2-13:ザイフリート、決闘する
「今日はザイフリートの二人は休みなのか?」
朝方ひょっこりと顔を出しに来たブルーノは早速ユディアへ向かってそう尋ねてきた。ユディアはこっくりと小さい頭を揺らして肯定する。左右に結わえた髪が白い頬へかかった。
「決闘の日なんだって。ほら、例の家督を決めるやつ」
「ええっ? お前、簡単に休暇許しちまったのかよ。お前が何考えてるんだか難しくてわからんが、今どっちにでも死なれちゃ困るんだろ?」
「大丈夫。勝負つかないだろうから」
ユディアは何でもないことのように言う。実際、ザイフリートの次期当主を決めるこの決闘にいつまでも決着がつかないから彼らはここで二人揃って勤務しているわけではある。しかしそう何度も続くわけでもないというのが引き分けだ。ブルーノが手合わせをしたラインハルトは恐ろしく強かった。ザカライアも優れた軍人ではあるが、彼はどちらかと言えば指揮官向きの人物だ。
「ブルーノも一回見とく? 神の祝福の凄さ」
「は?」
「ザカライアについてる神の加護だよ。わたしはこの目に見えるからわかるけど、ブルーノは実際に彼らの戦いっぷりを見た方がいいかも」
ユディアは立ち上がってブルーノの手を引いて部屋を出た。早く馬出して、とせがまれる。決闘の場は案外近場にあるという。
「初代のヴォータン・ザイフリートが邪竜を倒した地でやるらしいよ。死んだ方はそこに埋められて終わり。……誰か顧みた人は居たのかな」
一人で馬に上がれないユディアの脇を抱えて乗せてやる。ブルーノが後ろに居なければまともに乗っていることもできないくせに急かしてくる。もう慣れたので何も言わないが。
三十分ほど馬を走らせたところに決闘場はあった。確かに、物々しい雰囲気がある。
「正面から堂々入って決闘見せてくださいとでも言うのか?」
「まさか! 姿隠しを使うに決まってるでしょ」
「俺は魔術効かねえんだぞ? 知ってんだろうが」
「ブルーノにはとっておき掛けてあげるから待ってて」
ユディアは自分の分の姿隠しの魔術を展開する。ブルーノは目の前からユディアの姿が消えたのを眺めている。
「『マナよ、光を跳ねよ、曲げよ』」
ユディアは魔術を使ったらしい。そしてうんうん頷いている。どうやらきちんと己の姿は消えたらしい。自分からは消えたようには見えないのだが。
「ブルーノの周りに魔術を使ったんだ。周りのマナに働きかけて光をね……」
「あー、俺にはわからんからいい。そら、支度できたなら行くぞ。ここまで来たからには見逃せねえじゃねえか」
「……ふんだ」
途中で話を遮ったのでユディアが少し拗ねたが気にしない。使えないものについて考えるのはブルーノには向いていない。
決闘場は古い造形の建物だった。人が門を潜った隙を見て中へ侵入する。運動神経の悪いユディアを小脇に抱えての移動だった。
「おお、居るな」
彼らの親族と見える人間が立ち会う中、ザカライアとラインハルトが向き合っていた。鎧は軽いものを二人とも選んでいる。武器も武器掛けに並んでいた。しかし、ザカライアのものとラインハルトのものは随分質が違って見える。ザカライアの武器の方がどう見ても設計や製造の面で優っている。
「武器はそれぞれ持ち込むのか」
「そりゃ敵の用意した武器なんて使えないでしょ、わたしでもわかるよ。……まあ、そうなると資金のあるヒルデベルト家の方が有利になるね」
状況はどう見てもラインハルトが不利だろう。しかし、ブルーノは彼の強さを知っている。ラインハルトが持っているのは新兵向けの剣で、ザカライアの手にあるのは強靭そうな細身の槍だった。
「はじめ!」
ザイフリート家現当主が腕を振り下ろした。真っ先に飛び込んだのはラインハルトだ。ブルーノとの立会いで見せた彼の体捌きとはすでに違う。本気で、殺す気でザカライアに刃を向けているのだ。
「やれ! 殺せ!」
「殺せ! 殺すのよ!」
ザカライアは半歩脚を下げ、槍の穂先で剣の切っ先をいなした。膂力で劣るのをわかって受け流したのだろう。しかし、剣を流されたラインハルトは体勢を崩しもせずそのまま横薙ぎに腕を振った。尋常ではない体幹と平衡感覚のなせる技だ。ブルーノであればここで一太刀貰っている。
「何、わたしすでに何が起こってるかわからないんだけど」
「黙って見てろ。これで世紀の一戦じゃないってんなら、あいつらどれだけだって言うんだ」
ザカライアはきっちりとこの奇襲にも対応する。身を躱した後に槍の柄で剣を打って軌道を逸らした。初めからわかっていたような動きだった。おそらく、わざとラインハルトを誘ったのだろう。
「殺せ! 殺せ!」
「はやく殺して!」
異様なのは周囲の人々だ。妙な熱が入り込んでいる。いつまでも決着がつかない二人の決闘に業を煮やしているのだろう。ユディアは不愉快そうに彼らを睨め付けていた。
