2-25:ラインハルト、剣を起動させる


ラインハルトは細く息を吐いた。肺が萎んでいくにつれて音が遠くなっていく。極度の集中の内にあった。

音は消え、見えるものが狭まる。己の呼吸すら意識から消えた。気が鎮まってくると自身の身の内を流れる魔力をはっきりと感じ取ることができた。この全てを、捧げ持つ剣へ注ぎ込む。


(――これは)


普段から使い慣れている質の悪い剣と異なり、恐ろしく簡単に魔力が吸い込まれていく。錆びついているのは見た目だけだ。まだこの剣は「生きて」いる。


(生きているのか。……ならば)


ラインハルトはぐっと柄を握りしめた。一気にからだから何かが引き抜かれていく感覚がある。


『――か、邪竜を』

『あなたにしか頼めない――』

『――平和を、どうか』

『ヴォータン・ザイフリート、この剣と盾をあなたに――』


人々の声がする。懇願、哀願。しかしとりわけ耳を引いたのは鈴を振るかのごとく澄んだ声だった。


「――!」


と、風が吹いた。蓬髪を流され、ラインハルトは現実へ意識を引き戻した。


「……なんだ、これは」


薄く光る文字のようなものが自身の周りを取り囲んでいる。不愉快な感じはないので悪いものではないのだろう。ラインハルトはこういう時の己の勘を信じている。向こうではアーサーが腰を抜かして尻餅をついていた。


「あんた、古代魔術を知ってたりしないわよね」

「もちろん、知らない」


これに思い当たるところがあったのはエリザベスだった。つくづく凄まじい集団だ。誰かが知らずとも他に知っているものがある。


「博士、この文字は古代魔術に使われた文字ですわ。アタシも古い道具によく彫りつけられている範囲の文字しか知らないけど、確かにそうですわ」

「読めるのですか」

「……申し訳ないけど、そこまでお役には立てないわ。少しだけ、知っているのだけはわかるのだけれど」


アーサーとエイベルが文字をスケッチして行っている。ラインハルトは己の手の内の剣を見下ろした。


(錆びが、ない)


錆びついてボロボロだった剣は、ラインハルトの魔力を吸い上げて元の磨き上げられた姿を取り戻していた。やはり死んでいない剣だったのだ。ただ眠っていただけ。こうして魔力を注ぎ込まれるまで。


「……っ」


ラインハルトは脚をふらつかせた。体内魔力が尽きかけている。この剣は恐ろしく大喰らいのようだ。もう少しだけと両脚を踏ん張ってみたが、駄目だった。全身から力が抜けて地面へ膝をつく。古代のものだという文字は空気に掻き消えていった。


「ラインハルト!」


ぱたぱたユディアが駆け寄ってくる。ずっとブルーノの背中に庇われていた。何かあっては事だからだ。それを押して駆けてくるあたり、彼女の性格の根のところは優しいのではないかと思う時がある。


「うわっ、魔力ほとんど空っぽ! バカバカ! ちゃんとセーブしなよ!」

「……まあ、バカは事実だ」

「そういうことじゃないって! 死んじゃうんだから!」


一気にラインハルトのからだから力が抜ける。地面に頭を打つ前にブルーノが肩を支えてくれた。


「一度休憩にしましょう。我々も驚き過ぎて疲れましたしな。アーサーくん、先に戻って支度を」

「わかりました」

「アタシも手伝うわ」

「俺も行こう」


アーサー、エイベルとエリザベスが連れ立って戻っていく。ラインハルトはブルーノに担がれた。剣までは背負えなかったようで、そのまま置いていった。ラインハルトやブルーノに持てなければ他の誰も運ぶことはできない。


「魔力が枯渇した場合はよく休むかものを食べるかですが。ラインハルトくん、何か口にできそうですか」

「できる。休んでいる場合でもないしな」

「それは結構。では、バウアーくん頼みましたよ」


ブルーノも去っていく。残ったのはギデオンとユディアだった。


「博士、何かわかった?」

「……私も、古代魔術には多少覚えがありまして。宮廷魔術は一部そういったものが残っておりますからな」


ギデオンは顎髭を撫でる。あまり気は乗らなかったが、宮廷魔術師として最低限古典的な魔術の訓練を受けた時期がある。魔方陣を描き、長ったらしい詠唱を集団で行うやり方だ。ギデオンならばもっと短い行程でできるものを三日もかけてやっていたので気に入らなかった。


「古代文字は魔方陣にも用いられたもの。私もよく目にしました。……特に、「神」という文字を」

「……神」

「ええ。先ほどのラインハルトくんの展開したものの中にもありました。……あの剣、いよいよただ事では済まないもののようです」

「でも、「神をも堕とす」んでしょ、博士」

「ははは! これは一本取られましたな。……ええ、何も恐れることはない。今や魔術は神の手を離れ人間のものであると証明してみせませんとな」


ユディアはギデオンの腕を掴む。不安が強い時の彼女の癖だった。幼い頃からそうだ。ギデオンはユディアの小さな頭を撫でてやった。

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