1-16:理論魔術入門編、修了
己に脅威はないと判断してギデオンに向かっていった兵士を尻目に、エイベルは結界から這い出た。大気にマナがないせいで随分調子がいい。しかし、ギデオンやアーサーにとっては魔術が使えない深刻な状況だ。これを打開しなくてはならない。
(この魔力結晶なら……)
『体内の魔力がゼロの人間は存在せず、それがあまりに小さいため理を動かすことができないだけである』。体内魔力が足りない。これがエイベルが魔術を扱えない原因なのならば、外部から魔力を供給することで解決ができるはずだ。
(問題は魔術の使い方がわからない点だが、理論魔術であればこの課題は解決できるはずだ。やり方を知っていながら行使できないのが俺なはずだ。できる、やれるぞエイベル・ローレンソン!)
ギデオンとアーサーは魔力で強化した家財道具でなんとか凌いでいる。しかし戦闘のプロ相手にいつまでも保つわけがない。エイベルは魔力結晶を握りしめて立ち上がった。今日の姿が少女であるのも助かった。からだが小さいので目立たずに移動ができた。
(結界士は二人……。この形状のものは維持に最低二人必要なやつか)
なんとか外へまろび出たエイベルは物陰へ身を潜め、状況を伺う。結界で研究所全体を囲い、マナの出入りを遮断した上でマナ除去装置を用いて戸内のマナを吸い出していたようだ。
(……結界士を一人やろう。少しでも風穴が空けば、あとは博士がなんとかしてくれるはずだ)
エイベルはじりじりと結界士との距離を詰める。使う魔術は魔弾発射に決めた。これが一番単純で強力なものだからだ。これに回転を加えれば単純な結界を食い破ることができるのも知っている。流石に結界士たちも無防備な状態ではいないはずだ。
(溜まりからの導線をイメージし、指先や額から放出して万象に訴えかけるよう念じる……)
左手に魔力結晶を握り、右手を結界士へ掲げる。左手の魔力の塊をからだへ取り入れ、経路を通じて右手から魔術として出力する。イメージは完璧だ。自分のからだへ書き込んだ増幅式を通さなくて済むので、おそらく素早い魔術展開も叶うはずだ。
「マナよ――、痛ッ!」
左手から魔力を吸収した途端、エイベルの全身に激痛が走った。すんでのところで口を塞いだので悲鳴はなんとか飲み込んだ。
(痛い、ッ、この、畜生め!)
めちゃくちゃになった魔力経路はこんな時にでも足を引っ張る。エイベルは唇をきつく噛んだ。呼吸が浅い。ほんの少し魔力を通しただけでも、傷みきった経路は激痛を引き起こした。
(くそっ、くそ! 何のために博士たちが俺をここへ置いてくれていると思っているんだ! この役立たずめ! 穀潰しが! 今ここで理論魔術の有用性を示さずして理論魔術研究者が名乗れるか!)
震える腕を叱咤して、エイベルは再び右手を構える。左手の魔力の塊をからだへ取り入れ、経路を通じて右手から魔術として出力する。口の中で三回唱えた。さっきの傷みを思い出してじわりと目尻に涙が浮いた。
「ひ、ッ――ッあ!」
意を決して魔力をからだへ取り入れる。魔力経路の、神経の、肉体の全てがこれを拒絶している。
(耐えろ耐えろ耐えろ! 痛いだけじゃないかこれくらい!)
噛み締めた唇が破れて血の味がした。頰を伝う生温い液体が煩わしくて敵わない。しかし視線は落とさない。狙うは結界士の頭。
魔力が右手に伝わってきている。痛みが移動するのでわかった。肘を通り、前腕を行き、手のひら、そして指先。繰り出すは魔弾。マナを集めて、それを撃ち出す。
「――『マナよ、集いて敵を貫け』ぇッ!」
エイベルは叫んだ。痛みもある。緊張もある。魔術はほんの少ししか使えなかった。しかしこれを超越するのが理論魔術。その証明の、第一矢。
「ははっ……」
ぼやけたエイベルの視界に、ゆっくりと倒れていく人間の背中が見えた。結界が消えていく。
「ははははは! やっぱりそうだ! 理論魔術は間違ってなんかいない!」
エイベルは仰向けに倒れた。全身を激痛に苛まれてもう指先一つも動かしたくない。しかし、腹の底からこみ上げる笑いが引かなかった。
「――!」
ギデオンは目を見開いた。マナがある。遮断されていたはずの空間が開いたのだ。なんらかの理由で結界が解けたのだろう。
(もしや)
アーサーはずっとギデオンの視界の中に居た。ならば。
(……ローレンソンくん!)
