冬の狂 承

先生、おはようございます。今日もいい天気ですよ。

先生、こんにちは。珍しいですねお外でお会いするの。

先生、おやすみなさい。良い夢を。


「虚しい。」


君の作品には花がない。が、いずれ私はその才能が開花すると踏んでいる。

どうだ、我が家の一室をお貸ししよう。好きに使ってくれて構わない。君がそれに集中できるように私は援助をしたいと考えているのだが。


名もない駆け出しの頃に言われた言葉に誘われるがままこの家に身を置かしてもらった。なんともありがたい話だと思う。種を植えたばかりで生えるかも分からない芽に金をかけて。

初めのころはただ期待に応えようと躍起になって書き続けたさ。しかし、今となっては、


「書けない。」


書けない。手が動かない。頭が働かない。想像が出来ない。

小説がまったく書けなくなってしまった。


空っぽになってしまい、それに伴い襲うのは無気力。それに虚しさ。あぁ…大変だ。私という概念が崩れ落ちてしまっていくようだった。

こんな私では、迎えに行けない。胸を張れない。


「先生。」

「…。」

「冬獅郎先生。」

「椿、君。」

「今日は随分とお疲れのご様子ですね。」


先生が床に寝転がるなんて珍しいと部屋に散らばった紙切れを拾い始めた。


「先生が原稿をばら撒くなんて、どうしたんですか。」


彼女は大事な物を扱うかのように丁寧に原稿を称したものを集める。しかし、今の私にとってそれは、熱を上げていた原稿ではなく、ただの紙切れに等しいものだった。

こんな未来も約束できない男に、いくら融資を積んでくれたあの人も、わざわざ自身の娘をやるなんて馬鹿な真似はしないであろう。


なら早く芽を出す他ない。

そうでもしないと、娘さんをくださいなんて言えるわけがない。


「ここに置きますよ冬獅郎先生。」

「椿君。」

「なぁに先生。」

「…すまないね。ありがとう。」

「いいんですよ。たまにはそういう時もありますもんね。」


こんな年端もいかない娘さんを…いや、こう言ってしまうには彼女は成長しすぎていた。真っ赤に咲き誇った椿の花。水を弾く初々しい花びら。雪景色に見合う、綺麗に咲き誇る椿の花。


「大人に、なったなぁ椿君。」

「ふふ。やっと私の魅力に気づかれたのですか先生。」


ふふんとスカーフを直し、襟を正す彼女に目を奪われた。

あぁ、椿君。君を堂々と向かい入れたいのに私にはまだその力はないんだよ。君の好意すら気づかないフリをする汚い大人なのだよ。


「ねぇ、先生。どうしたの?今日は何か変よ先生。」

「…ちょっとね。煮詰まってしまって。」

「まぁ、そうだったの。」


椿君は時折、相槌を打ちながら、私の戯言を聞いてくれた。

書けない理由。何かが自分の中で枯渇してしまっているようでなかなか言葉がわき出てこない。ならば吸収しようと、外に赴いてみても、ダメだった。

目が奪われない。心に響かない。脳に何も語りかけてこない。だが、


「君を見ていたら、少し書けそうな気がしてきたんだ。」

「私を?」

「うん。」


綺麗に咲き誇る君を見ていたら、なんだか書けそうな気がしてきた。白く色がなかった景色に咲いた真っ赤な赤い花。


思わず手を伸ばし触れてしまった。


「ねぇ、先生。」

「あ、すまない。」


無意識だった。

白く何も書きだせなかった私にここよと語りかけている様だった。しかし、私が手を伸ばしたのは紛れもない椿君であり、それ以上でもそれ以下でもない。

あぁ…書けないことに焦って幻聴でも聞こえてしまったのだろうか。一体私は椿君に何をしようとしていたのか。


「驚かせてすまないね。」

「いいえ。それで、筆は進みそうですか先生。」

「…そうだね。」


でも、触れてみてほんの少し、脳に何かが流れてくるような気持になった。

情景がすっと差し込み、頭の中で物語の構成が少し組めたようなそんな気がした。


「冬獅郎先生、何か私にお手伝いできること、ある?」

「ありがとう、でも、」

「ね、先生。私、あなたの力になりたいの。」

「君は充分、力になってくれたよ。」


事実、まったく進まなかった筆が今では進みそうだった。

書きたい、早く机に向かいたい。脳に流れたそれを、書き起こさなくてはならない。


「椿君のお陰で書けそうだ。すまないが、集中したいからしばらく誰も近づかないよう言ってもらえると助かるんだが…。」

「分かりました。では、伝えておきますね。」


邪魔にならないようにと、椿君も部屋を出て行こうとした。さぁ、早く、これを、


「先生、」

「どうしたんだい。」

「…私、きっと先生のお役に立ってみせるわ。」

「…うん。ありがとう。」


私も君のために書きあげるょ。椿君。

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