2-22:ザイフリート、剣を持ち出す
ザカライアにはすぐ追いついた。人気のないところで壁にもたれているのを見つけたのだ。そろそろ体力的に限界が近いのだろう。ラインハルトの存在を感じ取って嫌な顔をして見せた。
「何か用か」
「……あそこに俺は必要ないだろう」
「まあ、そうだな」
身を起こして歩き始めたザカライアの半歩後ろをついて歩く。万が一倒れてもすぐに支えてやれるようなところだ。ザカライアは一瞬顔を歪めたが、それだけだった。無駄に体力を使いたくないのだろう。
「お前、僕の家までついてくる気か」
「他に行くあてがない」
「…………」
わざわざ敵地に乗り込む神経の太さ、否、ラインハルトの場合は無神経さだろうか。神経質なたちのザカライアには真似もできない。
ふらふらと馬に乗ってヴェルゲニア中央の屋敷へ向かう。主人の不調を感じているのか馬が不安げだ。ラインハルトが先に立って先導を始めたので手綱を握らなくてよくなった。賢い馬なので勝手について行ってくれるだろう。
「――ブルーノは」
少し道を行ったほどでまたラインハルトが口を開いた。ザカライアは話すのも辛い状況になってきたので、そのまま黙っていた。今口を開けば喘鳴しか出ないはずだ。
「俺の肩を持ったが。……俺は正しいことをしたのはお前だと思っている」
「……っ」
ザカライアは噛みつきかけてやめた。咳が込み上げてきている。強いて大きく息を吐いて呼吸を整えた。ラインハルトは続ける。
「確かに英雄と呼ばれるのは俺だろうな。客観的に見てそうだ。強大な敵に臆せず挑む……しかし、思い返せばただの蛮勇だ。あそこで正しく指揮を執り多くを救おうとしたお前こそが英雄と呼ばれるべきなんだろう」
ラインハルトは無知だ。しかし彼のそれはまさしくものを知らないだけのことだ。ラインハルトには真実を見抜く目がある。短い時で物事の本質を的確に捉えるのが彼だった。これで知識を蓄えれば優れた学者にもなっていたかもしれない。だが。
(お前にだけは。お前にだけはそれを言われたくなかった)
咳が喉につかえたザカライアは言葉を吐き出さずに呑んだ。肺に澱が溜まり込んでいっているような気さえした。
ラインハルトはザカライアの望む英雄の姿を望まずして持っている。強い力、優れた武術。なによりも、人の願いに自然に応えそしてそれを重荷とさえ感じない在り方。
(お前が憎い)
己がどれだけ手を伸ばしても、指先すら触れられないものを最初から持っているラインハルトが憎い。ザカライアが望む英雄の姿からもっとも遠い感情が渦巻く。口を開ける状況でなくてよかった。こんな感情を抱く己が一番憎らしい。
残りの行程は静かだった。ラインハルトも元々は口の重いほうだ。今日はよく喋った方だった。
「……ここも久々だな」
ラインハルトはザカライアの生家を見上げてそう呟く。前に来た時はほんの子供だった。
馬を降りてさっさと歩いて行くザカライアの後ろついて行く。中央の雰囲気は常より張り詰めていた。兵の半分が出て行ったからだろう。一般の市民も異変を感じ取っているのだ。
ザカライアは父親の居室へ向かった。気に入らない相手だがこれでも当代のザイフリートの当主だ。家督の証として剣を持っているならばこの男しかありえない。
「父上、失礼いたします」
「ザカライアか。入れ」
ザカライアは低声で訪いを入れた。なんとか声を絞り出したのだろう。ラインハルトもザカライアに続いて部屋へ入った。一瞬顔をしかめられたが気にしない。執務机についていた男も驚いた顔をしていた。
「バルタザールの……! 貴様なぜ!」
「父上。今はヴェルゲニア国の有事です。一先ず我がザイフリートの決闘は忘れてください。今日はお願いがあって参りました」
「ザカライアお前、先祖の流してきた血を軽視するのか!」
ザカライアの形良い眉が寄せられる。この決闘に一番拘っているのがザカライアだ。ザイフリートの先行きを占う決闘の場で、腐り切った生家を永遠に終わらせるために殺されようというのが彼の願いだ。積み上げられた先祖の屍を誰よりも重く感じて、背負いこんでいた。
「僕がザイフリートを軽視などするものか。……父上。現在北東で我がヴェルゲニア軍が迎撃しているのは竜です。わかりますか。ザイフリートがザイフリートとして歴史に名を残したのが竜殺し。今ここで我らが立たずして何がザイフリートか」
静かな声だった。しかし何よりも力があった。長く続く同族殺しの上に成り立つ一族の誇り。ザカライアはそこから目を逸らしたことは一度もない。
「剣を。家督の証である剣をお引き渡し願いたい。あれが邪竜を打ち倒すのに最も可能性のあるものです」
ザカライアの父親は黙り込んだままでいた。だが、やがて彼は執務机の上に古びた鍵を置いて、それで意向を示して見せた。
鍵は物置にそれなりに守られた状態で置かれていた箱のものだったらしい。竜をも斬った剣を過度に煌びやかな箱に閉じ込めておくなど如何にも「ヒルデベルトらしい」やり方だ。ザカライアはふっと笑った。
鍵には魔術が施してあった。対になった鍵と錠前でしか開けられない施錠の魔術だ。かなり前に掛けられたもののように見える。つまり、ザカライアの父親はこれを受け継いで以来一度も顧みなかったということなのだろう。
「開けるぞ」
「ああ」
ラインハルトが後ろで見守っている。ザカライアは錠前を解錠し、ゆっくりと箱の蓋を開けた。
「……錆びているな」
ラインハルトが呟く。剣はザカライアの記憶通り、錆びついていた。
幅広で、かなり大振りの両手剣だった。装飾の類はほとんどなく、無骨に斬ることだけを想定された造りに見える。
これくらいの大きさや重量がなければ竜を斬ることなど不可能だろうのはわかった。しかし、これを片手に、反対には盾を持って戦ったと言うのならば初代ザイフリートは凄まじい膂力の持ち主だったのだろう。
(重い……!)