今度はザカライアから仕掛けた。魔弾と槍の刺突の多重攻撃だ。しっかりと逃げ道を潰すように計算されつくしている。どれもがラインハルトの急所を狙っていた。
「……っ!」
それに臆することなくラインハルトは突っ込んだ。魔力をまとわせた粗末な剣は飛来する魔弾をあっさりと切り裂く。
「げーっ、魔弾って剣で斬れるのかよ」
「魔弾の回転を見切ればできるらしいんだよね。……机上の空論って聞いたけど」
魔弾は切り飛ばし、槍は鎧に守られた腕が受け止めた。こちらにも瞬間的に魔力を通しており、飛躍的に防御を高めている。瞬時の判断を繰り返して的確に魔力を操るのは並大抵のことではない。
「何っ」
ブルーノが小さく声を上げる。懐に飛び込んだラインハルトの剣がザカライアの喉元へ伸びたからだ。しかし、彼の肌を裂く前に剣は砕けた。ザカライアは苦い顔を見せたが、そのまま空手になったラインハルトの胸元を槍の石突で突いて距離を取った。
武器を失ったラインハルトはあっさりとその残骸を捨てて新たなものを手にしている。動揺していないのを見るに、慣れたことなのだろう。
「あれこそが神の祝福。ザカライアにとっての呪い」
ユディアの目にはラインハルトの剣をへし折った神の力が見えていた。見えていないブルーノを少し羨ましく感じる。あれはあまりにおぞましい。ザカライアの命を守ろうとしているのではない。己への信仰を失わせまいとするようなものだったからだ。
ザカライアが大きく飛び退った。手に握っていたレイピアは折れている。もう武器は破壊され尽くしてほとんど残っていない。刺し違えるようにラインハルトの武器も折れた。
ラインハルトが次に手に取ったのは真ん中から折れた槍だ。ザカライアに徒手空拳で挑みかかるのは危険だ。細身ではあるが彼は力の使い方がうまい。それに魔術を絡めてくるので厄介だ。
「ぐ、ごほッ」
ザカライアが妙な咳をした。そろそろ彼のからだは限界だろう。剣先が掠って破れた服の下では「印」がのたうっている。ラインハルトは眉を寄せた。
(ここから攻められない。……俺ももう限界だ)
立ってこそいるが、ラインハルトもかなり疲弊していた。毎度そうなのだ。ザカライアと戦うと変にからだが重くなる。折れて軽くなった槍ですら持ち上げていられない。
ガヤガヤと騒いでいる周りの声がようやくラインハルトの耳に届いてきた。過度の疲弊で集中が切れてきた。殺せ、殺せと煩い。
「っ!」
騒がしい外野の声を切り裂くようにザカライアの魔弾が飛んでくる。ラインハルトは槍の穂先に魔力を纏わせてそれにぶつけた。飛び散った魔弾の破片が頬を焼く。その鋭い痛みで少しは頭が冴えてきた。
砂袋のような両脚を叱咤してラインハルトはザカライアの懐へ走り込む。体内の魔力はもう殆ど尽きかけていた。
「は、はぁッ、くそッ」
ザカライアの喘鳴が聞こえる程に近い。彼は無傷だった。しかし肺の方はもう駄目だ。ザカライアもまた全体に動きが鈍っている。ラインハルトの繰り出す遅い一撃を受け流すので精一杯だ。
「殺せ、ザカライア! 一体何をしている! 神は我々ヒルデベルトの側についているのだぞ!」
(――煩い!)
父親の声に、ザカライアは内心で悪態をついた。神はこんなちっぽけな人間の命なぞどうだっていいのだ。加護を寄越したというのなら、こんな風に長く苦悶の中に居ることもなかったはずだ。
(僕を殺せラインハルト! 殺せ、殺せ! その槍でこの忌々しい肺を貫け! ザイフリートの誇りをこれ以上穢したくない!)
ひゅうひゅう鳴るばかりのザカライアの喉からは何の声も出ない。
辛うじて受けたラインハルトの槍は軽かった。彼の目は疲労でどろりと濁っている。これくらいの立会いで憔悴するような男ではない。――神の力のせいだ。ザカライアの独力ではラインハルトに傷一つ付けられずに殺されているはずだった。
「ふ、ッ」
折れた槍がザカライアの目の前を通り抜けていく。前髪が散った。ラインハルトが壊れた武器なんぞを使ってまでも彼と己との力の差は埋まらない。今はこの偽物の力に支えられてなんとか殺されずにいるだけだ。ぶつけられる殺意に濁りはない。己等は間違いなく、殺し合いをしている。
「――くそ、」
長い立会いの果てに先に膝をついたのはラインハルトだった。しかしその時にはもうザカライアも一歩も動けなかった。
(早く僕を殺してくれ)
落ちていく彼のからだを見ながらザカライアはまた己を恨んだ。器官の奥から生臭いものが込み上げてくるのがわかる。
ザカライアが反射的に咳き込むと、床が血に染まった。ぐらりと視界が揺れる。
次は目が覚めなければいいと思った。
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