第34話:『とこやさ』が来た

 公園のベンチで座ってたら、突然足に何かが絡みついて来た。驚いて足元を見たら、それは美奈の犬の『とこやさ』だった。


 よく見ると首輪をして、リードが付いてる。


「とこやさ、逃げ出してきたのか?」


 犬の頭を撫でると、舌を出して僕の手をペロペロと舐める。くすぐったい。


「あ、ヨシ君!」


 その声に顔を上げると、すぐ横に、はあはあと肩で息をしてる美奈が立っていた。

 突然現れた美奈に、僕の心臓はどくんと高鳴った。


「あ、やっぱり『とこやさ』か。ど、どうしたの?」

「うっかりリードを放したら、走り出しちゃって」


 慌てて走って追いかけて来たと言う美奈は、リードの持ち手をつかんで、僕の横にちょこんと腰かけた。

 自由が制限された『とこやさ』は、リードの長さの範囲でぐるぐると歩き回ってる。


「ヨシ君は何をしてたの?」

「いや、あの……朝の散歩」

「そっか、健康的だね。私も朝の散歩。犬の、だけどねー」


 美奈は、はははと笑った。


 美奈にはやっぱり笑顔が似合う。

 僕がいつまでも暗い顔をしてることで、美奈にも随分と心配をかけた。


 だけども美奈のことを割り切ったら、これからは美奈とも以前のように笑顔で接することができる気がする。


 僕が美奈を諦めるのは、美奈にとってもいいことだよな。

 そう考えたら、美奈に心からの笑顔を向けることができた。


「あれっ? ヨシ君、なにかいいことがあった?」

「えっ、いや別に。なんで?」

「最近ヨシ君が暗い顔してるからさぁ。心配してたんだよ。久しぶりにヨシ君の良い笑顔を見れた」

「そうなの? 別に何もなかったけど、心配かけてごめんよ」


 できるだけさりげなく。

 自分に言い聞かせて、美奈と会話する。


「何もないって言うけど、ヨシ君には色々と謎に思ってることがあるんだよ」


 美奈が突然真顔で、真剣な口調になってギクッとした。


「えっ? 何さ、謎って?」


 できるだけさりげなく。

 そう思いつつも、僕の笑顔が引きつってるであろうことが自分でわかる。


「この前、夏ハイダンスの予選が七月にあるのをヨシ君知ってたよね。私、教えてなかったのに、なんで?」

「あの時言ったじゃん。WEBサイトで見たって」


 夏ハイダンスは公式サイトがあるのを知ってたから、言い訳に問題はないはずだ。


「じゃあそのために、ダンス部が昼休みも練習してるって、なんで知ってたの?」

「いや、あの……美奈が教えてくれたんじゃないか」

「私、そんなこと教えてない! なのに、なんでヨシ君が知ってるの?」

「それは……美奈が忘れてるだけだよ。教えてくれたって!」


 ベンチですぐ横に座る距離だから、美奈の顔が近い。そして美奈は僕の顔をじっと見ながら話してる。


 すべてを見透かされそうだけど、嘘を突き通すしかない。


「ヨシ君がそう言うなら、わかったよ」


 美奈は僕を追求するのを、ようやく諦めてくれて良かった。


「なんでこの犬が『とこやさ』だって、すぐにわかったの?」


 美奈はまた口調を強くして、問い詰めてきた。


「いや、前にこいつには会ったことあるし……」

「だって仔犬の時と、それと中学の頃に一回見ただけでしょ? 顔も名前も、そんなにしっかり覚えてるわけないし」


 美奈こそ、僕は中学の時に一回見ただけだってことを、よく記憶してるじゃないか。すごい。


「いや、だって小学校の頃に僕が関わって飼い出した犬だし、覚えてて当然でしょ? 名前だって僕にちなんでとことん優しい……」


 美奈は「えっ?」と声を出して固まった。


「名前のこと、なんで知ってるの?」


 しまった!

 この犬が『とこやさ』だってわかったことを正当化するために、喋り過ぎた。


 『とこやさ』の名前の由来は、過去改変前に美奈ん家で初めて聞いたんだった。


「いや、あの……」

「ヨシ君!」

「は、はいっ!」


 思わず背筋をピンと伸ばして、うわずった声が出た。

 美奈がとんでもなく怪訝な顔をしてる。


「『とこやさ』の名前のことは、絶対にヨシ君に教えてない。パパにもママにも、ヨシ君にもナカ君にも。絶対に言わないでおこうと思ってたから、間違いないよ。それをなんで知ってるの?」

「いや、あの、それは……」


 なんて答えたらいいんだ?

 さすがにこれは、いい言い訳が思いつかない。


「それは、言えない」

「なんで?」

「ごめん美奈。言えないんだ」


 美奈はじっと僕を睨んでる。


「いや、別に犯罪とか、何か悪いことはしてないから」

「ヨシ君が、悪いことをしてるなんて思ってないよ」


 美奈は苦笑いした後、また真顔で僕の目をじっと見つめた。


「ヨシ君……あなた、ホントにヨシ君?」

「えっ? もちろんそうだよ。何を言いだすんだ」

「だって、知ってるはずのないことを知ってるし、逆に知ってるはずのこと……私がナカ君とのことを相談したのに、覚えがないって言うんだもん」


 確かに。

 僕はこの世界の美奈が知ってるヨシキではない。


 この世界の美奈、つまり目の前にいるこの美奈が知らないこと、デートをして、美奈に好きだと告白されたという体験をしたヨシキなんだ。


 でも、それでも僕はあくまで僕だ。

 間違いなく、美奈と幼なじみのヨシキなんだ。


 それは間違いないんだけど、美奈に何をどう言うべきか、それがわからない。

 僕が無言のままでいると、それに耐えきれなかったのか、美奈が口を開いた。


「ヨシ君、加代とはどうなったの?」

「いや、どうなったと言われても、どうにもなってない」

「そっか……」


 二人ともベンチに並んで座ったまま、ぼんやりと前を向いた。

 前を向いたまま、顔を見ないで美奈が話を続ける。


「ヨシ君に加代と付き合えって言ったり、試写会のチケットのことを加代に教えたり……ごめんね。気になってたんだけど、謝るタイミングがなかった」

「あ、いや。いいよ」


 僕も加代の顔を見ないで、前を向いたまま答えた。


「でも加代が髪や眼鏡を元に戻したから、ヨシ君に振られちゃったのかなって……加代に訊いても教えてくれないし。ヨシ君は加代のこと嫌い?」

「いや、嫌いじゃない」


 嫌いじゃないけど──

 いや、むしろ心惹かれてるのを自覚してる。だけど僕は美奈が好きだから、今まで加代のことを受け入れられなかったんだよ。


 心の中でそう呟くけど、もちろん美奈には言えない。


 でもこんなうじうじした気持ちも、今日で終わりだ。

 さっき、美奈のことは諦めるって心に決めたんだから。

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