エイベルがこの状況を打開したのだ。素早く辺りを見回してみるが、彼女の姿はない。きっと決死の行動だったはずだ。ならば、それに応えなくてはならない。
「『マナよ、収束せよ』!」
じわじわとマナが戻っては来ているが、まだ少ない。何かしら魔術を行使するには集めるしかない。ギデオンは右手へ意識的にマナを集めた。
「何、マナだと!」
兵士もマナが大気へ戻ってきたのに気がついたようだ。早く事を済ませようと剣を振りかぶる。若いアーサーならともかくギデオンにこれを避けるのは難しい。
「『マナよ、連なれ! 連なりて防壁たれ』!」
伸び縮みする新型の結界を右腕に纏わせ、ギデオンはそれで剣撃を防いだ。お気に入りのジャケットの袖に少しばかり剣が触れた。
「『マナよ、集いて敵を貫け」』
ギデオンは左手で空いた敵の懐へ向かって魔弾を放った。魔術の扱いに長けるギデオンのそれは、兵士の装甲くらいならば簡単に貫く。急所に衝撃を受けた兵士はそのまま床に倒れ伏した。
「アーサーくん!」
隊長格を相手にし続けていたアーサーは目に見えて疲労していた。魔力強化されたフライパン一本でよくもあそこまで保ったものだ。ギデオンは二人の間へ結界を作って分断した。
「マナは戻ってきました。もうあなた方の好きにはさせません」
「チィッ、使えん奴どもめ……。結界士はやはりアテにはならんか」
「いえ。使いようは非常によかったと思いますぞ。こちとら非戦闘員ばかり三人でしたからな」
ギデオンはマナをまた手のひらへ集めておく。妙なことをすれば即座に貫く構えだった。
「……お引き取りを。さもなくば王室の方へ訴えますぞ。あなた方が大賢者からの差し金とは言え、王室を無視することはできますまい」
「……畜生め」
最後に立った兵士は剣を収めた。それから、倒れ伏している部下の方へ歩いていく。――が。
「クソ! 見逃されておめおめと帰れるか!」
兵士は振り返り様にギデオンへ向かって魔弾を放った。凄まじいスピードで飛来するそれを躱すいとまはない。
「――ッ!」
「何ッ」
ギデオンは咄嗟にマナを纏った右手で魔弾を払った。すると、魔弾はそのまま兵士の方へ更に速度を上げて返っていく。
「がァッ」
鎧を纏った大の男が魔弾の一撃に簡単に吹き飛ばされて、屋外へはじき出された。ギデオンは苦い顔でそれを見ている。
「……最後がこれでは締まりませんな」
「は、博士、やり過ぎ……」
アーサーも苦笑いでギデオンに応じる。
(博士、やっぱり理論魔術じゃなくても全然凄いな)
最後の一撃はギデオンが「通常の」アプローチで行った魔術だ。普段この国の人間がしているような「深く考えずに行使する魔術」。実際のところ、理論魔術の理論に従って魔術を行うというのはギデオンほどの腕前と才能の魔術士ともなると却って枷にしかならないのだ。
「ローレンソンくんを探してきます。アーサーくん、よく頑張りました」
「はは。僕もう、限界……」
床へ倒れ行ったアーサーの頭にクッションだけ敷いてやって、ギデオンは外へ出た。
二人居た結界士のうち一人は逃げたようだ。残り一人は魔弾を浴びて気を失っている。
「ローレンソンくん!」
結界士が倒れていたその先にエイベルが居た。ぐったりと目を閉じているがどうにも満足そうな表情をしている。
「博士」
「結界を解いてくれたのは君ですな。……実に、実に素晴らしい手腕でした。お陰で我々も無事です」
「それは、よかった。普段の借りを、返せていると、いいんだが」
息も絶え絶えのエイベルを抱き起こし、ギデオンはその顔を覗き込む。体内の魔力経路がめちゃくちゃなのはもうわかっていた。
「魔弾を、撃ってやったんだ。やったことはなかったんだが、あなたの理論のままに、やったんだ」
「それはそれは。……如何ですかな、理論魔術というものは」
エイベルは目を細める。幸せを噛み締めた表情だった。
「最高だ。その一言に尽きる」
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