秋の狂 起

女と云う者は、時に愛らしく、時に凛と美しい。だからこそ、か弱い花を愛でるように接してやらねばいけまいとあの人はよく言ったものです。

そして私はいつからか、あの人の思惑通りなのか、掌の上でころころと愛でられるように転がされていたのでしょう。


一体どれほどの月日が経った頃の事でしたかしら。この時世を共に睡遂げたいと思い、誓った夫を亡くし、女寡となったのは。ふとした時に気付かされる家の静寂さに、何度枕を濡らしたことでしょう。何度心を絞めつけられたことでしょう。


「…。」


思い出すことに必死になりすぎて、息すらすることを忘れるようになってしまったのは、いつからでしょうか。


外を出れば、嫌でも耳にする声に返す言葉を失ってしまい、家に籠る様になってしまった。もう、戻るはずもない、あなたの帰りを待ちながら、あなたの部屋に埃が積もらないようにと掃除をすることだけが、私のこの世で生きていく理由だったのです。


「あの時に、言ってしまえばよかった。」


お国の為だと行ってしまったあなたを無理やり行かないでと引き留められたらどんなによかったのでしょうと、首を跳ねられそうな考えばかりをしてしまうわたしはどれほど愚かな女でしょうか。

もう残っていないあなたの香りがした着物をただただ抱きしめて眠る夜は…、もう数えるのを止めてしまいました。


そんな日々を送っていた時の事です。長い事、歩くことすら億劫になってしまったこの身体は、少し外へ出ただけでその場にへたりこんでしまうような軟弱な物へと変わってしまいました。普段から人気のない道に加え、もう日が暮れる一歩手前の刻でしたから、その場には私ただ一人だけ。誰かに助けを求める訳でもなく、その場に腰を落としたまま、どうする訳でもなく、


「っふ…。」


静かに涙を流すだけでした。もういっそ、このまま誰にも見つからないまま、静かに目を閉じてしまおうと思った時でした。


「失礼。」


誰もいない筈だったのに、若い、男の声が聞こえたのです。返事をすることすら忘れてしまった私は、ただ声のする方へと首を向けました。


燃えるような夕日に照らされた一人の男。白いシャツに黒い履物を履いた竜胆の花の頭をした男がそこに立っていました。見かけない人としか考えられずにじっと見ていると、もう一度失礼、と声をかけられ小さくはい、と返事をしたのでした。


「いかがされました。こんな道のど真ん中で。お怪我でも?」

「…いえ。少し、疲れてしまって。お気になさらず。」

「そうもいかんでしょう。」


静かに頬に添えられた男の手。今も流れ続けている涙の痕を拭う様な仕草におやめくださいと拒みたいはずなのに出来なくなってしまったのです。


「女と云う者は、時に愛らしく、時に凛として美しい。だからこそ、か弱い花を愛でるように接してやらねばならぬのです。」

「花は貴方でしょう。私は、花なんて綺麗なものではありませんよ。」


もしそれでも花と例えるのなら枯れかけの花ですよ。


視線を男から外しながら皮肉に言い放つ。そう、もう三十路を迎える女寡。このまま静かに枯れ行く人生しか私には残っていないのですよ。


「だからこそ、放っておけないのかもしれませんな。」

「はい?」

「芽吹く葉はこれからの楽しみを。咲いた小さな花は成長の喜びを。満開に咲いた花はこの世に秘めた美しさを。枯れ行く花は、その美しさを忘れさせることなく。花には色々な楽しみ方があるのです。」


初めは、この男が何を言いたいのかがよく理解は出来ませんでした。しかし、静かに語るその姿はいつしか共に過ごした夫の影がちらついて、聞かなくてもいい話を私はただじっと聞いていたのです。あんなに一人になりたいと思っていたはずなのに、なんとも可笑しな話だとは思いませんこと?えぇ、とても可笑しな話です。


だって、姿形はまったく違うのに、まるであの人が戻って来てくれたような感覚だったのです。未だに添えられている男の手に自分のを重ね、ただただ涙を流し続けました。


流し続けていた涙がやっと枯れた頃、もう辺りはすっかりと暗くなっていました。長い時間、男は黙ってその身を貸、何も聞かず、ただ送りましょうと私を立たせてくれたのです。

握られた手に、そっと腰に添えられた手に、目を閉じ、身体を預けたら、


あぁ、本当にあの人が戻ってきてくれた。


そう、思えたのです。

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