2-35:一方、後方部隊

 時は少しばかり遡る。


「クラーク博士、始めます」

「おや」


 ブルーノがラインハルトを馬の背に乗せて疾駆しているのが見える。滴石で繋がっているお陰かザカライアはラインハルトの魔力の動きにすぐに気がついた。

 作戦開始の合図こそ出したが、いささか早い気もする。圧縮した魔力は維持も制御も難しい。一日一朝の訓練しかしていないザカライアには少しばかり荷が重いようにも思える。


「ラインハルトはもう魔力を送り込み始めています。……戦場の奴は間違えない。ここは合わせておきます」

「左様ですか。では」


 ギデオンはアーサーへ目配せする。ガチガチに緊張している様子だが事が始まれば忘れるだろう。


「『圧せよ、深化せよ』」

「計測を開始。一、二……」


 ラインハルトが肘に取り付けた魔道具へ魔力を送り込むのに合わせて、ザカライアがそれに圧力をかけていく。実のところ半信半疑ではあったが、滴石の効果は覿面だった。これほど距離が離れているのに近くに居るように魔術が届く。


「やはり実験通りには溜まっていきませんか。しかし、ザカライアくんよく出来ています。きちんと数値は範囲内です」


 ラインハルトが剣だけに集中できない状況になるのは当然に読めていたのでこれは想定内だ。遅い分には、であるが。


「いえ、奴はこれから極度の集中状態に入ります。周りが見えなくなる……おそらく、凄まじい勢いで流入させるはず」

「……なるほど。本番はこれからと」


 長く決闘を続けて、彼らは互いの癖を熟知しているのだと聞く。ザカライアはラインハルトの攻め方もよく知っているのだ。


「わ、わっわっ! 数値いきなり上昇してますゥ!」


 ラインハルトの魔道具の方の魔力の溜まり具合を測っているアーサーが悲鳴をあげた。ザカライアは眉を寄せる。視線の先のラインハルトは馬の背に立ち、それから跳んだ。

 ここからが難しい。予想のつけにくいラインハルトの動きに合わせて魔力を圧縮し続けなければならない。ザカライアの制御の外に魔道具が出てしまったらその瞬間これまで溜め込んだものが無駄になる。動き回る小さな的に魔弾を当て続けるようなものだ。しかし当てるのではなく、包み込んで押し潰すような感覚でなくてはならない。生半な集中ではやっていられない。


「っ、く」

「焦らずに。大丈夫です、私がきちんとフォローいたします」


 時折過剰に注ぎ込まれるラインハルトの魔力が圧迫を越えて暴れそうになる。その度にギデオンが立て直した。彼はザカライアとは違う方法でラインハルトの魔力や経路を把握しているらしい。

 竜が大きく身をくねらせる。魔弾を呼び出したようだ。ラインハルトがそれを素早く躱している。


「アーサーくん! 彼の左手は!」

「六番です!」


 ギデオンは後方に置いてきた人々の手を借りてラインハルトの魔力経路をつぶさに観察していた。心臓の近くの魔力溜まりを原点とし、そこからポイントごとに数字を振って遠隔地でも把握ができるようにしたのだ。エリザベスの施した経路強化の術式にそのままポイントを置いている。ギデオンはそこへ自身の魔力を飛ばした。こればっかりは戦場に出た経験がものを言う。流石のギデオンにとっても的が小さすぎた。


「魔力強化、成功してます! うわっ、魔弾を斬って……」

「奴はそれくらいはやります」


 アーサーはちらりとザカライアを伺う。かなり体調が悪そうなのを覚えていたのだ。エイベルという不健康代表が身近にあるのでつい気にしてしまう。


(うわ、すごい冷や汗)


 表情は平静を保っているように見せているが、明らかに苦痛を堪えている様子だ。たぶん、彼は彼の矜持にかけて任された領分をやりきるだろう。下手に声をかける方がザカライアにとっては屈辱なはずだ。

 アーサーは前を向いた。改めて気合も入った。……のだが。


「ひぃええ! と、跳んだ!」

「これは!」


 アーサーとギデオンは同時に声を上げた。ラインハルトが竜のからだから飛び降り、そしてその翼にぶら下がったからだ。さすがに肝が冷えた。


「っ、アーサーくん、魔力量は!」

「あっ、あ! えっと、あれ……減ってない……。基準値、です……」

「なんと……」


 ザカライアは驚くことにきちんと制御範囲内に収め続けているらしい。驚愕の叫びも感嘆の声も無い。淡々とやっている。


「ええと。……十九、二十――圧力、魔力量共に臨界点です。あとは、いつ解放するか……」

「それは、ザカライアくんに任せましょう。彼は完璧にラインハルトくんの動きを追っています」


 ザカライアは竜の吐きかけてきたヘドロを躱すために中空へ身を投げ出すまでしたラインハルトの行動まで逐一捉えていた。凄まじい集中力と魔力統制力、何よりラインハルトを知り尽くした上でのやり様だった。


