春の狂 転

「なぁ…おい。」


「顔色が悪いぞ。」


「どうしたお前がそんな。」


「珍しいな。お前が。」


「体調でも悪いのか?」


「少し休んだ方がいい。」


「晴彦。しばらく休暇をやろう。しっかり養生しなさい。」




「あぁ。これで桜の君にいつでも会える。」




「しばらく休みを貰ったんだ。」

「まぁ。そうだったんですね。でもどこかお身体の調子がよくないのですか?」

「いや、そうではないのだ。今まで働きづめだったから休めと命令が下ったのだ。」

「そうだったのですね。」


それを聞いて安心しました。そう呟き、そっと手を重ねた彼女の手を晴彦はじっと見つめた。


あの晩以降、こうして夜が更けた頃に桜の木へと向かうと、彼女はすぐに姿を現した。お待ちしておりました。またお会いできましたね。嬉しいです。と柔らかな声が耳に浸食していく。そっと彼女の手を取り、私も会えて嬉しいと伝えると、彼女の周りで桜の花びらが舞う様に私たちを包み込んだ。

あれから何度も、夜が更けた頃に会いに行った。私が桜並木を歩くと決まって彼女が現れる。それを何度も繰り返した。しかし、月日というのは止められない。あんなに咲き誇っていた桜並木のあの花たちは緑が目立っていた。


すると彼女は、会う場所を変えないか持ちかけた。


町を抜けた先にある山の中。丘になっている先を抜けると町を見下ろせる崖に着く。そして案内された場所には大きな桜が咲き誇ってた。驚いた。こんな場所があったのかと。町に咲いていた桜は緑の葉が目立っていたがこの桜はまだまだその花を誇らしげに咲いていた。


「これからここで会いましょう。私はいつでもお待ちしておりますわ。」


彼女のことは色々聞いた。

桜の君はやはり人ではないそうだ。物の怪の類かと尋ねると、彼女はただどうかしらとはぐらかした。何と呼べばいいと尋ねれば、貴方の呼びたい名でと言われたので、桜の君と呼ぶことにした。何故、私の名を知っていたのか尋ねた。そう呼ばれていたのが聞こえたからと言われた。


恥ずかしげもなく、愛の言葉を囁いた。

すると桜の君は優しく私の手を包むのだ。


話を聞く度に夜を共に明かした。あの町を見下ろせる桜の木の下で。

夜が明けるころに彼女はまたとそっと姿を消すのだ。私が瞬きをする間に。そして私はそれを確認するとよろよろと家路につくのだ。

そしてまた夜が更けるころ、家を抜け出しまたあの場所へと向かう。そして、


「お待ちしておりました晴彦様。」

「あぁすまない。待たせたな桜の君。」


こうして彼女と再び夜を明かす。あぁ幸せとはこんなものなのだろうか。桜の君をこの腕に仕舞いながら噛み締めたいた。ずっと続けばと。



しかし、現実はそううまくいかなかった。



「あえない…?」

「えぇ。」


何度も逢瀬を重ねた。しかし、ある日突然、告げられた。

もう会えないと告げられ、心の中に穴が開いたような気分だった。


「な、なぜ。」

「…。」

「私が悪いのか?何か桜の君に気が触れるようなことをしてしまったのか?」

「…。」

「私に否があるのならなんでも言ってくれ。君の為なら全部直す。だからそんなことを言わないでくれ。」

「桜の君…!」

「おやめください。」


肩をいつの間にか強く掴んでいたらしい。そっと手を重ねられ、それを外された。取り乱した私とは対照的に桜の君は酷く冷静であった。


「私は所詮桜。」


「桜の花が散ってしまえば再び眠りにつくのです。」


「この桜ももって今日まで。」


「桜の花が全部散ってしまえば私はそれまで。」


「だからもう会えないのです。」


町の桜はすでに散っていた。そういえばここの桜も緑の葉が目立っていた。しかし、今日でお別れという事実は私を酷く苦しめた。


「いやだ…。」

「晴彦様…。」

「嫌だ嫌だ嫌だ!あぁお願いだ桜の君。私一人置いて行かないでくれ。君無しでこの先を過ごすなんて壊れてしまいそうだ!」

「…。」

「あぁ、お願いだ。もう会えないなんて言わないでくれ。共に、私と共にいてくれ桜の君。君といれるのなら私はなんだってする。お願いだ…。」

「…。本当に、なんでもしてくださるの?」


泣き喚き縋りつくみっともない姿に私に桜の君は優しくその腕の中に閉じ込めた。離してなるものかと、着物に皺がついてしまうほど強く縋り付いた。


「あぁ、君に為ならこの命に代えても!」

「…そこまで言って下さるなんて。晴彦様は本当にお優しいのね。」

「君だけなんだ。」

「えぇ…分かりました。晴彦様。ずぅーっと共に。これからも、この先も。」



「また共に眠りましょうね。」



その晩、嵐のような風が吹き荒れた。

緑の葉が散るぐらいの強い風だったという話だった。そして、緑の葉の中に、どこから混じっていたのか、色濃くうつる、桜の花びらも混じっていたらしい。



「あぶねェな。」

「あぁ。いつの間にか縄が切れていたんだな。」

「昨日の強風か?」

「かもなぁ。もう古くなってたしな。」

「入れないようにきっちり直しておこう。」

「あぁ、この先にある丘にはよくない噂があるからな。」

「そうだな。桜の木の下に死体が埋まってるなんてな。」

「あそこにある桜は綺麗なんだがなぁ…不気味でいけねぇや。」

「誰も入れないよう、看板も立てておくか。」


コノサキニネムルモノオコスベカラズ

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