2-15:ユーロメリカ、遠見をしてしまう
ユーロメリカは自室で本を読んでいた。部屋から一歩も出られないような退屈な毎日には本が欠かせないものだった。三年に一度しか部屋を出ることが許されなかったが、厳しいのはそれと目覆いを取れないことくらいで、あとは比較的自由な生活をさせてもらっている。ユーロメリカの楽しみは毎月に一度の新刊のリストだ。これを眺めて欲しい本を片っ端から頼んでいく。
(やっぱり素敵なご本だったわ。……私もユディアちゃんと仲良くお食事したりお出かけしたりしてみたい)
今月の本の中に姉妹の間の家族愛を描くものがあったので、それを手に取った。半分ほどを読んでしまってユーロメリカはうっとりと顔を上げる。
(ユディアちゃん、どうしてるかしら。お手紙を書いてもお返事がなかったらって思うと書けていないし。意気地なしだわ、私)
ユーロメリカはそっと目にかかる布へ触れる。これはユーロメリカの視界を縛めるものだ。勝手に取ることは許されていない。
(……少しだけ。少しでいいの、ユディアちゃんのお顔が視たい。かわいいあの子の姿を見たら、お手紙を書く勇気がきっと湧いてくるはず)
ユーロメリカは東の方へ向いて、そっと目覆いを取り外した。閉じていた瞼を開く。久々の生の光が瞳へ飛び込んできた。
「――!」
ユーロメリカは息を飲んだ。喉元を飛び出しかけた悲鳴をなんとか押し込める。冷たい汗が背中を流れた。
「オルディ、オルディを呼んで! 誰か! オルドレッドを呼んで!」
衝撃が抜けたあとは、恐怖で歯の根が合わなくなった。ユーロメリカは半狂乱で双子の片割れを呼んだ。
「ユディアはあるか」
早駆けの馬でやってきたのはオルドレッドだった。東の辺境にあるユディアの居城に約束もなく来るような人物ではない。取次ぎを頼まれたブルーノは訝しげにユディアを呼びに立った。
「リュカ、オルドレッド様だ。お前に用があるらしいぜ。……えらく焦った様子だったが、何かやらかしたか?」
「よくも悪くも何もしてないけど。……こんなところに何の用だろうね」
ユディアはブルーノを伴って応接室へ行く。そこに待たせているようだった。
「オルドレッドお兄様、こんな遠くまでようこそ」
「御託はいい、火急だ。ザイフリートの二人は居るのか」
オルドレッドは鎧を纏っていた。馬を飛ばすためか軽い鎧ではあるが、妹のところを気軽に訪れるためのものには到底見えない。
「休暇明けで勤務はしてるけど。……何ですか?」
「そうか。二人とも動けるようならばそれでいい」
オルドレッドは少し息を吐く。よほど飛ばしたようだ。ブルーノは彼の乗ってきた馬が心配になった。
「今から言うことに偽りはない。心して聞け」
「……うん」
ユディアは完全にオルドレッドに呑まれている。武人然とした男の緊迫した空気は異様なものがあった。ブルーノですら身を硬くしている。
「災厄が、来る。北東からだ。ユーリが視た」
災厄。ユディアはぽつりと口にした。実感の湧かない敵だ。オルドレッドが言うのも本当なのかわからない。
「それ、ほんと?」
「偽りはないと言ったろう。俺はともかくとして、ユーリの言葉を疑うのか。あれが嘘をつける女に見えるか?」
「うーん、確かに……」
人を騙すなど、世間知らずを地でいくユーロメリカには到底無理な話だろう。
しかし、ユーロメリカが「視た」とはどういうことだろうか。ユディアはしばし逡巡する。
「ねえ、「視た」ってどういうこと?ユーロメリカお姉様はやっぱり何か見えてるってこと?」
「……それも話さねばならんと思って今日は来た。ユディア、お前はユーリを見て何か気がつかなかったか」
「……目隠ししてるのに真っ直ぐ歩けてるとか。あと、魔力溜まりが目のところに集中してた」
ユディアはユーロメリカと過ごした僅かな時間を振り返ってみる。ユーロメリカは目を布で覆っているにも関わらずきちんと歩いたし、ユディアの顔をずっと見ていた。まるで見えている人間のようだったのだ。
「ユーリが持つのは「遠見の力」だ。生半な遠見の法よりも先を見渡せるが、どういうわけか制御ができん」
「遠見の法だったらみんなできる。……それだけじゃないんでしょ」
オルドレッドは口を閉ざす。一度ユディアが問おうとして、彼が阻んだ答えだ。
「ユーリの遠見の法で見えるのは距離だけの話ではない。……あいつは未来を視る。見えて、しまうんだ」
時の先までをも見渡す強力な遠見。それがユーロメリカの生まれ持った力だった。
時の先をも見通すその力は、国内外から危険視されている。そのため彼女は目を封印具で覆われ、魔術遮断の術のかかった部屋に軟禁されているのだ。この檻は彼女を暗殺から守る為だけではなく、外のものを見せていないというヴェルゲニアの姿勢を表すものになっている。
「ユーリの力を最も危険視しているのは西国――アルキドクセンだ。ヴェルゲニアは、父上はあそこと事を構えるのを望まない。……ユディア、未来が見えるという人物が居たらお前ならばどうする?」
「他国侵略に利用する。だって未来の相手の動きが分かるんでしょ。絶対そうする」
「その通り。他国らもそれを危惧している。だから、ユーリをあんなところへ押し込めた」
オルドレッドは手のひらを握りしめた。そこから彼の憤りが伝わってくる。ユディアには彼らに何があったのかはわからない。兄妹とは言えども、まともに顔を合わせたことがない者の方が多いのだ。
「にしても、災厄って何? 具体的にはわからないの?」
「わからない。ユーリはあくまで「視える」だけだ。音もないしにおいも手触りもわからない。しかも混乱していたから何がなんだかさっぱりだった。あいつもあれだからな、「視た」ところで正確に伝えられるわけではない」
ユーロメリカの「視た」ものは彼女から伝聞で聞かされるしかない。要領を得ないユーロメリカからの説明をなんとかオルドレッドなりに噛み砕いたのが「災厄」という言葉だった。
「……話はわかったよ。迎撃の準備もさせる。ブルーノ、お願い」
「おう。ザイフリートの二人とすぐに軍議に入る。オルドレッド様も、後ほど」
「わかった。……中央は事が起こらなければ動けない。ロディニアスはそういうやつだからな」
ブルーノは険しい顔で出て行った。ユディアはオルドレッドと二人で部屋に残される。
「ユーロメリカお姉様、なんで見ちゃったの? 遠見は禁止されてるんでしょ」
「……お前の顔を見たかったそうだ。今は錯乱して、随分参っている。後で手紙でも書いてやれ。それでだいぶ元気になるはずだ」
ユディアはぱちくりと目を瞬かせる。まさか自分のせいとは思いもしなかった。
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