1-13:エリザベス、無我夢中になる

 アーサーは息が上がり切っていてすぐには話せる状態ではなかった。しゃがみこんで息を整えていると、周りの魔術師たちが何事かと集まってくる。


「おや、確か君はギデオン君のところの助手じゃないか。そんなに慌ててどうしたんだい」


 大変に頭の良い人間たちは人の覚えもいいものらしい。一度だけ姿を見せたことのあるアーサーのことをしっかり覚えていた。


「そら、しっかりしたまえ。急ぎの用件だろう、早く伝えてあげなさい」


 ぽんと肩に手を置かれると、あっという間に息切れ動悸めまいその他が収まった。治療魔術の応用だろうか。顔を上げると、目の前にいるのは確かに北の国オーレリウスの治癒魔術の大家である。そういえばギデオンと知り合いと聞いたことがあった気がする。


「これは助かりましたな、教授。礼を言いますぞ。……してアーサー君、どうしたのです?」

「エ、エイベルさんがちっちゃい子供、えーと、幼児です、幼児。それくらいまで縮んじゃって。術痕とかが痛くて泣いてます。今はエリスさんが何とか面倒見てくれてて、それで、」


 ぎゅっとギデオンの眉間にしわが寄せられる。なかなか珍しい表情である。


「それはよくない。急いで帰るとしましょう」


 ギデオンはさっさと帰り仕度を始め、周りの魔術師たちに別れの挨拶を告げている。学者陣も名残惜しげではあるが異常事態を察したらしく、引き止められることはなかった。


「えっと……すみません、走ってきたもので、帰る手段が徒歩以外にありません」


 年齢的な問題で、ギデオンにアーサーが走ってきたのと同じだけの距離を行かせるわけにはいかない。ギデオンはアーサー以上のインドアだ。


「……仕方がない。緊急事態ですからな」


 ギデオンは言うと、行きに使った招待状を取り出して何かしらの手を加えた。そして短い詠唱ののちにはっと目を開くと、いつの間にか研究室にいた。


「招待状の転移魔法のプロテクトを外した後に新しい出発地と到着地の設定を行いました。……詳しい機構はまた後ほどとしましょう。今は理論よりもローレンソンくんだ」


 急ぎ足で研究室に向かうと何やら異様な気配がする。扉の前ではユディアがふてくされた様子で座り込んでブルーノの馬の相手をしていた。


「あ、おかえりなさい、博士にアーサー。エリザベスだっけ? 彼女に追い出されちゃったよ。わたしの人間じゃない方の魔力がだめなんだって。何してるかスキャンかけようにも魔力完全遮断の結界張られちゃってさ、全然わかんないんだ。彼女そんなことできたっけ? ……わたしも赤ちゃん見たかったなあ」


 呪術はさておきごく普通の魔術に関してはエリザベスは一般人の領域を出ないはずだ。だが今は半人外の魔力を跳ね返すほどの結界を張っているらしい。しかし扉などでの交通には特に支障はないようだ。なるべく魔力を引っ込めながら研究室の中に足を踏み入れた。


「……これは素晴らしい」


 ギデオンがぽつりと溢す。それほどまでに、魔力の行き来を完全に遮断した部屋からは完璧にマナや魔力が抜かれていた。マナや魔力の計測器が示す値がそう告げている。形や色がいいとは言えないが、床にはマナや魔力を押し固めた石が点々と転がっている。


「やっと帰ってきたか。早く代わってやってくれよ。この姉ちゃん限界近そうだぜ」


 ブルーノだ。彼は体内魔力が存在しないためにエイベルに悪影響を及ぼすことがなかったのだろう。


「保護者が戻ってきたところで、俺はユディアのとこに行かせてもらうな。拗ねてたろ、あいつ」

「そりゃあもう。……ありがとうございました。すごく助かりました」


 気にするな、とばかりに片手を上げてブルーノは出て行った。エリザベスはといえば、この数時間で大分やつれたように見える。決して口にはしなかったが。


「エリザベスくん、私がローレンソンくんを預かりましょう」

「え? ああ、博士。ごめんなさい、気がつかなかったわ」


 エリザベスはかなりの集中状態にあったらしい。話しかけられたことで部屋に張ってあった結界が壊れてしまった。床の上の小石も次々と空間に溶け出し始めている。魔力の流れの変化になんとか寝付かせていたエイベルが不安げに目を覚ました。


「ふむ、君大分幼くなってしまいましたな。これでは我慢できるものもできないというもの。私が外していたせいで辛い思いをさせてしまいましたな」


 ギデオンの完璧な魔力流管理で、エイベルの痛みや違和感は全て取り除かれたらしい。よほど消耗したと見られるエリザベスはソファに倒れこむなり眠ってしまった。ブランケットをかけてやって、部屋の様子をぐるりと見渡す。


「あ、なるほど」


 結界の要となるところにはエリザベス愛用のケープとブローチや持っていたらしい魔術材料が置かれていた。これらを触媒にして強力な結界を張ったらしい。思想に多少の欠点は見られるが、やはり彼女は有能な魔術師だった、ということであろう。




「うーん、正直必死すぎてよく覚えてないのよね。ケープとか材料置いてみたのもなんとなくだし、そのあとの魔力結晶化に関しては特にね。アタシ、普段そんなことできないのよ」


 休養を取ってすっきりとした顔になったエリザベスはそのように言った。魔力補給に、と甘い菓子を口に運んでいる。


「だって、あんまり辛そうに泣くんですもの。なんとかしてあげなくっちゃって。魔力流管理なんて手に余るから、研究室の魔力とかマナ濃度はなるべく薄めようとは思ったのは覚えてるわ」

「あまり精細には調査できませんでしたが、ローレンソンくんの過剰な魔力を何かしらの方法でエリザベスくんが一旦体内に取り込んでいたのはわかりましたな。疲れが激しいのはそのせいです」


 無我夢中だったらしく、その機構のほとんどは感情的・感覚的なものだったらしい。男ならこうもうまくはいかないだろう。人によって差はあるだろうが、多少なり理論立ててやらないと魔術がうまく扱えない。


「女性の魔術機構は男性とは違う……ふむ、真実のようですな」


 手元でエイベルをあやしながらギデオンがつぶやく。エイベルが目を覚ましたら先ほどアーサーが作っておいたスープでも飲ませてやろうと思った。


「少し脱線にはなりますが、エリザベスくんの扱うような魔術について調べてみましょうか。私も興味が湧いてきた」

「呪術について研究しますの? あまり研究に向いたものとも思えないですわ、博士」

「機構について調べて無駄にはなりますまい。知りたくなったらすぐ調べる。私の性状です」


 エリザベスにはひとまず翌週彼女の店に行く約束を取り付けておいた。その日は一日研究室に泊め、翌朝アーサーの見送りでエリザベスは帰っていった。


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