第33話:蜂の毒は口で吸出しちゃダメ
部活が終わった後、美奈と仲也と待ち合わせて、いつものように下校路を歩いてると、たまたま僕が右手の指でぽりぽりと頰を掻いたのを美奈が見て、「あれっ? 怪我したの?」と訊いてきた。
「蜂に刺されたんだ」
「大丈夫? ちゃんと手当した?」
「うん、すぐに毒を吸い出したから大丈夫」
「えっ? 口で吸い出したの?」
「うん」
美奈は心配そうな表情になった。
「口の中に傷があったら毒が入るかもしれないから、蜂に刺された時は、口で吸うのは良くないんだよ」
「えっ? そうなの?」
「体調は悪くない?」
「う、うん大丈夫」
美奈はほっとしたように「そっか」と言って、笑顔を浮かべた。
大丈夫とは言ったものの、毒を吸い出してくれたのは加代だ。彼女は大丈夫なんだろうか?
美奈と仲也と別れて家に入るとすぐに、スマホを取り出して加代に電話をかけた。
「あれ、吉田? どうした? 電話なんて珍しいね。私の声が聞きたくなった?」
否定も肯定もしにくい冗談を言うなよと思ってスルーして、努めて真面目な声を出す。
「体調はどう? 気分悪いとか、口の中が痺れるとかはないか?」
「え? なんで?」
「いや、蜂の毒を口で吸い出すのは、良くないって聞いたからさ」
「そうなの?」
「うん。口の中に傷があったら、そこから毒が入って危険らしいんだ」
「そんなの知らないから、夢中でやっちゃったよ……でも大丈夫だよ」
「そっか、良かった」
ほっとした。僕も知らなかったとは言え、加代に危ないことをさせてしまって悪かった。
「吉田、わざわざありがと。心配してくれたんだね」
「そりゃ、僕のせいで加代が病気になったら困るから……」
加代はふふっと笑って「私こそ、急に吉田の指を吸って悪かったよ。夢中だったから、後で思い出して恥ずかしくなっちゃった」
加代の口の中の感触を思い出してしまった。温かくてぬるっとした、なんとも言えず気持ち良かったあの感覚。
「いや、ありがとう」
それだけ返すのが精一杯で、「また明後日の月曜日にな」と言って、電話を切った。
なんだか、僕の中で加代の存在が徐々に大きくなっていく気がする。僕はいったいどうしたらいいのか。
しかしその答えは出ないままだった。
◆◇◆
─七月上旬の日曜日─
いつも日曜日は十時過ぎまで寝てるのに、その日はなぜか七時には目が覚めた。
昨日の土曜日は何をするともなく、一日中だらだらと過ごしてたことも一因かもしれない。
ベッドの上で上半身を起こして、ぼんやりと考えた。
このまま自分の気持ちの整理がつかないまま、日々を過ごすのは苦しい。
美奈のこと、加代のこと、そして仲也のこと。
自分が今後、どういう行動をしたらいいのか、改めて気持ちを整理したい。
だからといって、何をすればいいのか、答えを持ってるわけでもなかった。
もやもやする中で、とりあえず部屋の片付けを始めた。
床にちらかるゴミを捨て、放りっぱなしにしてある雑誌や本をきちんと本棚に入れる。
古い雑誌は捨てようと、ビニール紐でくくった。
勉強机の上に散乱してるプリントをまとめ、いらないものは思い切って捨てる。
なぜ急に片付けをしたくなったのか自分でもよくわからないけど、身辺整理というか、考えを整理するのに役立つような気がした。
同時に、雑多に散らかった物を捨てることで、なかなか自分で捨てられない思い出を、捨てようとしてる気がする。
しかし大事な物は机の引き出しの中に入れようとして、引き出しを開けてぞっとした。
ああ、あまりに乱雑にプリントや文具が散らかってる。
少し机の中をかき回したけど、ちゃんと中身を見て整理するのは時間がかかりそうだ。
げんなりして、やめようかと思った時に、山盛りのプリントの合間からペンダントの鎖のようなものが見えた。
「なんだこれ?」
鎖をつまんで、ずるずると引っ張っり出す。すると鎖の先にくっついた青い石が出てきた。
これは!
美奈から預かったパズルペンダントだ。忽然と消えたと思ってたけど、こんな所にあったのか。
これをつけて美奈とデートをしたあの日。タイムリワインドが起きて、朦朧とする頭で帰宅して、すぐにベッドに倒れこんだ。
ズボンのポケットに入れたままだと思ってたけど、洗濯をした母さんは、そんなものは無かったと言ってた。
薄ぼんやりとした記憶だけど、自分で机の引き出しにしまい込んだ気がする。
そっか。はっきりとした記憶のないまま、自分で机の引き出しにしまってたのか。
まるで妄想のようにも感じ始めてた美奈とのデートが、過去改変が起きた前の世界のできごとだとは言え、また現実のものであるという実感がじわりと胸の奥から滲み出てきた。
スマホを取り出して、美奈とデートで撮影した写真を表示する。そこには変わらぬ、あの日の美奈の笑顔があった。
戻らない過去が呼び起こされることで、かえって現実を突きつけられて胸が痛む。だから最近は、あえてこの写真を見ないようにしていた。
この写真を見るのは久しぶりだ。美奈との思い出が蘇る。
僕はふと思いついて、そのペンダントを握りしめて、部屋を出て玄関に向かう。
「ヨシキ、朝ごはんは?」
「ちょっと散歩してくる。帰ったら食べるから、置いといて」
台所からの母さんの声にそう答えて、玄関を出た。
歩いて近所の公園、仲也が泣いていたあの公園に向かう。
タイムリワインドの原因を探ろうとした以前とは違い、特に何かをしようと考えたわけじゃない。
以前よりも色んなことが少しわかった今、もう一度あの公園に行って、これから自分はどうしたらいいのか考えを整理したい。
そんな気持ちだった。
公園に着いて、ベンチに座った。
隣のグランドでは、こんな朝早くから、サッカーユニフォームに身を包んだ中学生らしき男の子達が準備運動をしてる。
やっぱり運動ができる人達って、こうやって努力してるんだなぁ。仲也も美奈も、すっごい努力してるもんな。それに比べて僕なんて……
やっぱり美奈には仲也が相応しいな、はははっ。
自嘲する笑いが口からもれた。
やっぱり僕は、もううじうじと悩んでなんかいないで、美奈のことは諦めるべきなんだろうな。
改変前の世界のできごとは、僕の妄想。
そう思えば、美奈が仲也と付き合うことが、極めて自然なことだと思える。
例え仲也がタイムリワインドを引き起こしたんだとしても、だ。
──よし、もう美奈のことは諦めよう。
グランドの中学生をぼんやり見ながら、僕は心にそう決めた。
そうしたら、少しスッキリして、心が晴れたように感じた。
「おわっ!」
ベンチで座る足に、急に何かが絡みつくような感触がして、思わず変な声を出した。
いったい何だ?
足元を見ると、小型の犬が前足を上げて、僕の脛に抱きつくようにしてる。
「あれっ? お前、『とこやさ』じゃないか?」
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