2-26:学者陣、一息入れる

 ギデオンはユディアを腕にくっつけたままでゆっくりと部屋へ戻った。彼女にも落ち着く時間が必要だった。ギデオンたちよりも魔力に対する感受性が高い分疲れやすいのだ。

 たっぷり時間をかけて部屋へたどり着くと、ちょうど紅茶の入っている頃合いだった。扉を開けた瞬間から芳香が漂っている。


「あ、これユーロメリカお姉様から頂いたやつだ。開けたの?」

「俺が適当に見繕ったんだよ。後はアーサーがあっという間に淹れちまった。……紅茶ってこんなに香りが立つんもんなんだな」


 何となく一人で飲む気にもなれずにしまい込んでいたものだった。この間酷い別れ方をしてしまったのがなんとなく心の端に引っかかっていた。

 ごちゃごちゃした机の上のものはエイベルが端に寄せていた。整理整頓は一切やらずに前腕を使って一息に端へ追いやるのだ。机は一瞬で隙間が増えるが本や紙切れがうず高く積もっていく。ギデオンの研究室ではよく見受けられる風景だった。


「僕からはパウンドケーキ、エリスさんからはサンドイッチですよー。この野菜魔力回復に役立つらしくて」

「ほほう。何か特殊な育て方でもしているのですかな」


 アーサーとエリザベスが皿を持ち出して様々に食べ物を乗せていっている。片手でつまめるようにどれも一口大に切られていた。


「土壌に土によく馴染む魔力塊を砕いて撒いておりますの。水は控えめにあげて魔力の方をよく吸い上げるように育てていますわ」

「なるほどなるほど。素晴らしい色合いに育っていますなあ」


 からだを起こしていられないらしいラインハルトはソファへ横になっている。アーサーはせかせか働いてそちらにも食べ物を運んでいた。


「わあ、アーサーのケーキだあ。わたしこれ大好き。専属料理人で雇いたいくらい」

「へへ、光栄です」


 誰よりも先に席に着いたユディアはすでにケーキをかじっている。特に礼儀も作法もなく休憩は始まった。


「結局あの不思議な鍛冶屋ってのはなんだったんだ」

「それが何ひっくり返してもみんな口を揃えて不思議な鍛冶屋なんだ。全然わかんない」

「剣のここの紋様は道具作成においては、こちらの資料の源流だと思いますの」

「ほうほう。これが元になって広がっていったんですなあ。今ではすっかりお馴染みですが」

「あ! 僕これ食べたらさっきの文字について調べますね。古代文字のいい辞典知ってるんで」

「あら、それアタシにも教えなさいよ」

「博士、さっきのスケッチなんだが……」

「わたしもスケッチ見たい!」


 もぐもぐと口を動かしながらも学者たちは意見を交わし合っている。ブルーノはそれをポカンと眺めていた。ラインハルトも同じだろう。軍議ではこうもいかないからだ。もっと四角四面で、それこそザカライアが得意そうな会議になるのだ。まあ、話のレベルについていけていないのもないことはない。

 きょとんとこれを眺めていたのに気がついたらしいギデオンがふっと笑う。


「我々学者ですからねえ。上下関係などあってないようなもの。専門も違いますからな、異なる分野の意見も全て参考にするわけです」

「ところ変わればっつーかなんつーか。……上下がないのもいいもんですね」

「……ブルーノわたしのこと王女なんて思ってないくせに」

「思ってねえわけじゃねえんだぞ。意識はしてねえけど」

「ほらぁ!」


 しばらくは緊迫した空気が流れていたのが多少緩んだ。やはりかなり張り詰めていたようだ。急ぎではあるが焦りは禁物だ。

 アーサーはエリザベスと並んで辞典とスケッチを見比べてあれやこれや言い合っている。ギデオンはエイベルと「魔術式」の構想を練り始めていた。


「……彼らが居なければ、今頃俺はあの剣を持ってもう戦場に戻っていただろうな。そして――死んでいたはずだ」


 遅かれ早かれ、ザイフリートに伝わるあの剣には誰かが辿り着いていたはずだ。使い方もよくわからないままにそれを握って戦場へ立つ己を、ラインハルトには容易に想像できた。

 少し休んで身を起こすくらいはできるようになったらしいラインハルトがぽつりとこぼした。それを聞いたブルーノは小さく笑う。


「理論魔術、だってよ。ワケ分からねえことばっかの魔術の仕組みを理解しようってらしい。俺は魔術は使えねえし頭も良くねえけど、たぶん無視できねえものになっていくんだと思ってるぜ。……リュカも夢中だしな」

「……俺にもできるだろうか」

「誰にでも魔術の門戸を開くのが理論魔術なんだってよ。リュカが言ってたぜ。流石に俺みたいなのは論外みてえだけどよ」


 からからとブルーノは笑う。魔術が生活の基盤にあるこのヴェルゲニアに産まれて、何もなかったことはないだろうに彼はそれを気にした様子がない。結局は魔術が効かない体質を買われて王族の身辺警護なんという重役を仰せつかったのだから人生はわからない。


「アーサーくん、どうですか、読めましたか?」


 額を寄せ合ってウンウンやっているアーサーへギデオンが声をかける。アーサーは顔を上げて眉を寄せた困った表情を見せた。


「何かの契約みたいなんです、これ。神をどうにかしようってものだというのまではわかるんですけど、こう、スパッと半分だけない感じで……」

「半分」


 ラインハルトは思わず口にしていた。頭に去来するのは今のザイフリート家の在り方だ。同族が二つに分かれて、殺し合いを続けている――。


「……ザイフリートは、本来一つであるべきだったものだ。今はヒルデベルトとバルタザールの二家でザイフリートを名乗っている」

「っ、それ、契約に違反してるんだわ」


 エリザベスががたりと席を立った。


「契約主に当たる人間が二人居るから半分しか出力されていないんでしょうね。……魔術に於いて、契約は何物にも勝る力を持つ時があるの」

「どちらか死んで、一人になれば済む話か? ……できないから、俺たちの代は面倒なことになっているんだが」


 ラインハルトはザカライアを殺せないし、ザカライアではこの剣を振ることができない。


「半分しか出力できていないのなら、入力を倍にするしかないでしょうな」

「あれは、俺の全力だった」


 ラインハルトは苦い顔をする。これを聞いて口を開いたのはエイベルだった。


「俺の出番か? 体内魔力の倍増に関しては俺がプロフェッショナルだ。……まあ、生命の保証は怪しいが」




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