つようになった。進級と同時に同じクラスになった私たちはいつも一緒に食べている。

 ちらりと彼女の横顔を見る。白い頬を上げ、星に目を奪われている。かつての金髪は私と同じような質感の色だ。

 屋上で出会った時、見つけて喜んだ”同じ”はあの頃よりはるかに多くなっている。

「いやー、ごめんね。熱くなっちゃって」

 メグミが服の胸元を掴んでパタパタと風を送る。まさか聞いていなかったとは言えずに、「面白かったよ」と返した。彼女の表情が明るく輝く。

「ありがとう。大好き」

 昼間の大好きと重なり、目元がジワリと湿る。恋愛感情ではなく、家族愛の言葉が胸にまた刺さった。ぐじぐじと膿んでいる。

 どうして私の中にある好きとこんなにも違うんだろう。

 顔を覆いたくなる衝動をグッと押さえて、顎を上げた。こんな感情を抱えていることがばれたら今の関係さえ壊れてしまいそうだ。このままいればもう少し私のことを見てくれるかもしれない。

 ちらりとメグミを見る。彼女はそわそわと肩を揺らしながら星を待っていた。ココアをずずっと啜り、横目で私を見た。

「にしても、今日の先生と委員長。なんか変だったよね」

 退屈していると思ったのかもしれない。彼女は空に顔を向けながらにししと笑う。

 その言葉に私は目を見開いた。二人のやり取りが頭に浮かんでくる。

 違いを補っていくのが愛。

 性別、苗字、髪質。こんなにも同じになってしまった私たちに恋愛感情が生まれるのだろうか。

 同じ、違いが頭の中でぐるぐると回り始める。吐き気にも似た気分の悪さが胸に込み上げ、鼻の奥が痛み出した。

「あ、来た」

 メグミが小さく声を上げる。目元を袖で拭いて、夜空を見た。ぽつりぽつりと光の線が現れる。いくつかの予兆の後、一瞬星空が静かになる。そしてあふれるように、夜が明るくなる。

メグミが歓声を上げる。まるで泣き出すかのような光の筋が夜を覆っていた。次から次へと流れていく。

ちらりとメグミを横目に見た。彼女は大きく目を開いて動かない。夜の泣き顔に夢中のようだ。

私は大きく息を吐き出して、顔を下げる。メグミは隣の泣き顔には一切気付かない。

歓声を上げる彼女の横で、私は嗚咽が漏れないよう膝に頭をうずめた。

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アイ色の空 書三代ガクト @syo3daigct

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