2-5:アーサー、エイベルとヴェルゲニア国建国記念祭を満喫する
部屋を出るのは三年ぶりだった。この日のために用意していた外履きの靴を履くのが楽しみだった。踵が細くて高い流行りの靴を作ってもらった。広いところを歩き慣れてはいないが、傍の己が半身がきっとうまく支えてくれるに違いない。
「時間だ、行くぞ」
「ええ」
差し出された男の肘の辺りに手を置く。高い踵の靴は初めてだったが、彼が居るならば大丈夫だ。今日は大事な王族の勤めの日。祖国ヴェルゲニアの建国の日。
――ユーリお姉様
は、と息を呑む。知らない女の子が嬉しそうにこちらを見ていた。口の形が己を呼んでいる。否、違う。また「視えて」しまっているだけだ。
(かわいい子)
ふわりと胸が暖かくなる。今日のために仕立てたドレス、今日のための素敵な靴。そして素敵な女の子の幻。
(あなたはだあれ? かわいい子)
扉が開いて暖かい風が吹き込んでくる。「花の季節」の最も好き日のことだった。
※
「……なんだ、騒がしい」
のそりと起きてきたエイベルは少し不機嫌そうだった。昨晩遅くまで本でも読んでいたのだろう。体調がいいと彼女――今日のエイベルは妙齢の女性だった――はそういう無茶をする。
「今日はヴェルゲニア建国記念日ですよ? そりゃあ、騒ぎますって」
「ああ……あったな」
アーサーが応える。やや浮かれているようにも見えた。ギデオンが構えるこの研究室は市街地から少し離れているが、賑やかさは十分に届いてくる。
ヴェルゲニア建国記念祭は毎年「花の季節」の最も好き日を選んで行われる。長い冬を耐えた後の大きな祝い事として、ヴェルゲニア王国では盛大に祭りをするのが慣習となっている。
「博士はこういうのに興味があるのか」
「そりゃエイベルさんほど世間ズレしてませんから。今朝から出かけてますよ。屋台の砂糖菓子が大好きなんです、博士」
小麦を固めて油で揚げたものにたっぷり砂糖をかける祭りの屋台菓子は甘いもの好きのギデオンには垂涎の品だ。祭り独特の雰囲気の中で食べるのもお気に入りなようで、安っぽい菓子を求めて朝から研究室を出ている。
「エイベルさんも行きます? 僕これから出るところなんです」
「そうだな。建国祭なんぞガキの頃以来だ」
痩せて青白いが、端正な姿のエイベルは隣に連れて歩くと少し心身が引き締まる感じがする。ギデオンの女性に対する紳士的なエスコートに憧れのあるアーサーからすれば今日のエイベルは良い相手だった。
慣例通りに普段よりいい服を着て研究室を出る。街にも煌びやかな服の人々が集まっているはずだ。
「お腹空いてます? 博士を探しながら何か食べましょうよ」
「卵が食いたい」
「なら『鳥の巣』の屋台行きましょう。卵を混ぜてふわっふわにしたのが食べられるんですよ! 僕は手間だから絶対やりたくないやつです」
エイベルへ腕を差し出してみると、にやりと笑われた。しかしエスコートには乗ってくれるようで、しっかり掴んでもらえた。
『鳥の巣』の屋台に辿り着くまでに牛の乳で作った飲み物を買った。酸味があって美味いのだ。これに果物のジャムを乗せるとさらにいい。食欲のないエイベルでも手が進むくらいには口あたりがいい。
「あら。仲よさそうね、呪いましょうか?」
「いや今日は祝いの日なんで大丈夫です、エリスさん」
無事に卵料理も購入し、空いていた椅子に座れたところでエリザベスと出会った。真っ黒のケープに白いブローチはいつもの通りだが、今日は華やいだ様子の服装だ。流石の彼女でもこの日は浮かれるのだろう。片手には冷やしたワインに果物や花を入れたものを持っていた。
「今年の香味ワイン飲んだ? 美味しいわよ。去年のからスパイスを変えたそうね」
「えっほんとですか。僕買ってきていいですか、盗めるものはなんでも盗まないと」
アーサーは財布を片手に立ち上がる。空いた椅子にはエリザベスが座った。
「あいつも熱心ね。料理家にでもなればよかったんじゃないの」
「……アーサーが料理にドハマりしてるのは錬金術が根にあるからだろう。側から見たら常識人だが、あいつも立派な魔術マニアだぞ」
「何それ。ちょっと引くわよ」
「おぞましい呪術を扱う女が言うな」
ギデオンの天才ぶりやエイベルの強烈さの影に隠れがちだが、アーサーの大学卒業時の成績は結構優秀だ。出力は低いが魔術の統制力はかなりのものがあり、幅広くあらゆる魔術の基礎を修めている。
「あのこれ! めちゃくちゃ美味いですねこれ! 僕ちょっと味と向き合います」
香味ワインを片手に戻ってきたアーサーは一口飲むなりそう言って黙り込んだ。目が真剣過ぎてちょっと怖い。エリザベスは彼は放っておいてエイベルを相手にすることにした。
「今年の易占ってもう出たかしら」
「もうじきじゃないのか。そうか、もう三年経っていたのか」
ヴェルゲニア建国記念祭はこの国の中でも最大の祭りだが、三年に一度さらに規模を拡大する。それが今年だ。三年ごとに国の行く末と国民の将来を占う儀式が執り行われ、それに合わせて祭りも大きくなる。
「占いとか、信じるのか」
「アタシもやりますもの。まあ、大したことは言えないんですけどね。健康に危機が迫ってるとか、ボンヤリしてるとお金を盗られるわよとか」
「博士が聞けば理論化待ったなしだろうな」
「きっとそう。……たぶん、何か仕組みがあるんでしょうね」
易占を行うのは、ヴェルゲニア王国第一王女だ。彼女はこの日のために三年間城の一室に閉じこもり続け、易占の腕を磨いているといわれている。
「天に還られた五神の加護を占うんだったか……」
「そうね。誕生月でどの神の加護を受けているか調べて、自分の神様のお告げを授かるって感じかしら。第一王女ユーロメリカ様がそれを国民に代わって執り行われてる、っていうのがこの易占ね」
エリザベスは懐から紙を貼り付けた道具を取り出す。魔力を送り込むと遠くの出来事が見られる「遠見の箱」だ。遠くを見る「遠見の法」に何かしら工夫を凝らした代物らしい。かなり高価なので道具屋くらいしか持っていない。他のところでもぞろぞろと「遠見の箱」を持った人間の近くへ人が集まりだしている。
「あ、ほら見なさいよ。ユーロメリカ様」
繊細な刺繍の施された白いドレスに身を包んだ女が壇上に現れた。男に手を引かれている。目にはこれまた美しい編模様の布が巻かれ、視界を塞いでいた。俗世を見て易占に影響が出ないようにこうしているのだと言われている。
「お隣の方は第二王子オルドレッド様よ。ユーロメリカ様の双子の兄上なのよね……野生的で素敵」
この辺りの兵士とは趣の違う長刀を腰に挿した男――オルドレッドはユーロメリカをそっと椅子へ付かせて下がった。十分に彼女を気遣う仕草をしていた。ユーロメリカは表に出ない王族だが、この二人は双子の産まれもあってとても仲がいいと言われている。
「「遠見の箱」だと音まではわからないのよねえ。易占の結果は号外待たなきゃ。オルドレッド様を目に焼き付けないと」
「さてはそちらが目当てだな?」
「絶対に手に触れられない顔のいい男は貴重なのよ」
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