第21話:文芸部への来訪者

 普段は文芸部の部室を訪れる人などほとんどいないから、加代は驚いて、扉の方を振り向いた。僕もギョッとして扉を見ると、スーツ姿の顧問の田中先生が入ってきた。


「お前らいたんか?」


 田中先生はいかにも教師風な四角い銀縁眼鏡をかけた、四十過ぎで強面こわもての国語教師だ。


「さっき来たら誰もいなかったから、どうしたのかと思って戸締りに来たのだよ」

「あっ、すいません。二人でちょっと取材に出てました」


 僕の返答に、田中先生は眼鏡の奥でギロッと睨んで、不機嫌そうな声を出す。


「鍵ぐらい締めて行けよ」


 おっかない。素直に謝っとくべきだな。

「申し訳ありません」

「ところで姫野。今年度の活動計画書は?」


 姫野は加代の苗字だ。目の前の女の子が加代だって、よくひと目でわかったな。田中恐るべし。


「あ、まだできてません」

 加代は消え入りそうな声で答える。


「はぁっ? 元々四月中に出す書類だぞ。遅れてるから早く出せって言ってたよな?」

「すみません」


 加代は恐縮しきって謝ってるのに、田中はネチネチと攻め立てるような口調をやめない。


「髪を染めて色気づいてる暇があったら、書類作れよな」


 加代はかわいそうに、申し訳なさそうに何度も髪をいじって、ごめんなさいと頭を下げる。


「田中先生、ごめんなさい! 僕が頼まれてたのに、忘れてたんです」

「はぁっ? 吉田、お前のせいか?」

「はい。だから姫野さんを怒らないでください」

「わかったけど、お前、忘れてたとか、俺を舐めとるんか?」

「舐めてません! ホントにごめんなさい」


 僕は九十度のお辞儀をして、田中に謝った。そして顔を上げて、先生の目を見る。


「すぐに出します。でも先生。女子生徒の髪型を色気づいたとか言ったら、セクハラ教師とか問題になりますから、気をつけてください」


 田中は、「あっ」と小さく声を出して、しまったという表情を浮かべた。


「まあ分かればいいんだ。今日はもう遅いから早く帰れ。計画書は明日出せよ」

 田中はそう言い残して、そそくさと部室を出ていった。


「あ……ありがと吉田」

「さあ、帰ろっか」


 僕が部室の出入口に向かって歩き出すと、加代も通学リュックを背負って、とことこと追いかけてきた。


「今日田中の授業があって、その時にも髪型とコンタクトのことをからかわれたんだ」


 ああ、それでひと目で加代だってわかったのか。


「先生のくせに、酷いやつだな」

「計画書のことも、吉田の担当じゃないのに、嘘ついてまでかばってくれて」

「あの言い方に、なんか腹が立って思わず言っちゃったよ」

「いつもありがと」


 いつも? なにかしたっけ?


 加代は僕を見上げて、しょっちゅう助けてくれてるし、と笑顔でつぶやいた。



◆◇◆


 家に帰って部屋で一人でいると、美奈が『加代と付き合え』と言った姿が甦る。

 やっぱり今のこの世界では、美奈が好きな相手は僕ではないんだ。



 これから僕は、どうしていったらいいんだろう。


 これまで僕は、とにかくまたタイムリワインドを起こして、元の状態に戻ることしか考えてなかった。


 でも……例えそれができたとしても、仲也を悲しませることは、避けないといけない。


 つまり僕がやるべきことは、美奈に想いがバレる前まで戻って、今までどおりの三人の関係を取り戻すことだ。


 例え僕が美奈と想いを通わせられないとしても、僕以外の男を好きな美奈を見なきゃいけないような、今の状態よりも何倍もいい。


 そんなに都合よく、タイムリワインドができるかどうかはわからないけど──


 これが僕が一番望む状態。



 他に僕には、どんな選択肢があるのか。


 一つは、今の世界の現実を受け入れて生きていく。

 どうせ元の世界に戻っても、美奈と付き合えるわけじゃないと割り切ることができたら、今の世界で加代と……


 いや、何を考えてるんだ僕は。


 例え加代と付き合えたとしても、そんな気持ちなら加代にも悪い。それに美奈が他の男と付き合うのを見るのは、やっぱり耐えられない。



 それならば、今のこの世界で仲也から美奈を奪う。いやそこまでしなくても、美奈と仲也が別れるように仕掛けられたら、目的は達せられるじゃないか。




 僕はホントに何を考えてるんだ!

 それこそ仲也を大いに悲しませることじゃないか。


 僕は自分の心の中の黒いモノが湧き出してくるような気がして、怖くなった。背筋がぞわっとする。



 やっぱり元の世界に戻って、今までの三人平穏な生活に戻る。これが僕のやるべきことだ。

 それ以外、考えられないよな。


◆◇◆


 その夜、僕は夢を見た。



 僕の横に立った美奈が、目の前の仲也に向かって「ホントはナカ君じゃなくて、ヨシ君が好きなんだ」と言った。


 そして僕は仲也の前で、美奈にキスをした。


 仲也は泣いていた。



 そこに加代が現れて、「私も吉田が好きだ」って告白された。


 僕が焦って美奈の顔を見たところで目が覚めた。

 その時の美奈の表情は覚えてない。



 目が覚めたら、僕は身体中にびっしょりと汗をかいている。起き上がってティーシャツとパンツを着替えた。



 なんて夢だ。

 まさか僕の願望が夢に現われたのか?


 例え仲也を苦しませても、美奈も加代も自分のモノにしたい。それが僕の黒い本性なのか。



 そんなことはあり得ない。


 僕は美奈だけが好きだ。

 だけど仲也も大切な友達だから、自分だけが恋を叶えたらいいってもんじゃない。


 それが僕の気持ちだし、その気持ちに嘘偽りはない。


 そうだよな、吉田ヨシキ。


 自分への問いかけに、僕の心は「そうだ」と答えた。

 大丈夫だ。夢は決して、黒い願望の現われなんかじゃない。


 僕は少し安心して、またベッドに潜り込んだ。

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