怪談 非縮小版

 そう、それは私がまだこの学校に居たころか。彼女はいつも音楽室に居た。

始め聞いた時は空耳かと思ったよ。それほどに、小さく控えめに、かすかな声でうたうのさ。蓄音機で古い合唱曲を流して、独りきりで飽きもせずにね。

 男ばかりの工学校であるのもあってか、放課後の音楽室を訪れる者はほとんどなかった。私はいつしか、人待ちをするふりをしてその前に入り浸るようになった。

 あれは恋であったのだろう。彼女の声を私が独り占めできることがうれしかった。

気がついたのが五年次の秋だったから、少しもしないうちに冬になり、そして卒業の頃となった。わずかな期間ではあったがただで聴き逃げるのは気分が悪い。せめて礼を、告白をしたいと思い、或る冷え込んだ金曜日、私はその分厚い引き戸を引いた。

 室内は思った何倍・何千倍も静かで、耳鳴りの音だけが声を張り上げて歌っていた。さっきまで鳴っていたはずの蓄音機すら黙り込んでしまっている。

 見回してみても誰も見えない、何処に居るのかと虚空に問うてみても、返事はない。妙なものだと背を向け去ろうとしたが、直後私の足は止まった。

 確かに繊維を感じた。足首から頭の天辺に向かってさァッと血の気が引いていく。叫びも歌も口をつかず、唯々この怪事を畏れ、震えるばかりであった。


もうわかるだろう、私は二十年前、この音楽室で幽霊に逢ったのだよ。君たちも同じ目に遭いたくなかろう、そうであれば、もう深夜の音楽室に忍び込むなぞやめるんだな。私は何とかなったが、次もそうとは限らない。

さァ、帰った帰った。

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『怪談』 asteain-ninia @asteain-ninia

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