「構えた」


 ザカライアがぽつりと溢した。ラインハルトが両手で剣を構えている。これが向こうからの合図だ。

 ギデオンは目まぐるしく変わる魔力計を見て眉を寄せた。予想はしていた。ラインハルトは今、意図的に竜を倒す以外を遮断している。己の限界までも、だ。


「『発散せよ――』」

「アーサーくん、予備計画の方を。私はラインハルトくんの魔力経路の保護を行います」

「えっ、やるんですか」

「この数値は心配です、経路が焼き切れたら再起不能になります」


 ザカライアはギデオンを伺った。この機を逃せないのだ。ラインハルトは間違いなく竜を斬りに行く。


「我々のことは気にせずに解放を。任せなさい」


 ザカライアは僅かに顎を引いた。


「三、二――」


 遠見の眼鏡越しにラインハルトが踏み込むのがわかった。ザカライアは無意識に滴石を握り込んだ。


「――『解き放たれよ』!」


 ギリギリまで押し留めていたものを解放した。全身にのしかかっていた重圧が一気に消えた。脚から力が抜けて地面へ膝をついた。

 ふっと風が吹き付けた。脂汗で額に張り付いた髪を吹き流していく。


(あれが、我が祖先の交わした盟約)


 ラインハルトの周りを守るように古代文字が浮いていた。神を殺すものというのに、美しかった。


「博士! ゼロ番から十二番まで全て起動してください!」

「わかりました! 『マナよ、解けよ』!」


 エリザベスがラインハルトに彫り込んだ経路強化式にはいくつか制御装置としてマナを楔にしていた。経路強化式自体ギデオンの発案だ。人間のからだには負担になるのでリミッターをかけていたのだが、それの全てを外さなければならないほどの魔力量だった。


「ああああ上手くいってます! 制限装置外れてますうぅうう!」


 アーサーとギデオンが何かしている。ザカライアはぼんやりとそれを横目で見ていた。強い薬と精神力で誤魔化していたが、もう駄目だった。血の塊がせり上がってきた。呼吸を詰めないための反射で弱々しい咳が出る。地面が赤く染まった。

 竜の翼が折れた。遠くから見守っていた兵士達からも歓声が上がる。ラインハルトはやるだろう。神殺しの力まで手に入れた彼に殺せないものなど最早ないはずだ。


(逆だったら、何か違っていただろうか)


 あれだけの大剣を振るえる力が、まともなからだが欲しかった。あの場に己があれば堂々と「竜殺しの英雄の末裔」と名乗ることもできたはずだ。こんな、腐った家柄の、汚れた血筋の人間でもそう言えたのではなかったのか。

 恨むべきは己が生だ。母は憎めない。この身に生を授けるために彼女は命を賭した。神にまで縋って、ついには発狂したのだ。


「『マナよ、連なりて防壁たれ』」


 ギデオンが結界を展開した。ザカライアの前に屈みこんでくる。


「ザカライアくん、完璧でした。マナや魔力の影響が出ないように結界を張っておきますから、休んでおくように」

「数値も安定してます。いやまあ、どんどん減ってるんですけど……極端な数値ではないというか」


 ザカライアは小さく頷いて返事とした。向こうが強く光る。竜の前脚が落ちて、血を吹き出していた。兵士たちの抑えきれないほどの期待がラインハルトへ向けられている。長く苦しめられた竜が、今、ひとりの人間の手によって倒されようとしている。


(あれが、最期の一撃だ)


 竜とラインハルトが同時に動いた。ラインハルトは竜の首を刈るだろう。そう確信があった。


「――ッ」


 戦場の全ての人間が息を呑んで目を覆った。凄まじい反応が起こっている。白い光が遍くを包んだ。


――轟音。次いで、歓声。


 竜は首と胴とを分かっていた。からだも首も、いずれも力を無くして地に溶けて始めている。眼下には抱き合って勝利を喜ぶ人々。横にも明らかに胸をなでおろした様子のアーサーがあった。


「……ラインハルト」


 ザカライアはふらりと立ち上がった。ラインハルトはどこだ。英雄は、竜殺しの英雄はどこにある。


「いけない、ラインハルトくんが」


 ギデオンが声を詰めた。視線の先を追う。

 ラインハルトは地に倒れていた。全身の力を使い果たしたのだ。剣も停止してしまっている。今、彼の生身が竜の毒に晒されているのだ。

 ザカライアは駆け出していた。ラインハルトをあそこで死なせてはならない。その一念しかなかった。


「ザカライアくん、今は毒が!」


 こちらの意図にすぐに気づいたギデオンに腕を取られた。しかしザカライアはそれを振り切った。


「離せ! 浄化は間に合わない、僕にしか奴を救えない! どうせ死にはしないんだ!」


 アーサーも追い縋ってくるが、それも突き飛ばした。すぐ近くに繋いであった馬へ跨る。また血を吐いた。もう己の限界がどこにあるのかもわからなかった。呼吸はまともにできていない。目も霞んできた。馬にもほとんど縋り付いているような具合だ。

 薄暗い瞳の折り目正しい男の姿はどこにもなかった。血走った目で、戦場の泥と血に塗れた姿でザカライアは馬を飛ばしていた。



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