最終章 春

 大樹の部屋の前で、その日、春は立ちすくんでいた。

 外は満開の桜に彩られ、それはまさに、「曙」が宮に上がってきた時のようだった。そんな春に、連泉が声をかける。「春」

 振り向いた春に、連泉は言う。「いくぞ」

 「うん」と頷き、春はくるりと大樹の部屋に背を向ける。春がいた後を追いかけるように、桜の花びらが一枚、室の扉の前に舞い落ちた。

 「本当に良いのか?」と連泉が、荷物を持った春に訊ねる。「いいの。あんな風に連香様に言われたら、そうするしかないでしょう」

 そう言って微笑む春から、連泉は目を逸らした。


連泉がこれ以上、苦しい生を送らなくて済むように、僕の勝手で、連泉を宮から出します

そのとき、春さんもついていってほしいんだ

ふたりで、この世界を、僕のぶんまで……

本当に勝手な僕を、お許しください

連香


 あの日、受け取った、連香の遺言の通りに、春は連泉と宮を出ることを決めた。その意に背く者は宮には誰もおらず――連泉の周りのことは、春には知る由もないが――、春はこのひと月を、旅立ちの準備で、穏やかに過ごした。

 春が穏やかにいられたのも、連香に似た、しかし全く違う連泉が隣にいたからだということも、春は薄々わかっている。

 桜に彩られる尊殿宮の、赤い鳥居を連泉と二人でくぐり、宮の外に出て、春は尊殿宮を振り返る。美しい宮は、その怪異を隠してそこに建っている。

「……さようなら」

 別れの言葉を呟いた春の背を、連泉は励ますように軽く押して、彼女の歩みを止めないよう促した。

 春は前を向き、尊殿宮から出ていく。その横髪には、桜の簪がきらりと淡い陽光に照らされている。

 春空の下、あたりには桜の花びらが舞い散り、それはまさに春がこの宮にきたときのようであった。

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