2-6:ユディア、兄姉と会う

 ヴェルゲニア王国建国記念日のユディアは基本的に暇を持て余している。公務がないのだ。それと、この国の建国を祝う気になれない。さらにはブルーノも側にないのでこのぽっかり空いた時間を埋めることもできなかった。魔術が効かないというブルーノの特異体質は、王族が直接顔を出す機会の多い建国記念式典にはうってつけの能力だ。


(博士たちもお祭り楽しんでるだろうし)


 いつもだったらギデオンやアーサーが相手をしてくれるが、彼らは何だかんだ言って感覚は一般市民寄りだ。祭りがあれば色々放り出して楽しむ。ユディアのようにこの国に対して複雑な感情を抱いているわけではないのだ。

 ぼんやり眺めていた「遠見の箱」の中では長兄が挨拶をしている。第一王子ロディニアス。現ヴェルゲニア国王――己らの父だ――にも数々の進言を行い、この国を豊かにしてきた見事な実績がある。にこやかに演説をするロディニアスの姿にはヴェルゲニア国の確かな未来が見えた。


(そういえば、ここどこだろう)


 毎年この時期は当て所なく彷徨って人気のないところへ行きついている。今年は王宮内の警備が手薄なのを逆手にとって彼らへの意趣返しに立ち入り禁止となっている区域へ足を踏み入れていた。普段はどこか監獄を思わせるような厳重さで警備が敷かれているところだ。今日は王族が全員出払っているので人が少ない。念のためと姿隠しの魔術も使ってぶらついている。


(あ、人の声)


 向こうから人の声がしてきた。男の低い声が二つと、女の優しげな声。よくよく耳をそばだてると、男の内の一人はブルーノのようだった。


「王女様、足元気をつけてくださいよ」

「ありがとう、兵士さま。オルディったらあんまり心配してくれないの」

「お前の心配をしたところで何の問題もないだろうが。……歩くのは下手だな」

「まあ! 言わせておけば生意気なんだから」


 向こうからブルーノを伴ってやってきたのはオルドレッドとユーロメリカだ。ユーロメリカは変わらず目隠しをして、オルドレッドに頼って歩いているようだった。

 易占の結果を伝える大仕事を終えて戻ってきたところだろうか。ユディアはふんと鼻を鳴らしてそちらを睨んだ。


(ブルーノのバカ。わたしの家臣のくせに)


 自分の他に傅くブルーノを眺めていると腹の底が落ち着かなくなる。姿隠しで誰も見えていないのをいいことにそちらへ思い切り舌を出しておいた。


「……待って」


 ユーロメリカが声を上げた。彼女の顔は真っ直ぐにユディアを向いている。布越しに視線を感じだ。


「兵士さま、あそこを見てきてくださらない? 誰か、居るの。女の子かしら」

「ええ?」


 のっそりとブルーノがユーロメリカの指す方を見る。ブルーノの目は騙せているらしい。そもそもユディアの姿隠しを見破れる者はギデオンの他にはないのだ。それをぴたりと言い当てるとは何者なのだろうか。

 ブルーノが剣に手をかけてこちらへやってくる。うっかり斬られては堪らない。ユディアの身体能力ではとてもブルーノの攻撃をかわすことはできないのだ。


「……わたし」

「ああ? リュカじゃねえか。こんなところで何してんだよ」


 ユディアは観念して姿隠しの魔術を解いてブルーノの前に姿を現した。彼はきょとんと目を丸くしている。その肩の向こう側ではオルドレッドが長刀の柄に手を掛けていた。


「貴様、何奴!」


 オルドレッドがユーロメリカを背中に庇って吼える。これを聞いて、ブルーノはまたぽかんと口を開いた。


「何言ってられるんです、あんたがたの妹でしょうが」

「……妹? 俺の下にはユーロメリカ、シュヴェリオとロザールしかおらんはずだが」


 ピリッとしたものが両者の間に流れる。ブルーノの怒りの矛先は怖じることなくオルドレッドへ向けられていた。


「もう、二人ともやめなさい。……リュカちゃんと言ったかしら。お名前、きちんときかせてくれる?」


 ユーロメリカが男二人の間に割って入る。ふらつきもせず、毅然とした足取りだった。


「リュカって呼ばないで。それはブルーノにしか許してない。……わたしはユディア。ユディア・ヴェルゲニア。この国の第二王女。正真正銘、あなたたちの妹」


 オルドレッドが息を呑む。反対に、ユーロメリカは何やら納得した様子だった。


「……ああ、貴女だったの。かわいい子。そう、私の妹だったのね」


 女の、ユーロメリカの細い腕が伸びてくる。するりとブルーノの脇をすり抜け、少し乱れたユディアの髪へ触れた。


「お父様にはあまり似ていないのね。お母様に似てるのかしら。……でも、私たちのお母様はロザールくんをお産みになって亡くなったはず」

「……わたしとあなたたちは母親が違う」

「そう。……そうなのね」


 ユーロメリカはそっと笑った。彼女の中で何か腑に落ちた様子だった。


「ブルーノ、もういいよ。……この人たちは本当にわたしのことなんて知らないの。わたしがヴェルゲニア王国にとってどうでもいいやつだなんて知ってるでしょ」

「でもよ」

「いいの。第六子なんて何の代用にもなりはしないんだから」


 ユディアは投げやりにブルーノに刃を収めさせた。敵意はあるが害意がないのを悟ったらしいオルドレッドも刀を収める。しかし、投げやりな態度を見たユーロメリカはむすりと形のいい唇を歪めていた。


