第30話:保健室
◆◇◆
保健医の先生に、「ちょっと気分が悪い」と言ったら、熱中症かもと言って、しばらくベッドで横になるように指示された。
保冷剤を渡されて、それを額に載せて保健室の狭くて硬いベッドに横たわる。
周りを仕切るカーテンを先生が閉めてくれて、閉じられた空間がなんだか落ち着く。
なんだか疲れた。
おでこがひんやりして気持ちいいな。
目を閉じてじっとしてたら、知らない間に眠りに落ちていた。
はっと目が覚めて体を起こし、何時間くらい眠ってたのかと慌てて時計を探す。
カーテンを少しあけると、保健医の先生はおらず、壁の時計を見ると十二時半だった。
一時間くらい眠ってたみたいで、もう昼休みになってる。
ちょうどみんなは教室に戻って弁当を食べてる時間じゃなかろうか。
黙って保健室に来て球技大会を抜けてるから、吉田はどこに行ったんだとか騒ぎになってるんじゃないか?
慌てて保健室を抜け出して教室へ戻ると、担任教師の高橋先生が開口一番「もう大丈夫か?」と訊いてきた。
高橋先生は二十代後半の、うちの高校ではかなりの若手に属する国語科の男性教師だ。
保健医の先生から連絡があって、僕が保健室で寝てることを既に知っていた。
「はい。心配をおかけしました」
「昼からの試合は出れそうか?」
「なんとか」
高橋先生は「良かった」と安心した笑顔を見せて「じゃあ早く弁当を食べろ」と付け加えた。
初戦で負けた僕らのサッカーチームは、昼からは三位決定戦がある。
もう一つの男子ソフトボールは僕が寝てる間に勝ったらしくて、次は決勝戦だと盛り上がっている。
女子のソフトボールは負けて、午後は僕らサッカーと同じ時間帯に、加代の四組と三位決定戦をするらしい。
ということはつまり、加代の試合は見に行けないってことだ。
残念なような、ホッとしたような、複雑な気分になった。
女子のバレーボールは一回戦勝利。
だから決勝戦は応援に行かなくちゃ。
これがソフトボールの決勝戦と同じ時間だから、美奈の応援にも行けない。
いや、行けないとか言うよりも……美奈や加代の、そして仲也もだけど、彼らの試合を見ることを避けたい自分がいる。
こんなことしてても、なんにも状況は好転しないのに。
そうわかってても、うじうじとしてしまう自分を奮い立たせることはできなかった。
午後の自分の試合はなんとか勝って、三位は確保できた。
その後同じクラスの他の競技の決勝戦は応援に行ったけど、結局美奈や加代、仲也の試合は見に行かなかった。
途中でたまたま妹の愛理が二年生女子のソフトボール決勝に出てるのを見かけた。
愛理はショートで華麗な守備をしてた。
見た目も運動神経も、僕とは大違いだ。
ホントに実の兄妹なのかという気すらしてくる。
応援してる同級生の中に、ひときわ大きな声で「いいぞ、愛理!」なんて叫んでる男子生徒がいた。
彼氏? まさかな。
愛理はついこの前まで、仲也のことを良いと言ってたけど、もう諦めたんだろうか。
まあ、どうでもいいけど。
クラスメイトから聞いた話では、仲也のサッカーも美奈のソフトボールも優勝したそうだ。
二人ともさすがだな。
運動ができる人達は、愛理もそうだけど、キラキラ輝いて見える。
やっぱり自分とは、住む世界が違うような気がして仕方がない。
そんな思いに包まれる中、運動部は球技大会の後片付けの手伝いがあるとかで、文芸部が休みの僕は、大会が終わると一人でそそくさと下校した。
帰宅して着替えてから、居間のソファーに背中を預けてボーッとしてたら、愛理が帰ってきた。
「ああ、お帰り」
僕のいる居間を通って台所に行き、冷蔵庫から冷えたお茶を出した愛理は、コップに注いだお茶をぐびぐび飲んで「ただいま」と答えた。
「優勝したらしいな」
「球技大会? まあね」
あんなに活躍してたのに、自慢するでもなく喜ぶでもなく。
運動ができる人からしたら、『たかが球技大会』なのか。
僕なら嬉しくて思い出して、にやにやしてる気がする。
「ショートでいいプレーをしてたじゃないか」
「えっ? 見てたの?」
「ちょっとだけな」
愛理は無言のまま、照れた表情を浮かべた。そんなに恥ずかしいのかな。カッコ良かったのに。
「そう言えば熱心に声援を送ってる男子がいたなぁ」
ちょっと気になってたから、さりげなく言ってみたら、愛理は急に顔を真っ赤にして、「関係ないから!」って焦ってる。
「関係ないって?」
「お兄ちゃんには関係ないでしょ!」
すっとぼけてカマをかけたら、余計にあたふたしだして、ちょっと面白い。
「ふぅん。この前まで仲也がいいって言ってたのに、もう諦めたんだ?」
「だって仲也さんは、美奈さんと付き合いだしたし……」
そこまで言って愛理ははっと気づいたように、急に不機嫌な声になって「お兄ちゃんには関係ない!」と居間から出て行った。
そっか。愛理は仲也を諦めたのか。
やっぱりそれが、『現実を見る』ってことなのかもな。
僕はまた無意識のうちに、はぁっと大きなため息をついていた。
でも『現実という日常』は、自分が望む望まないに関わらず、続いていく。
──これが人生ってやつか。
たかだか十八歳のくせに人生を語るか?
そう思い直して、あははと苦笑い。
これ以上考えると現実に押しつぶされそうな気がして、僕は考えることをやめた。
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