ザカライアは両手で剣を握って、辛うじて持ち上げた。元々兵士にしても力がない方で、武器も軽いのを選んで使っていた。腕に魔力を通せば多少は持ちこたえられるだろうが今の体力ではそう長くも保たない。
「俺が持って行こう」
横からラインハルトの手が伸びてくる。彼にもやや堪える重さのようだったが、結局は背中に担げてしまった。
「お前は体力を温存していろ。……まだ先は長いはずだ」
「……そうさせてもらおう」
ラインハルトが踵を返す。ザカライアは大人しくそれに続いた。自身への落胆はまたあったが、感情と理性を切り分ける訓練は積んでいる。どちらにせよ、そろそろ立っているのも限界が近かった。
(――我が祖、ヒルデベルトは、)
帰りの馬に揺られながら、ザカライアは一人胸の内で呟く。いよいよ体力も尽きかけて意識が飛びそうなのを繋ぎ止めるためだった。
(兄であるバルタザールを簡単に殺した。共に育った兄弟への情も、誇りもなく。名誉に目が眩んだ。残っている文献じゃほとんど騙し討ちに近かったという話。……剣の方も、僕には使われたくないだろうな)
ヒルデベルトは汚れた血だ。一番はじめに同族を殺したのはこちらの方だった。その呪いのようなものが脈々と受け継がれ、今こうしてザカライアを苦しめているのだろう。当然と言えば当然だ。
(滅ぶ家に名誉は要らない)
身の内で己のものではない力が胎動しているのを感じた。死に向かうからだを神の祝福が止めようとしているのだ。もう慣れた感覚だった。死にかける度にこうして無理やり留められようとする。
(早く終わらせてくれ)
ラインハルトは素知らぬ顔で馬を繰っていた。側から見れば泰然としているように見えるのだが、半ばは人生を共にしてきただけにザカライアにはその横顔が何も考えていない時の彼の表情だというのがわかる。
あれもあれで「英雄らしい」と言えるだろうか。巷ではラインハルトは初代ザイフリートに最も近い男ではないかとすら囁かれている。
(逆だったら、何か違っていただろうか)
詮無きこととはわかっている。しかし考えずにはいられない。
堂々巡りにも嫌気がさした。
「……ご紹介しましょう。魔道具の可能性が高いということで、私の知り合いの専門家をお呼びいたしました。エリザベスくんです。城下町で道具屋を営んでいて、呪術などにも知識の深い女性です。エリザベスくん、彼らはザイフリート家の次期当主候補の方々です」
剣を携えて戻ると、女が一人増えていた。美しい妙齢の女性だが妙に目が暗い。人に裏切られ続けた目だ。ラインハルトはそう直感した。
「ま、待って。ザイフリートって?」
「おや。如何しましたかな、エリザベスくん」
ザイフリートの二人を見るなりエリザベスはさっと表情を凍りつかせた。 例の挨拶をしかけていたザカライアはそれを見て口を閉ざしている。
「アタシ、顔のいい男はダメ。ちょっと色々思い出すから。あと名家の男もイヤ。アーもうやだ反射的に蕁麻疹出そう」
「……調子が悪いのか?」
ラインハルトがエリザベスへ一歩踏み出す。彼なりの親切心のつもりだったのだ。肺が悪くて常に具合が悪そうな親戚が近くに居るのでつい気になってしまう。
「ち、近寄るなァ! あと一歩近寄ったら呪うわよ! 禿げる呪いとか鎧のベルトが千切れまくる呪い掛けるわよ!」
「……?」
ラインハルトはすっかり固まってしまっている。エリザベスは鬼気迫る勢いでこちらを威嚇している。彼女は一般人のはずだが、歴戦の兵士を圧倒する気迫だった。
「あー、えーっと。……エリスさん、ちょっと顔が良かったりお金持ってる男によくない思い出があってですね」
何とか場をとりなしたのはアーサーだった。エリザベスの数少ない許容範囲内の男性代表を体現したアーサーは最近では彼女とよく連絡を取り合って仲良くやっている。
「アーサー! なんとかしなさいよ!」
「いや僕一般人! お二人超すごい軍人さんですから! やめて押さないで!」
混沌となりかけた場はギデオンがそれとなく納めた。ザイフリートの二人は最後まで固まっていた。
「……では。場も落ち着いたことですし、その背中のものを見せて頂きましょうか」
ラインハルトが背中の剣を下ろす。人々の目が集まった。
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