2-9:ラインハルト、竦む
「将軍や大臣の名前は僕が教えるから一度で覚えろ、そして忘れるな。女性のエスコートはわかるな? ……まあ、よほど失礼がなければ大丈夫だろう。妙な世辞は言うなよ、あとが面倒だ」
ラインハルトは世辞を言えるほど気のきいた人間ではないが、ザカライアは一応釘を刺しておいた。基本的に他人を粗雑に扱うような男ではないので、あえてその辺りは教えていない。必要ならば周りを見て勝手に判断するだろう。基礎を知らないくせに応用は出来てしまう腹立たしい男だ。女性らも世辞を言わない者を珍しがるはずだ。
「……ザカライア、お前は?」
「基本的にはお前のフォローをする。父の関係で外すこともあるだろうが、その間はうまくやってくれ」
父親が擦り寄りをしているいくつかの貴族がパーティに呼ばれている。あまり相手にされていないらしいが、何か話を通しておいて欲しいと頼まれているのだ。
「そうだ。ユディア王女の元に転属した旨のことだが、東の国のことで義憤にかられたとでも言っておいてくれ」
「わかった」
「ユディア様は貴族の後ろ盾がない。色々つつかれるだろうが誤魔化しておけ」
ラインハルトがザカライアと同じ場所に転属したいと希望を出し、その辞令が降りるまでにあちこちで火消しや暗躍をやったのだ。彼を欲しがる戦場は山ほどある。ザイフリートの次期当主候補二人揃っての異動になにか陰謀を感じたものもいるようで、ラインハルト相手にこの話題が出ることも十分に考えられる。痛くもない腹を探られたくはないのだ。
「お前、いつもそうなのか」
「否定はしない。政治に腹の探り合いは付き物だ。想定できることは全て準備しておくに限る」
武器を持った立合いならば瞬時に反応して攻撃に転ずることができる男なのだ、腹の探り合いができないはずがない。 剣を交えている時はラインハルトに全てを見透かされているような感覚を覚えることすらある。
「お前が勝った後は一切がバルタザールに移る。僕が今やっていることはいずれお前がやらなければならないことだ」
「決闘の後に想定できることの一つでしかないわけか」
わかっているじゃないか、と返すザカライアの顔に表情はない。淡々と話す端整な顔に言い知れぬ恐怖を感じることは何も初めてではない。ラインハルトはそれ以上口を聞かなかった。
(息苦しいな)
実のところ、ラインハルトはきっちりと襟の閉じた服装は得意ではない。我慢できないというほどではないが、とにかく着慣れないの一言に尽きる。気になって首元を弄り回していると、ザカライアの手が伸びてきてタイの結び方を変えられた。舌打ち一つで済めば安いものだ。対象的にザカライアはぴったりと首を覆う布地にさらに手袋までつけており露出がほとんどない。どことなく異国の顔立ちの混ざる彼にはよく似合っているが、息苦しくはないのだろうか。
「お前は平気なのか」
首元を指差して尋ねると、思い切り呆れた顔をされる。
「僕は平服もこれだ。あれを見られるのが嫌なんだ。お前、知ってるだろう」
ザカライアの胸には神の祝福の印がある。魔力の集中に合わせて肌の上をうごめくあの赤い模様が彼は特に気に入らないらしい。ラインハルトにとっては立合いの中で何度も目にした光景であり、ザカライアにとっては目に見える呪いの証でしかない。
「……そうか」
ラインハルトは彼の肌を這い回る赤い線を密かに美しいと思っているのだが、この様子では言わないほうがいいだろうと口を閉ざしておいた。この世の全てを創りたもうた神のもたらしたものだからだろうか。あれが視界に入ると目を逸らすのが難しい。
招待状を持って会場へと向かった。恭しく案内されるのには今ひとつ慣れていない。隣のザカライアは素知らぬ風に常の通りだ。
「う」
ラインハルトは小さく呻いた。煌びやかな空間にこれまでまるで縁がなかったことを最初の一歩で思い知らされたようなものだ。食器や貴婦人たちの装飾品のぎらぎらした照り返しはラインハルトの良すぎる目には少々毒で、香水か何かの匂いが混じって鼻につく。見覚えのない品々に自然と体が強張る感じまでもする。動揺のあまり、ラインハルトはちょっとした臨戦態勢にあった。
「背筋を伸ばせ、堂々としていろ。それだけでそれなりには見える」
ラインハルトの尻込みを笑う事なくザカライアが言う。ほんの短い時間目を閉じて、集中状態を作る。これで多少は緊張が緩和された。
「ユーノ将軍とその奥様だ。前の任地での僕の上司だ」
こちらに気がついた客人と次々に挨拶を交わし、その度にザイフリートお決まりの口上を飽きる事なく繰り返す。ヒルデベルトの家系、バルタザールの家系。現在の家督。竜殺しの英雄の子孫。
人が切れる合間に先ほど目の前にいた人間の肩書きと名前が告げられる。ザカライアに時折話を振られるままにラインハルトは短く言葉を口にした。よくわからないが、相手の不興を買うようなことはなかったはずだ。
「アルトラム将軍の奥方は平民だから、彼の感覚は階級の高さからすると庶民寄りだ、比較的話がわかる。……お前の事を気に入ったみたいだ。今後の足がかりにでもするといい。さっきのトリス将軍はザイフリート嫌いで有名だ。あまり関わるなよ」
するすると吐き出される情報をいちいち頭に叩き込む。情報の多さもそうだが、ザカライアの人当たりの良さにラインハルトは感心していた。ラインハルトから見るとどう考えても作り笑顔そのものではあるが、他人の要求している表情をザカライアはうまく作って見せていた。豊富な話題と飽きさせない話術はどちらもラインハルトにはないものだ。
「さて、大臣にご挨拶に行くぞ」
ある程度挨拶回りは済んだらしい。今回のパーティの開催者の元へようやく向かう事になった。見るからに位の高い人間の集団に脚を向ける。
「誕生日おめでとうございます。この度はザイフリートを揃ってお呼びになっていただき……」
口上はザカライアに任せてラインハルトは少し意識を飛ばしておく。長く集中状態にあると頭に負担が大きいのだ。傍目には普段と変わらないが、慣れた人間にはぼんやりしているのがわかるらしい。軽く脚をつねられた。
「ところで君たちはどうして、えーっと……末の姫君のところに? 東国に近いところだっただろう、任地は」
ザカライアが言っていたような話題が飛んできた。彼の予想はよく当たるようだ。
どうやらユディアは名前すら覚えられていないようだ。若干不憫な気持ちになる。彼女が居れば可愛らしい顔を盛大に歪めていたことだろう。
「……義憤にかられたとでも言いましょうか。俺はクロ・ラフィルの戦場を経験していませんが、酷いものだと聞いた。俺が行って、人が死ぬのが減らせればいいと思っただけです。この国を守った竜殺しの子孫の力を正しくふるいたい」
ラインハルトはあらかじめ用意しておいた言葉を述べた。本当はなぜザカライアについていったのかまだわからない以上、これは空虚な言葉にすぎない。
「ふむ、そうかそうか。確かに君なら戦果を残せそうだ。君はあのザイフリートなのだからな」
とはいえ、相手を誤魔化すには十分に足るものだったらしい。満足そうに頷く大臣に別れを告げてその場を去る。
「――お前の言葉は真摯に響くみたいだな」
羨ましいよ、とザカライアが力なく呟いた。
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