「ユディアちゃん、そんな言い方はだめよ。あなたは今日から私の大事な妹。いいわね?」

「何を」

「私、妹が居たらどんなにか楽しいかしらと思っていたのよ? てっきり兄妹みんな男の子ばっかりと思っていたから。……あなたのことを知らなかったのに悪気はないの。本当に、知らなかった。ごめんなさい、心の底から謝らせて」


 武器も持ったことがないような華奢な白い手がユディアの手を握る。布の下に隠されているはずの瞳が真っ直ぐにユディアを捉えているのがわかった。何故だろう。ユーロメリカの目は塞がれているはずだ。それなのに、見られている感覚が抜けない。


「ユーリ、そこまでにしろ。早く部屋に戻れ」

「オルディ。わかってるけど、お願い」

「……仕方あるまい。ユディアと言ったか。連れて行け。ただし、俺もお前の側に居るからな」


 ユーロメリカはしっかりとユディアの手を握りしめている。絶対に彼女の部屋へと連れて行く気でいるらしい。流石にユディアも観念してついて行くことにした。

 オルドレッドの手も借りずにユーロメリカは自室への道を歩いた。途中に階段も曲がり角もあった。しかし、彼女の足は惑いもせずに進んでいく。


「私のお部屋、少し変わっているのだけど。気にしないでちょうだいね?」

「……わかった」


 ユーロメリカの部屋の扉は妙な感じがした。ユディアは中の様子を探ろうとスキャンをかけたが、何も見えてこない。これは前にエリザベスがやったような魔力遮断の結界に似ている。否、そのものだ。熟練の魔術師が練りに練った魔術が施してあり、さらに魔力遮断の縄で封印までしてある。尋常な様子ではない。


「さ、お入りになって。寛いでいる間にお茶を淹れてもらうから」


 ユーロメリカは嬉しそうに扉を開け、ユディアとその他一行を迎え入れた。目に見える部屋は普通の(それでも王族らしい豪奢な内装ではある)ものだ。しかし、他より魔力やマナへの感受性の高いユディアはすぐに気がついた。


(この部屋、魔力もマナも何もない)


 この「空っぽ」の部屋では魔術など行使できない。ヴェルゲニア式の魔術系統ではない魔術も使いこなすユディアでさえ手も足も出ないほどに「空っぽ」の部屋が出来上がっていた。


「オルディ、お茶を淹れて。かわいい妹に無礼を働いたお詫びをするの」

「……しょうがない」


 扉を閉めきってしまうと本当に遮断された空間が出来上がる。室内には窓すらなかった。正真正銘、出入りが叶うのはこの扉だけだ。全ての注意を払ってこの部屋に出入りするものを徹底的に遮断している。


「さあ、ソファで楽にしていて。オルディがお茶を淹れてくれるわ。大丈夫、変なことをしようとしたら私がすぐに怒るから」


 ユーロメリカは邪気のかけらもない純粋な好意をユディアへ向けてきている。ユディアもだんだん気を張っているのが馬鹿らしくなってきていた。


「私、このお部屋から出てはいけないの。許されるのは三年に一度の建国祭の易占の時だけ。ああ、それが。久々のお出かけで妹に会えるだなんて! 女の子のきょうだいってきっと特別よね」


 ユディアはまじまじと前に座るユーロメリカを眺めた。見た目も魔力系統も普通のヴェルゲニア人と変わりはないように見える。しかし、魔力溜まりの場所が妙だ。顔――特に目の位置に集中している。ユーロメリカが目に掛けているのは魔力封じの道具だ。よく魔力を遮断すると言われる魔羊の毛皮で作ったものだろう。それを複雑に撚り合わせて遮断力を増している。それなのに、ユディアの目にはユーロメリカの魔力溜まりの場所がはっきりと見て取れる。


(封印具でも塞いでおけないほどの魔力が溜まってるんだ)


 むすりと黙り込んだままのユディアに向かって、ユーロメリカはにこにこ笑いかけ続けている。本気で来客を喜んでいる様子だ。


「あ、ユディアちゃんは私のこの封印具が気になるのね? そうよね?」

「まあ、そうだけど。それ、視界も魔力も遮断しちゃうやつでしょ。あなた今何も見えていないんじゃないの」

「そう、そうね。……そうなるはずなんだけど」


 ユーロメリカは歯切れ悪く応える。


「視えているのよね。普通は目の前を覆うと暗闇になるのだと聞いたことはあるの」


 ユーロメリカはテーブルの上の繊細な作りの菓子を指先で摘んだ。美味しいのよ、とそれを過たずにユディアの口元へと運んだ。

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